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ダルマ落とし

 ロタ・デル・ファト視聴覚室、ジリファは30以上並んだモニターの中からひとつの映像に目をつけた。モニターに振られた番号を見て手元のスイッチャーのボタンを押し込む。映像は中央の大きいディスプレイに同じ映像が映った。国境地帯で傍受したエトルキアのニュース番組だ。「視聴覚室」という名前は体面で、実態は諜報拠点だ。映像は地上に引いた直通回線で送られてくる。

 ニュースはフォート・スローンの被害状況を伝えていた。エトルキア軍は今朝行方不明者の捜索を打ち切り、死者数を公表した。その数、1200名あまり。しかし原因については触れていない。脱走した天使との関連性もあえて避けているように思えた。

 それでいい。エトルキア人の対サンバレノ感情を悪化させるような事態をペトラルカは望んでいない。

 スローンの破壊はある意味ではギネイスの戦果だ。オルメトの汚名を挽回するには十分な結果だ。今の元帥に伝えればあるいは名誉の回復もあり得たかもしれない。しかしそんなことをすれば自ら天聖教会の関与を主張しているのと同じだ。ペトラルカはキアラの救出作戦を天聖教会で独自に実施したのだ。そんなことをすればペトラルカの立場も天聖教会の地位も危うくなる。それは私のすべきことではない。望むことでもない。

 ジリファはスイッチャーのボタンをもう一度押した。ボタンは押し込まれた状態から浮いた状態に戻り、暗くなったディスプレイには人差し指の付け根を噛んだ自分の姿が映っていた。



………………



 首都西側にあるケンダルスヒルという軍事島がフォート・スローンの復興拠点になっていた。下層飛行場の広い駐機場は野戦病院のプレハブとテントでいっぱいになり、その端に手術室や集中治療室の機能を持った白塗りの病院機が並んでいた。

 ギネイスの奇跡は地盤をひっくり返すとともに低空にあったフラムを上空まで巻き上げた。塔は外壁を損傷して気密性を失い、中に閉じ込められていた人々は外界の状況もわからないままフラムを吸い込むことになった。空調システムのネットワーク自体が物理的にズタズタにされていたので警報すら鳴らない区画が少なくなかった。

 大半を占める軽症者は家に返されて療養中、重症者は鼻や口に人工呼吸器を差し込まれていた。さらに症状が重い者は寝たきりで人工心肺に繋がれ、肺の出血を吸い出すためのカテーテルが喉に直接刺さっていた。こうなるともはや肺移植を待つしかなく、目や鼻も炎症を起こして赤らんでいた。本人たちも朦朧とする意識の中で苦痛に耐えている様子だった。ベイロンの衛星都市でもフラムに侵されて死にかけている人々の姿を見てきたが、彼らはまだ慢性的な呼吸障害に限られていた。目の前の軍人兵士たちはもっと苛烈な痛みと戦っていた。喉の掠れる音よりも呻き声が耳をついた。重体者用テントの中にある20床あまりのベッドは満員で、それでもなおいくらか並べ直して詰め込んだ形跡があった。


 崩落そのものに巻き込まれて傷ついた人々はフラム患者よりもまだ多かった。仮設病床の7割は外科的な治療を待っている人々のものだった。外傷は彼らの方が深刻だ。酷いものはシピのケガを思わせるレベルだった。逆に言えばそれ以上に傷ついた人々は見捨てるしかなかったということなのだろう。

 テントの間を歩いていくと、カイたちと同じ便で渡ってきた民間人たちが家族の生存を確かめる姿がよく目に入った。それは息子娘であり、父母であり、彼氏彼女だった。生きていてよかった。そんな声が聞こえた。

 カイはそれを聞いて安堵しかけていた自分に気づいた。そもそも死者の場合家族が呼ばれたりしない。レゼの周りにいると感覚が麻痺しそうになるけど、島を渡るというのは本来すごく金のかかることなのだ。遺体が確認できた場合、誰かが焼いた骨を持って故郷の島まで送り届けるのだろう。死者のリストは臨時のターミナルから最も離れたところに掲げられていた。


 君たちは巻き込まれただけで、気負うことはない。スピカはそう言った。でも、だからそれでいいと簡単に片づけられそうな気分ではなかった。

 レゼ市が軍の行動を制限していなかったらスローンは崩落しなかったかもしれない。その程度の結果論で責められるなら、自分だって責められていいはずだった。レゼでギネイスたちを説得できたかもしれない立場なのだ。

 確かに自分のせいではない。それはわかっている。でも、わかっているだけだ。

 あるテントでは軽傷の兵士たちが崩落の原因に憶測を巡らせていた。うっすらとではあるものの、中層以上と最下層甲板のほとんどを失ったスローンの姿はケンダルスヒルからも見ることができた。

「一体どうしたらあんなことになるんだ」

「レールガンでもぶつけたのか」

「エトルキア以外に誰がそんな代物使うんだよ」

「インレから逃げたっていう天使だろ」

「レールガンじゃなくて、奇跡か」

「インレの電源を持たせてたって話だ。あれくらいのパワーは持ってたのさ」

「いやはや、おっかないね」

 まだ事実を知らされていないのだ。だがニュースで流れている情報を組み合わせて考えればアークエンジェルの仕業だというのは自然と行き着く結論だった。

 クローディアを連れてこなくてよかったとカイは思った。今のこの島で翼を露わにするわけにはいかない。絶対にダメだ。ロクな目に遭わない。それに、外科的な傷なら奇跡で治せる。1000人近い怪我人を前にしてどうすればいいかわからなくなってしまうかもしれない。ほんの出来心で1人でも手当てしてしまえば、残りの999人に負い目を感じることになる。手を出してはいけない。

 手を出さない、と彼女なら割り切ることができるだろう。でも、割り切るという判断は強いられる。ストレスには違いない。メルダースに任せてきてよかった。彼ならきちんと面倒を見てくれるだろう。

 カイの同伴はスピカとディアナだった。スピカは〈巨人の井戸〉計画の責任者で、〈巨人の井戸〉計画は塔の再生のためのものだ。スローンの復興は貴重なモデルケースになる。ディアナはむろん捕物作戦の後始末だ。


「また思い詰めているわね、少年」とスピカ。今日は作業服だ。こういう現場で軍服を着込むと悪目立ちする。

 が、ディアナはいつも通り純白の特注軍服だった。隣に付き添っているだけでなんだかそわそわしてくる。

「これを見て思い詰めずにいられますか」カイはスピカに答えた。

「横に立ってる中佐殿を見てごらん」

「まるで何も考えてないみたいな言われようじゃないの」

 通りがかりの若い男性兵士の一行がディアナに気づいて軽い敬礼を向けたり手を振ったりする。彼女はそれに手を振り返していた。

「肝が据わってる、という言い方の方がいいかな?」とスピカ。

「責任は私にも大いにある。特務部隊のヘッドなのだから、それは当然でしょう」確かに肝の据わった言い方だった。

「広報局はさっさと事態を公表した代わりに、あなたを矢面には立たせなかった」

「ほんと。ヤな連中だけど、頭が上がらない。でもね、他人に対して……」


 ディアナを見ていた兵士たち一行がふと顔を上げた。目線を追っていくと1機のスフェンダムが中層飛行場に向かってアプローチしているのが見えた。主翼後端のフラップを目一杯下ろしている。エンジンを絞っているのと風下のせいで音が消えていた。

 機体が黒く見えるのは逆光のせいだろうか、と思ったが、違った。普通のスフェンダムより明らかに黒い。その影が頭上を通り、中層飛行場の上に滑り込んだ。まだ滑走路の縁から翼端がはみ出している。すごい大きさだ。

「レ・トゥアハ……あれが塔崩しの弓」スピカが呟いた。

「行きましょう」とディアナ。

 3人は下層の格納庫から外壁エレベーターに乗って中層に向かった。

「さっき何て言ったんです?」カイはスピカに訊いた。

「レ・トゥアハ。光の矢という意味らしいわ。レールガンを装備したスフェンダムはそう呼ばれている」

「レールガン……。アイゼンで見ました」

「アイゼンで墜ちたのは3号機のジェルミ。レ・トゥアハは12機製造されて、その1機1機に愛称がつけられている。いま上にいるのは5号機のアラドヴァル。12機の中で最も大きな口径の砲身に対応し、反面、次発装填機能は省略されている」ディアナが説明した。

「使用弾頭が違う?」

 スピカはブリーフケースからプリントを1枚取り出した。作戦書だろうか。

「アラドヴァルは口径520ミリ、弾頭重量約2トン。砲口初速は3200メートル毎秒」「運動エネルギー換算で2000トンの物体が自由落下してくるのと変わらないってことになる。ギネイスの奇跡に匹敵する」とディアナ。スピカの方が情報を持っているが、どちらかといえば詳しいのはディアナのようだ。


 アラドヴァルは中層駐機場の真ん中に佇んでいた。やはり黒い。普通のスフェンダムがライトグレーならこいつはダークグレーだ。アンテナ類のフェアリングで機体のあちこちがデコボコしているのが輸送機型との違いだが、何よりの特徴は機首下端から前方に突き出した砲身だった。スフェンダムそのものの全長も100m近いはずだが、砲身の長さはさらに3割程度は長そうだった。もともと低いところにあるコクピットは砲身を跨ぐようにやや高いところに移されているのがフロントガラスの位置でわかった。

「前方にしか撃てないんですか」カイは訊いた。

「いいえ、腹下の真ん中にターレットがついてるの。でも出しっぱなしだと着陸の時は擦るでしょ」とディアナ。

「半格納式」

「そう。空気抵抗が減るから巡航にも都合がいい。原型でいう貨物室の下半分が砲架の格納スペースとターレットの駆動システム、上半分が大容量コンデンサ、制御室はコクピット後方で、背中に一番近いところにキャビンがあるのは輸送機型と同じ」ディアは機体を指で差しながら説明した。

「あ、で、なんでそんなものがここに」

「えっ」ディアナはちょっと吹き出した。そんな根本的な質問が飛んでくるとは思っていなかったのだろう。「スローンの主塔を解体するのよ」

「……ええと、あれで、あの塔を、撃つってことですか。その、アイゼンみたいに」カイはアラドヴァルとその背後にうっすら見えているスローンを交互に見ながら訊いた。

「そう。だけど、アイゼンとは違う。もっと確実に、一撃で、最下層甲板の直上で主塔を|刎〈は〉ねる。それこそ、首をすっぱり斬り落とすように」

「わ、わけがわからない」

「もしかして、残った甲板にクレーンでも立てて瓦礫を一個ずつ取り除く方が確実だとでも思った?」とスピカ。

「違うんですか?」

「そう、違う。あの主塔はまだいつ瓦礫が降ってくるかわからない状態なんだ。今までの捜索だって相当安全に気を遣っていたけど、それも最下層甲板より下の階層にしか踏み込まなかった。岩塊が衝突した階層に立ち入るなんて、とても危なくて無理なんだわ」スピカは続けて説明した。

「アラドヴァルの弾頭なら、本体の運動エネルギーと衝撃波でもって主塔を綺麗に切断することができる。崩すのとは違う。刎ねる、って言ったでしょ?」ディアナが言った。

「慎重な手段がいつもいつも最適解とは限らないってことね」とスピカ。

「要は、ダルマ落とし。砲口の形を見れは少しは納得できるかな」

 ディアナはそう言って機体の周りを物々しく囲んでいる警務兵に近づいていった。軽く手を挙げて横をすり抜ける。相手は敬礼で返してスピカとカイもスルー。いわゆる顔パスだ。そうか、そのための白服か。

「これ、民間人が近づいて大丈夫なやつなんですか?」カイはちょっと落ち着かなくなってきた。

「レベル2の軍事機密。許可なく記録、口外すれば禁固刑」ディアナはまるでなんでもないことみたいに答えた。

「ヤバいやつじゃないですか」

「カイくんは大丈夫」

「なんで」

「かわいいから許す」

「嬉しくないですよ」

「じゃあ言葉を替えよう」ディアナはこっくりと首を下げてカイの顔を覗き込んだ。「君には知られても構わない。いや、むしろ知る義務がある。なぜなら私たちはともにあの崩落の原因に関わっている、いわば共犯関係だから、と」

 カイはゆっくりと小さく頷き、口の中に溜まっていた重たい唾を飲み込んだ。


 砲口は上下に扁平な菱形といった感じで、砲身内には当然ライフリングはなかった。ただレールガンらしさというか、磁石っぽさも感じられない。一見ただの鋼鉄だ。

「この形だと超音速で衝撃波が水平面により大きく広がる。それがあたかもカッターのように振舞う」ディアナは砲口の左右の端を指しながら説明した。

「塔を切り落とすための形、ですか」

「その通り。専用の砲身。ルフト戦役の時はかなりの塔が傷ついて、一時はまだ生きてる塔が100基以上も修復不能と言われてたらしいわ。それを打開したのがこいつ」

 機首を見上げると窓枠の下に白い塗料で装飾体の文字が書いてあった。たぶん「アラドヴァル」と読むのだろう。長さ的にはそれくらいだった。

 胴体後部では装填作業が進んでいて、重機みたいなゴツいアームで砲尾に細長い弾頭を差し込んでいた。余計な模様や塗装は一切ない。つやつやに磨き上げられた重金属の塊だった。

 砲尾の両脇にはミサイルのノズルを人が入れるくらい大きくしたような漏斗型の部品が並んでいて、発射の反動を打ち消すのにもものすごい力が必要なのだろうと窺わせた。

〈捜索隊の退避完了を確認。フォート・スローン上の無人を確認。アラドヴァルのタキシングを待つ〉

 構内放送が入ってスピーカーがキィンと唸った。

「さ、乗り込みましょう」ディアナが背中を押した。機体側面ドアのタラップは目の前だった。


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