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別荘

 ディアナとメルダースというのは険悪な取り合わせに思えた。片や反天使主義の旗印、片や天使権利主義の中核だ。改めて考えるとメルダースの居候がディアナに師事を頼むのはすごく気まずいことだった。

 メルダースはひとまずディアナを迎え入れて紅茶を出し、ことの経緯を聞いた。戦闘機を扱う資格、権威と便宜についてとやかく言うつもりはないようだった。立場上模範的な軍人でなければならない自分にはないものをディアナが持っていると理解しているのだ。

 メルダースの方が警務隊に向いているのでは、とちょっと思ったけど、あまりかっちりした人間が法を振るうと、どんな些細な過ちも許されない恐怖社会ができあがってしまうのだろう。それはたぶん生きにくい世の中だし、だいたいそんなことより裁きにコストがかかって仕方がない。

「首都圏だと訓練空域はどこも過密だ。どこで飛ばす?」

「ベルノルスの料地を使います。家の者も普段はいません。別荘です」ディアナは敬語だった。階級はメルダースの方が上だ。2人とも私服だが、あくまで軍人同士というか、プライベートの関係が希薄な感じだった。なんだか部屋の中が作戦会議室みたいだった。

「空域は」とメルダース。

「トラフィックからは離れているし、塔間もファーストグリッド。迷惑をかけるかけないの問題以前に、他人に見られることもないでしょう」

 メルダースは頷いた。

「期間は」

「2週間」

「確かにカイは操縦技術は持っている。が、わざわざ教えるということは高等課程と同レベルの実戦技術をやるはずだ。空士校(空軍士官学校)でも3ヶ月はかける」

「彼にはセンスがあります」ディアナはきっぱり言った。「それに、レースにおけるターンはマニューバに通じる部分もある。マニューバについては一からやる必要はないでしょう。それに、暗号や電子戦スキルなど、機密に関する部分は割愛しないといけない。それで2週間です」

 メルダースはしばらく顎をさすって考えてから頷いた。

 メルダースも100%規律のために言ってるわけじゃない。機密に触れればその後の言動に制約がつきまとう。たとえ軍籍に入らなくてもそれは変わらない。メルダースはあくまで守ろうとしてくれているのだ。

 と同時に、メルダースがそれでOKを出したということは、ディアナの訓練を受けたところでエトルキア軍の正規パイロットと肩を並べるまでにはなれないということか、とも思った。単に喧嘩や格闘技が強いだけでは組織立った兵隊には太刀打ちできない。

 いや、いずれにしても今はできるところまでやるしかない。


 ディアナは定期便でルナールに向かい、そこから自家用機でインレに飛んだ。自家用機は全長20m弱のコミューター機で、塗装は白、コクピットの窓の下に盾型のエンブレムが描いてあった。ケネシスで見た専用機にも同じ紋章がついていた。ベルノルスの家紋なのかもしれない。

 インレに戻ったのはシピを一緒に連れていくためだ。2週間も放っておけない。

 シピは軽そうな車椅子に乗ってベッドの上に着替えを広げていた。すでに紫の袴を着ているが他にも色々持っていきたいようだ。というかディアナに着せられているのだろう。着替えの方もディアナのわがままかもしれない。

「すみません、なかなか……」服の上に屈む姿勢が取れないので上手く畳めないのだ。ドレープが多くていかにも手間が掛かりそうな服だ。

「はいはい、任せて」

 ディアナはむしろ待ってましたといった感じで機械のようにテキパキと手早く服を畳み、スーツケースに押し込んだ。それ1つでもひと月くらいやっていけそうなくらいだったけど、同じくらいのスーツケースがあと2つあって、2人がかりで格納庫まで押していかなければならなかった。まだ腕力が足りていないような漕ぎ方ではあるものの、シピは車椅子で動き回る分には1人でも全然支障なさそうだった。

 ディアナはタラップの前でシピを背負い、キャビンのシートに下ろした。車椅子はカイが担いで運び上げた。アームチェアのような大きなシートに収まったシピはやっぱり少し気の弱い王女様みたいだった。シピはそろそろ「世話を焼かれる自分」にも慣れ始めていた。まだ恥じらいはあるのだけど「自分でできます」的なことは言わなくなっていた。要するに、できることとできないことの境目を認めつつあるのだろう。



「がっかりさせないように先に言っておくけど、残念ながら私の力を持ってしてもアネモスは用意できなかったわ。バリバリの第一線機だからね、余ってないのよ。モスボールのシフナスを掘り出してくるのが精一杯だったわ」

「そうですか」

「……あんまりがっかりしてないのね」

「まあ、そんなところだろうと思ってました。あなたが迎えに来た時点で完全な失敗じゃないことはわかってたし」

「なんだか悔しい言われ方。でも安心して。シフナスといっても最終型のQ型よ。中身と計装類はアネモスと同等なんだから」

「ジェット機の飛行特性が学べるならそれでいいです。べつに持って帰ろうってわけじゃないんです」

「じゃあ持って帰れるならアネモスの方がいいのね」

「乗ってみないとわかりませんよ」

「TA32969、コントロール、コピー。ヘディング302、インクリース7200」

 管制から指示が入ったのだろう、ディアナはハンドルのトランスミッターボタンを押しながら答えた。少し機体が動き、しばらくして安定する。改めてオートクルーズのスイッチを入れ、ハンドルから手を離した。

「ところで、別荘と言ってましたけどベルノルスの本家は別にあるわけですか」

「そうね。レゼの西にパレスと呼ばれている島があって、王族といえばそこで暮らしているの」

「王宮ですか」

「まあ、そうとも言えるし、エトルキア政府、といってもいい。地方行政と違って国政はほぼ完全に王族が握っているから、政治に関わる家系はまずパレスに家を置いている。決して定められているわけじゃないけど、他の島に家を置くってことは権力闘争から身を引くのと同義なの」

「分家同士の対立があるわけですか」

「対立とは限らないけど、各々ポリシーがあって、それを一番実現しやすいのがトップだからね」

「ベルノルスはトップではないんですね」

「歯に衣着せぬ物言いね。そうよ、順位をつけるならベルノルスは4番目。魔術院を司るもの。財務と外務の方が格上なのよ」

「その、大臣、ですか、どうやって選ぶんですか」

「王の指名によるわ」

「王はどうやって選ぶんです」

「大臣たちの多数決よ」

「よくわからないな。それじゃ全然能力も専門性もない人間が物事を判断して決めなきゃならないこともあるってことでしょ。何かきちんとした競技制にすればいいのに」

「基本、世襲制なのよ。うちは代々魔術院、4番目なの。他の家も同じ。よほどのことをやらかさない限りは。それに、実務でどれだけ役に立つかなんて、結局は実務でしか測れない。経験とノウハウが物を言うテストの結果がいいからって実際はわからないし、だいたい、誰がどうやってテストを作るのか、ね」

「そうか、実績そのものがテストだったんだ」

「そう。順位が便宜的っていうのは、あくまでトップとその他だから。4番目だからってベルノルスが2番目3番目になりたがっているわけではないってこと」

「職人みたいなものか」

「その表現は悪くない。そもそも、世襲制のポストが先にあって、それを代々継ぐところから分家が生じた、といってもいい」

 王室事情とか、こういうことはたぶん首都圏に住む人々ならなんととなく当然のように知っていることなのだろう。メルダースの家に滞在していてひとつ新鮮だったのはテレビの映りがすごくいいことだった。

 タールベルグの受信アンテナがわるいのか、それとも基地局の設備がすでに死んでいるのか、家では国営放送も満足に映らないのだ。フーブロンのローカル局を除くとルフトの民放の方がよほどいいくらいだった。現代の情報となるとルフト頼みなのだ。したがってエトルキアの国政の内情はよくわからなかった。


 別荘の島は西北西に1000kmほど飛んだところにあって、かなりの高地だった。周りの島との間隔は東部と同じくらい遠く、それより手前に山地があって、稜線は最下層に近い高度まで達しているように見えた。

 変な島だった。甲板配置は住居島らしい5段構えなのだけど、建物が見えるのは中層だけで、あとは木々に覆われていた。全体が果樹プラントといった感じだ。あるいは林業でもやっているのだろうか。滑走路も小さいのが中層に1つだけだった。

 やはり誘導なしで着陸。駐機場も駐機場というより駐車場といった広さでタイル張り、格納庫も乗ってきた飛行機がぎりぎり入るくらいの納屋のようなものがあるだけだった。なんだ、これならタールベルグの最下層も捨てたものじゃない。そう思える程度だった。滑走路そのものは、だ。全然違うのはそこにシフナスが2機ライオンみたいに|でん〈・・〉と並んでいることだった。

 カイは駐機場に降り立ったところでとりあえず2機の間に立ってみた。空では何度も出くわした相手だが、間近で見るのは初めてだった。長らく風雨に晒されてきたのだろう、上面は塗装ががさがさに荒れて白っぽくなり、キャノピーも曇っていて引っかき傷まみれだった。垂直尾翼に描かれていた部隊マークとシリアルナンバーは削られてそこだけいっそう白くなっていた。

 最終型といってもアネモスが配備されるまでのつなぎ役だから、もともと古い機体を改造したのだろう。スクラップの中にもしばしば製造年が記されているものがあって、何年使われてこの状態、というのは肌感覚でわかる。ここ最近の保存状態が悪かったのを加味しても機齢20年以上になるかもしれない。独立戦争にも関わった機体かもしれない、とふと思った。

「問題はこの島には私たちしかいないってことね」とディアナ。とりあえずシピを降ろしてからカイの様子を見に来たようだ。「一通り復元してもらってから飛ばしてきたけど、あちこち直さなきゃならないところが出てくるかもしれない」

「整備士がいない?」

「そう」

 そうか、軍人のパイロットにしてみれば飛行機の世話は他人がやってくれるもので、常に完調なのが当たり前なのだ。

「部品はあるんですか」

「トラベリングポッドに入るものは部品も工具も一通り持ってきたわ。前線基地レベルの水準は確保できるでしょう。あまり重いものは人力だと上がらないから置いてきたけど」

「そうか、クレーンがないんだ」

 いくら飛行機と言ったって、人の力では持ち上がらない部品、モジュールがたくさんある。吊り上げ装置の有無は作業性に大きく響く。

「ガレージなら梁にチェーンをかけられると思うんだけど、入れるにしても尾翼が引っかかりそうなのよね」

「頭を突っ込めば前半分はなんとかなります。腕の見せ所だ」

「いいわ。2週間後には立派なメカニックが出来上がってるわね」ディアナはジョークで返した。

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