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共犯関係

 アラドヴァルは緩慢な加速でのっそりと離陸し、中層飛行場からむしろ高度を下げながら西へ50kmほど飛行、それからくるりと向きを変え、ほぼ真西からスローンに衝突するコースに入った。

「針路と風向きを完全に合わせているのよ。弾速に風速を乗せられるし、弾道にブレが出ない」とディアナ。

「結局真正面に撃つのも偏差をなくすためですか」

「そう」

 照準スコープの映像が制御室のディスプレイにも映し出されていた。ど真ん中に捉えられたスローンの主塔は最下層と下層の中間で途切れ、その断面は崩れた外壁と構造材が折り重なって峻険な山岳地帯のミニチュアのように見えた。

 他に周辺の気象地図、航空路とトラフィック情報、砲身の|撓〈たわ〉みや温度、電圧を示す模式図を映すディスプレイが並んでいた。それぞれ専属のオペレーターがついて監視している。

「針路92度05、高度1700ちょうど、砲旋回角0度00、仰角1度50」

「射線クリア、管制局管轄の全オブジェクト退避よし。行動中の友軍機および官用機も確認取れました」

「弾頭落着予測地点は大西洋上。モニターに図示します」

「射撃態勢」砲術長が内線のマイクを掴んで吹き込んだ。

 エンジンの唸りが大きくなり、どんどん音が高くなってくる。機体のどこかで共振が生じ、振動音が機内を包み込む。

「機速1181、高度、針路、仰俯角変わらず」

「砲身の振動、有効レベルを維持」

「目標まで10キロ」

「電源切り替え、射撃用意」

 砲術長の指示に合わせて制御室の照明が一斉に落ち、窓からの採光と薄緑がかった蓄光塗料頼みの世界に転換した。ディスプレイもほとんどダウンしている。レールガンが消費する電力に比べれば照明なんて些細なリソースなのだろうけど、それでも全身全霊を砲身に注ぎ込むという気合は感じられた。

「テッ」と砲術長の号令で窓の外がパッと光り、次の瞬間には制御室にいた全員がその場で数センチ浮かび上がっていた。機体がブレたわけではない。射撃の衝撃が下から床に叩きつけたせいだ。

 窓の外も壮観だった。床を打ったのと同じ衝撃が主翼に伝わり、翼下面の外板がまるで水面のように波打った。まさに波紋だった。いささか恐怖を感じるレベルだったが、それでもアラドヴァルはきちんと飛行を続けていた。


 照明とディスプレイが戻る。照準スコープに映ったスローンは上端が煙に包まれていてまだ効果ははっきりしない。

「機体異常ないか」砲術長が訊いた。

〈通常の飛行には支障ない。一応詳しく言うと、予備のフライトコントロールが1系統ダウンして、左の補助翼の一部が応答しない。油圧系だろう。面積的には5パーセント以下だ。繰り返すが飛行には支障ない。安心してくれ〉

 要するに「すごい衝撃だった」と言いたいのだ。機長の声はいささか興奮していた。コクピットからは弾頭が飛んでいく様子と塔に命中する瞬間が真正面に見えたはずだ。無理もない。

 アラドヴァルはスローンを避けるために大きく左へバンクして旋回を始めた。塔そのものは少し上昇すれば避けられる高さなので無害だが、舞い上がった瓦礫を被るのは危険だ。手の空いたオペレーターたちが席を立って舷側の窓に顔を寄せる。針路が変わってスローンは右舷側に見えてくる。自分たちの仕事の成果を確かめるいい機会だ。

 カイも気になったが、制御室の窓は片舷3ヶ所。すでに1ヶ所あたり2人といったところ。部外者が割り込むのは気が引ける。そういえば機内に乗り込む時のドアにも窓があった。制御室とコクピットの間だ。オペレーターたちもさすがにそこまで行くと持ち場を離れてしまう。

 スピカは砲術長と一緒に塔の情報収集に集中している。ディアナが背中を押した。通路は制御室よりも明るかった。窓の防眩が抑えられているようだ。その分景色もクリアに見えるはずだった。

 スローンは正面やや下、思ったよりもずっと近かった。いよいよ煙が晴れて主塔の先端が見えてくる。先ほどより一回り高さが低くなり、最下層のすぐ上で切断された断面は円形といっても差支えないくらい平らに変わっていた。まるで切り株だ。

 弾頭の運動エネルギーによって弾き飛ばされた瓦礫が塔の背後にゆっくりと落ちていく。いや、遠目にはゆっくり見えるというだけで、実際にはとてつもない大きさのものがものすごい速さで動いているのだろう。でもそれが感じられないくらいのスケール感だった。なんだろう、窓の歪みが遠近感を狂わせているのだろうか。


 瓦礫がようやく地面に接触し、またゆっくりと土煙が立ち昇っていく。

「見て、瓦礫が地上に落ちていく」ディアナが顔を寄せて言った。

 言われなくても見ている、とカイは少し左へよけながら思った。顔を近づけられたのが嫌だったわけじゃない。ただ窓の占有面積を折半しようと思っただけだ。

「やっぱり暗い顔してる」

 カイは努めて口元に力を入れた。そうすれば少しくらい楽しそうに見えるんじゃないか。励まされている、というのがむしろ心の負担だった。

「カイくんの島ではああいった産廃を処理して再資源化する仕事をしていたんでしょう?」

「ええ、まあ」

「それってすごく非塔的(・・・)な営みよね」

「塔の上に資源はないし、地上から採掘できる量も限られている。できるだけリサイクルして塔の上で循環させなければ、いろんなものがすぐに枯渇してしまう。それが、非塔的?」

「でも、その限られた大地の資源を極限まで搾り取れるだけ搾り取ろうとするのが塔本来の機能なの。こっちへ来てから海水魚は食べた?」

「スズキって海水魚ですか」

「分類は汽水だけど、養殖は海水でしょう。その方がよく育つから」

「なんでそんなことを訊くんです?」

「汚れた海水は地上に垂れ流しになっている。海水だけじゃない。工業排水も。たとえフラムがなくなっても、有機溶剤が染み渡り塩化した土で農耕をやるのは無理でしょうね」

「浄化しないんですか」なんだか冗談みたいに聞こえたのでカイはむしろ無感動に訊き返した。

「全く処理していないわけじゃない。ヒ素やカドミウムなんか直に有毒なものは取り除いているし、加工すれば堆肥になるものもある。でもその他の全く利用価値のないものを濾過して溜め込んだところで、結局は地上に捨てるしかない。フィルターも目詰まりする。新しいフィルターを作るのにまた資源が必要になる。そこに人の営みがある以上、何らかの形でケガレが生じ、そのケガレは人の中で浄化することはできない」

「論理的には当然のことですけど」

「取り出すのが難しい資源ほど多くのクズを生み出す。そのクズは次の資源の取り出しをもっと難しくする。でも技術があれば取り出せる。その分たくさんクズを出す。人の世界はそのクズ山の上にあって、クズ山が大きくなるにつれてどんどん高いところへ追いやられて、その果てにこの塔ができたんだって私は思ってるの」

「つまり」

「つまりね、人が生きるというのは犠牲の上にしか成り立たないことだし、その罪を忘れて前向きに生きる権利はみんなに等しく与えられている。だって、その罪とまともに向き合おうとしたら、人間はもう絶滅するしかない」

「忘れて、ですか」

「心構えはね、いいのよ、どうせ忘れられないのだから」

「犠牲って言っても、生活の(いしずえ)になるのと塔の崩落に巻き込まれるのとはずいぶん違うような気がしますけど」

「そうね。違う、と思ってるから受け入れることができないのよね。汚れ役を買って出たはいいけど、メンタルがついてこないんでしょ?」

「認めたくはないですよ」カイは頷いた。

「気持ちはわかる」ディアナは窓に押し当てたカイの手の横に自分の手を並べた。小指同士が触れそうで触れなかった。

「なぜあなたはできるんです。肝が据わってる、とスピカも言ってた」

「あくまで信念ではなく自己分析として」と彼女は前置きした。

「ええ」

「たぶん、人並み以上に憎悪に鈍感にならなければ人並の生活を守れなかったからでしょうね。生まれからして王族を嫌う人間たちから疎まれていたし、王族の間でも派閥の潰し合いがあった。人間のそういう一面を当然のように眺めていて、当事者が直接自分に向けた言葉以外、そんなものは存在しないんだって割り切れるセンスが身についていたから、なのかもしれない。だから天使たちから恨まれるくらい、何でもなかった。メンタルの強さが必要な汚れ役なら適役だと思ってたわ」

「俺にはそんな才能はない」

「才能なんかじゃないわ。それはただ事実を事実として捉えられるかどうか、それだけなのよ。だって、スローンのことで誰かがあなたを責めた? ないでしょ」

「……ない」カイは思い返した。

「だとしたらそれは幻影なのよ。だから、大丈夫」


 アラドヴァルは旋回を続ける。スローンの姿は窓の右の方へ回っていた。もうすぐ見えなくなりそうだ。それで自然と目がディアナの方へ向いたわけだけど、彼女はスローンではなくカイの顔を見ていた。かなり横目だった。背後の窓から入った光が耳のあたりを照らしていた。

「あら、珍しいね、ディアナが男の子をたぶらかすなんて」制御室の戸口でスピカが見ていた。

「え、レズなんですか」カイは訊いた。

「違うし、たぶらかしてるわけでもない」ディアナはそう言って溜息をついた。雰囲気をぶち壊されてうんざりした様子だった。

「ふうん」とスピカ。

「スピカ、降りたら少しカイくんを借りてもいいかしら」

「いいよ。でもほどほどにね。クローディアが待ってるんだから」スピカはどちらかというとカイに向かって諭していた。

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