地下鉄
広い階段をぐるぐると50m以上下った。
地下鉄の駅といっても、大都市の下に張り巡らされたいわゆるメトロの窮屈な駅とは規模からして全く違っていた。トンネルそのものはよくあるシールド工法の円筒形だけど、2本のトンネルの間にあるホームが体育館並みに幅広で、長さだって500m以上ありそうに見えた。全然カーブがないから照らすと端から端まで見通せるのだ。もちろん電気は通っていない。照らしているのはクローディアだ。地上なのでラディックスは潤沢、この程度で枯渇する心配はない。
駅の内壁と床は白いタイル貼りで、目線の高さに青いラインが引かれていた。地下水が滲みているところは黒く雨垂れのシミになっているけど、それ以外ほとんど汚れもなく、何なら真新しく感じられるくらいのものだった。
「すごい、声が響く」誰かが言った。その声は確かに反響して何度も聞こえた。
「まるで気配がしない。さっき潜っておいた方がよかったんじゃないですか」エコー班の1人が恨めしそうに言った。
「危険は危険だよ。今だってリスクはある。でもこれだけ時間が経てば逃げられたと思って安心している頃じゃない?」スピカは動じない。
「そもそも、躍起になって追う必要があるのかな。モグラ1匹逃したくらいで」
「もともと1匹なら、ね。悪いことに私たちは彼の子供を殺しているんだ。もう十分すぎるほど恨みを買ってる」
誰でもフランクに発言できるのが天使大隊の雰囲気らしい。もちろん命令系統を乱すほどではないけど、天使身分と同じように軍の階級もまた国家から押し付けられたものだという感覚を共有しているのかもしれない。
「さて、ここから逃げたとしたらどっちへ向かったのか」
スピカは全員に構内の捜索を命じてらホームの床に地図を広げた。盗掘家の地図より遥かに詳細に描き込まれていた。砂地と市街地が色分けされているのだ。等高線や河川跡もあった。ただ地下鉄の線路はなかった。
「上から見て地図を作るからね、地下までは目が届かないのよ」
「測量を飛行機でやるのはわかるけど、実際に地上に降りて探索もするんでしょ?」
「そう。地下の入り口があればきちんとマークする。でも中に潜るところまでやるケースはそんなにない。あえて崩さなくても崩れるようなところも多いから。私たちは盗掘家ほどの危険は侵さない」
地球がフラムに覆われてから地上は天使のものになった。でも、だからこそ地下はまだ人間のものなのだ。天使にはあえて地下に求めるべきものがない。フラムを避ける必要もなければ、移動手段も自前の翼で事足りる。
スピカは地図の上にコンパスを置いて方角を合わせ、定規代わりに銃剣を置いて線路の向きに合わせた。延長線上に重なる街が西側に1つ、東側に2つあった。
「まっすぐ伸びているとすればこうなる。この街とこの街は隅々まで調べたけど地下空間はなかった。線路が逸れているのかもしれない。だとしたら1番近い街は西か」
「かなり高規格の線路、高速鉄道だよ。スタントンホールの方が他の3つより大きな街みたいだし、隣の駅はもっと遠いのかもしれない」クローディアはホームの縁に立って目でレールを辿った。
「もっと広範囲の地図を、ね。縮尺の小さい地図は遺物頼みなのよ。ただ、街が目的地とも限らないのよね。別のシェルターが目当てなら街を目指すだろうけど」
クローディアは線路に降りた。枕木はなく、レールはコンクリートの基礎に取り付けられていた。やはり軌間が広い。レールは錆びている。
「歩いて逃げるったって、気が遠くなるような景色だよ、これ」
クローディアは線路の上を飛んでレールの表面に目を凝らした。まず東から西へ、折り返して西から東へ。その途中でレールに光沢が出たのに気づいた。
境界を探して引き返す。
あった。何かにこびりついていた赤錆が粉々に砕けている。レールから出る量の錆じゃない。何か――たぶん鉄の車輪――が乗っていたんだ。レールの表面はそこを境に西は錆に覆われ、東はわずかに鉄の地肌が覗いていた。車輪が通った跡だ。ここに機関車か何かが置いてあったのだろう。準備のいい男だから、ここにも比較的鮮度のいい燃料を置いていたのだろう。
「スピカ、東へ向かったみたいだよ」クローディアはホームの縁に手をかけた。ホームのレベルが高いのも高規格っぽい。ヨーロッパにはほとんどなかったタイプだ。
「東? 思ったのと違うね。実験場に近づくようなことを。協定を知らないのか、それとも突っ切るだけか……」
構内のクリアリングを終えた天使たちがホームの真ん中に集まりつつあった。みんなスピカの判断を待っている。
クローディアは盗掘家の地図を思い出した。あの地図で今回の井戸はほぼ北西の隅だった。東に行けばより古い井戸の間を通ることになる。
「この中には今までの実験の立坑がたくさんあるんでしょ」
「あの盗掘家に聞いた?」
クローディアは頷いた。
「それなら話が早い。要するに、彼の狙いは核かもしれない」
スピカは判断を迷っていたんじゃない。クローディアに話を聞かせるのを渋っていただけだった。割り切ることにしたようだ。
「実験に失敗した立坑には不発の原爆が残っているところもあるのよ。わざわざ取り出すのも危ないでしょ。でも盗掘家の技と命を顧みない胆力があれば、不可能とも言い切れない」
「原爆を掘り返して何に使う?」
「恨みだよ、恨み。ここに持って帰ってくるか、ラークスパーに持っていくか、それとも……。まあ、いずれにしても掘り返すつもりなら相当時間がかかるのは間違いないよ。焦っても仕方がない。まだ単なる逃亡の線が消えたわけでもない。今日はキャンプに戻って、明日になったら手分けして見回ろうか」
「まだ追いつけるかも」エコー班のリーダーが言った。他の2人もライフルを担いだまま聞いていた。
「追いたいなら、いいよ。でもどんな罠を張っているかもわからないからね。あと、明日半日飛び続けられるだけの体力を残しておくこと」
「コピー」
エコー班はぴょんと線路に飛び込み、翼を広げてトンネルに入っていく。クローディアはコントロールが効く範囲で天井に光源を用意してやった。天使の目でも距離感が掴めなくなるところまで直線が続いていた。やはりかなりの高速鉄道だったのだろう。
「なんでカービンじゃないんだろ」クローディアはエコーの後ろ姿を見送りながら訊いた。
カービンというのは乗り物の上で取り回すために銃身を短くしたライフルのバリエーションのことだ。騎兵銃とも言う。射程と弾速は落ちるけど、単純に軽さと小ささで選ばれるケースも多い。
「地下でなくたって、街中や建物の中でもカービンの方がいいでしょ。開けてたってどうせ砂嵐で視界が通らないんだし、射程を活かす機会がない」
軍用機の備え付けも、空挺兵や島の守備隊が使うのも軒並みカービンだった。。カービンと呼ばれている以上は純粋なライフルが存在するのは検討がついたけど、実際エトルキア軍で使われているところを見るのは天使大隊が初めてだった。
「私たちさ、あくまで歩兵なのよ。多分に海軍的な性格の空軍にあって、本来存在しないはずの陸軍を天使だけがやれるの。移動はトラックだけど、戦闘では乗り物に頼らない。ヘリもジェットテールも使わない。生身の機動力がすべて。あくまで塔の上で戦う陸戦隊とは一線を画する。その誇りがライフルを選ばせるんだ」
「選ばせるって言っても、装備なんて指揮官が決めるんでしょ。強制?」
「してないしてない。みんなが好きで選んでるって意味」
「ほんとかな……」
クローディアは大隊の天使たちを見渡した。やっぱりみんなライフルだ。それが命令でも同調でもないとしたら、国家が天使に求める役割を各々が意識しているということになるのかもしれない。それなら確かにスピカの言い方も間違いじゃない。どちらかといえばネガティブなものを「誇り」と言い換えているだけだ。
古代、歩兵は最も基本的な兵科だった。機械を扱う他の兵科のようには技術力を要さず、ただ体力があり銃が扱えればよかった。戦力は技より数で決まる。代替可能な兵士たちの集まり。それが歩兵だ。
スピカがしきりに安全を気にするのはそれを意識しているからなのだろう。
エコー班は1時間あまりで引き返してきた。駅のホームで待っていたから先に無線で報告があったけど、トンネルの天井が崩れていて先に進めなかったらしい。
「崩れても地盤が固ければ通れたはずなんだ。土が流れ込んでて全然だめだった」
エコー班は3人とも腕や膝が土で汚れて埃っぽかった。
「複線だからもう一方のトンネルはどうかと思って一度渡り線まで戻って進んだけど、同じくらいのところで崩れていた」
「流れ込んでる土は新しかった?」スピカは地図に印をつけながら訊いた。
「ああ、今しがた崩したばっかりって具合だった。あの男がやったんだ。間違いない」
「崩れているところまで、ここからの距離は」
「4キロと少し。5キロはない」
「そうすると街の外縁から1キロは離れてるね。地下で多少の爆発があっても上ではわからないかもしれない」
「つまり、街の外に出たのは確実だと思っていいんだろう?」
「そうね。それがわかっただけでも収穫だよ」
23時を回った。構内の明かりを消す。ランタンだけでは空間の大きささえ掴めない。深度は150m。息吹でエレベーターに通電して1往復動作確認、それから乗り込んで地上に戻った。顔には出さないけど、スピカだって全部階段で上がるのはさすがに堪える。何より、本当は彼女だってアドフラクトを使えるはずだ。周りに隠すために使ってはいけないというのが余計にしんどいだろう。
エコーの3人は知ってか知らずか「いやぁ、奇跡ってのは便利なもんだね」と座り込んで茶を啜っていた。旧文明水準の高速エレベーターだからドアが閉まってから開くまで20秒足らず。地上に出るより茶がなくなる方がよほどあとだった。
スピカはキャンプに戻ってまた別の地図を広げた。今まで実験のために掘ってきた井戸の位置をプロットしたもので、盗掘家が自作していたものと同じ性質のものだった。ただ、示されている古井戸の数はこちらの方が多かった。
「ここが今日見てきた102番坑。あとは遠方で掘ったものを除いて全部この地図にある」
井戸の位置は二重丸で示されていて、内側が青いものと赤いものがあった。
「青いのは同時起爆に失敗して深く掘れなかった井戸、赤いのはそれ以前に全ての核弾頭が起爆しなかった井戸。つまり、赤には不発弾が残っている」
ざっと見て青と赤が半々程度、どちらかといえば赤が多いくらいに見えた。なんだかゾッとした。一帯のあちこちに50発以上も原爆が埋まっているのだ。いや、正確に言えば埋まっているわけじゃない。地中深くにあるというだけで、剥き出しになっているはずだった。
「不発弾ってどういう状態なの?」
「信管のビーコンと起爆時の震動観測で判定しているだけで、実際に目視しているわけじゃない。だから具体的な状態まではわからないわね。ただシールドの筐体内で隣接する他の弾頭の爆発に晒されているのを考えると、形を保っているかわからないレベルで溶けているのは間違いない。爆発で生じた空洞の中に落ちているか埋まっているか、どちらかでしょうね。あるいは起爆しなかったまでも爆薬が自然崩壊して消滅しているかもしれない」
「地下10キロでしょ?」
「そう。生き物が下りていって回収するにはあまりに過酷で危険な条件が揃っている。気圧、熱、酸素、明かり……」
そうか、だからこそ今のあの盗掘家なら本当にやりかねないと思っているんだ。
「井戸には蓋がしてあるって聞いたけど、それは盗掘家に壊せるようなものなの?」
「いや、壊さなくても入れるんだよ。上からの目は防いでいるけど、密閉しているわけじゃない」
「人が入ったのを知らせるようなシステムはないの?」
「あいにく。設置しても動力・電源供給ができないんだ。塔から電線を引くにしても、太陽光や風力発電にしても、砂と風ですぐやられちゃう。維持できない。それに、そういう構造物は目立つでしょ」
「確かに」
スピカはクローディアが納得したのを確認してから続けた。
「あの男が不発弾の位置を把握しているとしたら、線路が伸びている方角から考えて、狙うのは85番、23番、28番、54番、94番あたりか。明日はまずそこを見て、それから範囲を広げよう」
翌朝6時から盗掘家の捜索が始まった。すでに哨戒機が上空を旋回していた。スピカがラークスパーにも事情を伝えたからだ。赤外線センサーやらで地上を監視しているのだろう。
砂塵の中では視界の通りようがない。昨日の雨で蹴散らされた恨みでもあるのか、砂はいつにも増してみっちりと低空を覆っていた。角度によっては空と地面の境がわからないくらいだった。
生身の天使たちも一度高度500mまで上昇してから担当の古井戸に向かった。位置を知っていても上からでなければ井戸が見えないし、砂の中を飛ぶと羽がキシキシになるからできるだけ避けたいのだ。
クローディアはブラボー班と一緒に飛んで23番坑を目指した。方位と距離で目星をつけ、ほぼ真下だけかすかに見える地上に目を凝らして円形の地形を探した。
古井戸の見かけは天然の丘と大差なかった。それこそ旧火口が埋まったような低い丘だった。
「あれ?」
「たぶん」
「ほんとに?」
そんな具合で降下していって、ようやく確信が持てたのはほとんど着地してからだった。土手が周囲の地面の岩石とはちょっと違った質感になっているのだ。蓋を支える梁が下に埋まっていて、そいつを固定しておくために地盤にコンクリートを浸透させてあるようだ。ゴツゴツした岩石が表に出ているおかげで人工物感が和らいでいる。反面、鉄筋が入っていないらしく岩とコンクリートの境目から風化が進んで、全体的にヒビが目立った。
「結構古い井戸なの?」
「10年くらい経ってるかな。いや、もう少し新しいかもしれない」
ややお椀型に膨らんだ合金製の蓋は梁の上に乗せられているだけだった。クレーターよりひと回り径が小さいせいであちこち地面との間に隙間が生じていた。スピカが「壊す必要はない」と言ったのはこういうことだろう。人1人すり抜けるくらい何でもなさそうな大きな隙間だった。もし滑落したら確実に死ぬ、というかこの世界に存在していた痕跡さえ綺麗に抹消されてしまいそうな怖い穴だった。
幸い土手の下にケーソンを埋め込んだトンネルが通してあって、安全に中へ入ることができるようになっていた。外の扉には錠はかかっていなかった。中には穴の内側を一周するようにキャットウォークが設けられ、いくらでも井戸の底を覗き込むことができた。
入る時に床を確認しながら進んできたけど、人が立ち入った形跡はなかった。外から入り込んだ砂がケーキの上の粉砂糖みたいに均一に降り積もっていた。
鉄道の地下トンネルから井戸に入り込むとしたら、トンネルの換気口や非常出口から出て地上を経由するか、トンネルの側壁に横穴を掘って直接井戸の中に出るか、どちらかだ。つまり井戸の内側に穴が開いているケースもある。光源を差し込んでキャットウォークから下を覗き込んでみたけど、それらしい影は見当たらなかった
もちろん井戸の外も確認した。やっぱり足跡は見つからなかったし、トンネルの入り口に隠れてしばらく待ってみても状況は変わらなかった。
きっと他の井戸に向かったんだろう。でも各班手応えなしの報告を無線に流しつつあった。ブラボー班の第2目標は58番坑だ。クローディアも短い休憩を挟んでから飛び立った。




