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眼下の花園

 聖堂のあるロタ・デル・ファトからキアラのいるヴェルチェレーゼまではジリファと2人で飛んだ。距離は6㎞ほど。エトルキアの感覚で言えば手の届くような距離だが、ロタ周辺の密集具合を考えればやや僻地といえるレベルだった。

 ジリファは白いローブをはためかせながらほとんど何も喋らずに前を飛んだ。雰囲気そのまま、無口な性格なのだろう。

 ――いや、待て。ラウラは思いとどまった。

 あるいはギネイスを死なせてしまったことで蟠りを抱いてはいないだろうか。インレからレゼへの脱走を手助けしたのだ。そのあとも支援してもらえればギネイスを救えたのではないか、とジリファが思っていたとしても無理はない。実際ラウラはその間魔術院に閉じ込められていたのだが、人間であることを隠している以上そんな事情を話すわけにもいかない。

「白い服を見るのは初めてだね」結局ラウラの方から話しかけてしまった。

「戦士が黒い服を着る理由は知っていますか」

「ああ。聞いたことがあるよ」

 サンバレノ国外で戦う天使が黒、すなわち他の色に染まらない色を身に着けるのは他国の文化に影響されてはならないという戒めの象徴だと聞いた。

「本国ではこれが普通です。黒を着ていたら『ああ、出征なんだな』と思われてしまう」とジリファ。

「白か黒?」

「仕事中は白ですね。プライベートでは他の色も着ます。ただ外套の類でカラフルなものは見かけませんね。ほぼ兼用ですから」

「なるほど」

 飛び立ってからしばらくロタの下層の街並みを眺めていたが、ほとんどみんな白を着ているように見えた。そういうわけか。

「サンバレノのアークエンジェルが生まれて最初に習得する奇跡はだいたいひとつに決まっています。わかりますか?」ジリファが訊いた。

「……いや、なんだろう」

「シミ抜きの奇跡です」ジリファは真顔だったが、どうやらユーモアだった。「トマトソーススパゲッティを無傷で切り抜けるのはとても難しいです」

「そんな奇跡があるんだね」と返しそうになってラウラは思いとどまった。自分は今天使なのだ。エトルキア生まれでサンバレノでの呼び方を知らなかったとしても、普通に生活していればそれくらいの奇跡は試しているのではないか。

「毎食毎食じゃ道具を使った方が楽そうだ」ラウラは言った。

「シミ抜き棒を買うのはエンジェルです。アークエンジェルなら使わない」

「ああ、沽券(こけん)に関わると」

「はい」

「より便利な道具を避けてあえて奇跡を使わなければならない、か。この国のアークエンジェルも窮屈だね」


 ヴェルチェレーゼは下層の南面に突き出した大きな桟橋がひとつあり、それを中心に水平・垂直方向に街が広がっていた。民家らしい小さな建物が集まっているが、ロタに比べると住民はかなり少ないのだろう。中層レベルには大きな箱型の建屋が見えた。人間や天使の住むサイズではない。建屋は主塔を取り巻くように階段状に並んでおり、それぞれ下端のレベルにそれこそ巨大な踏板のような甲板が張り出していた。ただし南向きの建屋は奥行きも小さく甲板もなく、下層の日当たりを考慮したような構造だった。大きな建屋は上層まで続き、最上層のレベルには再び小さな集落と相応の規模の桟橋が見えた。

 だが何より目を引くのは塔の根元だった。塔の向こうに見える地表が緑色なのだ。山々のピークに囲まれた1辺5㎞にも満たない範囲だが、明らかに草木が生えていた。しかもその中に小屋のような人工物が点々としていた。生活の気配がある。

「驚いたな、地上にも街があるとは」ラウラはジリファに言った。

「ヴェルチェレーゼは牧場とも呼ばれています。中層のあの大きな建物群がそれです。中でクレアトゥーラを育てています」

被造物(クレアトゥーラ)……。ああ、グリフォンのことだね」

「他にもいますが、中層はグリフォンですね。下層がエントランスとエンジェル街、上層は主にワイバーンの厩舎、最上層は管理層、地上にはクレアトゥーラの餌となる家畜の牧場と、その世話をする人間たちの集落があります」

「そうか、牧草地というわけだ」

「塔の基点標高は2201メートル。高原です。3000メートル以上の尾根に囲まれていて、北向きに抜ける谷も風下にあたるためフラムが流れ込むことはまずありません。水と食料は塔が供給していますし、フラムに対して脆弱な生き物でも安全に生活できる条件が整っています」

 ラウラは振り返った。何もヴェルチェレーゼの奥だけに植生が残っているわけではない。緑そのものは山地のあちこちに点在していた。ただ、塔の基部がより低いところか高いところにずれていて連絡が断たれているのだ。低すぎればフラムの影響が出るし、高すぎれば植物の生育できる気温ではなくなる。塔の建設時点では旧文明の技術をもってしても将来のフラムスフィアの上限高度と気温の変動を予測することは不可能だったのだろう。むしろサンバレノの塔の分布はどれか1基でもその「生き残った地上」との繋がりを回復しうるようにあえて変化をつけて密集させたのかもしれない。


「この土地を天使の国が手に入れたのは皮肉だね。エトルキアやルフトが欲しがりそうなものだが」桟橋に降り立ったところでラウラは西側の縁に立って高原を見渡した。まるで湖のように草地が広がっている。

「そうでしょうか。かつて我々天使はあえてこの地を目指して集まったのだと聞いていますが」とジリファ。

「塔の到達高度が高いからだろう?」

「ええ。でも、かつて人類が地球そのものを食い潰したのと同じように、もしこの土地が人間たちのものになっていれば彼らは自らの住環境として何の躊躇いもなくこの草原を破壊していたでしょう。牧畜も環境破壊には違いありませんが、教会は放牧をかなり制限しています。草の中に点々と白や黄色のものがあるのが見えますか。オキナグサやキンポウゲの花の時期です」

 確かに厩舎はあるが草原の中に放たれた牛などは見えない。花畑があるのは家畜に食い荒らされていないからだ。

 ラウラが眺めている間にジリファは桟橋を袂の方へ歩き出していた。ボーっとしていると見失いそうだ。慌てて追いかける。

 長さといい幅といいちょっとした滑走路ほどもある桟橋では天使たちが喋ったり座ったりして気ままに過ごしていた。人口密度はタールベルグと同じくらいかもしれないが、それでもラウラは一度にこんな大勢の天使を見るのは初めてだった。彼女たちは外から他の天使が飛んできたからといって特に気にかける様子もなかった。

「階級意識からすれば天使街はクレアトゥーラの厩舎よりも上の層に置くべきですが、クレアトゥーラと人間の接触を制限・管理する意味もあって下層に置かれています」

「天聖教会は比較的そのあたりは緩いと聞いたことがあるね」

「その影響もないとは言えませんね。あるいは人間にグリフォンの世話をさせるのもいいのかもしれませんが、手懐けて兵器転用されると教会としては厄介、というか立場がないですから、合理的判断です」


 ジリファはまっすぐ主塔の中に入り、上階行きのエレベーターを呼んだ。塔の内部構造はエトルキアの塔とそっくりだったが、外壁のエアロックはほぼ完全に解体され、通路の幅と足元の平滑さが優先されていた。塔の気密性はほとんど失われているだろう。フラム耐性のある天使にはシェルター機能など無用というわけだ。

 上層まで上がって主塔の通路を抜けると石切り場のような四角い空間に出た。正面の大きな開口の下に黒く大きなものがうずくまっていた。

 最初それは炭の山のように見えた。が、首が動き、背中がぐにゃりと動いてこちらを向いた。

 グリフォンだ。一見ワシのような雰囲気だが、大きさといい、4つ脚に翼を備えた骨格といい、鳥類とは似ても似つかない。

 グリフォンは伸びをするように翼を広げた。翼端から翼端まで優に20mはあるだろう。軽く羽ばたいただけで部屋の奥まで風が吹いてきた。前足をぐっと伸ばし、後ろ足を踏ん張ってぐっと背筋を伸ばす。前足の爪がカリカリと床を掻いた。見下ろすとラウラの足元の床にも何本か深い爪痕が刻まれていた。

 グリフォンと目が合う。黄色い虹彩。

 もしかして、狙われている? 全身の皮膚の一枚内側で鳥肌が立つようなゾッとした感触が走った。

 恐がっているのか、私は。

「こら、こら、だめだ、ネロ」

 開口左手の陰の中で何か白いものが2つ光った。目だ。そこにいた天使――キアラが立ち上がってグリフォンの嘴をぐっと押さえた。

「キアラ、お客さん」とジリファ。

「お客さん?」

「インレを出る時に助けてくれた天使がいたでしょう。火球使いの」

 キアラは目を細めた。こちらが暗くて見づらいのだろう。ラウラはそう気づいたが、なんとなくグリフォンが恐ろしくて足が前に出なかった。

「ああ、思い出した」キアラは小走りに近づいてくる。羽織っていたマントが捲れてインナーが見える。ツーピースのとても短いジャケットとサイドがざっくり開いたスカートで、腹部と太腿はほぼ丸見えだった。薄着が好きらしい。

「この子がキアラです。インレでは私と一緒に救っていただきました」

「キアラ、プリンシパルです。その節、感謝します」キアラはサンバレノ式に膝を曲げて挨拶した。態度そのものは恭しいがやはり目は警戒を解いていない。切れ長の鋭い目つきだ。

「教会の戦士で、グリフォン使いでもあります」とジリファ。

「あの子はネロ。私の相棒です」キアラは振り向いて親指でグリフォンを指した。

「私はラウラ。しばらく滞在させてもらうことになったので、どうぞよろしく」

「……すみません、ご迷惑を」

 そう、エトルキアの天使がサンバレノに渡ってくるというのはよほどのことだ。エトルキアにいられなくなったという事情を察してくれたのだろう。

「気にしなくていい」

 ネロが鳴いた。「ピューイ」という甲高い音で、鼓膜に突き刺さるような感じだった。

「ああ、自分だけハブられて拗ねてるんです」キアラはまたちょっとだけネロの方を振り返って手を広げた。おそらく「待て」のサインだ。キアラはラウラがビビったのを悟っていた。「グリフォンは初めてですか?」

「初めてだね」

「私の方をロタに呼んでくれればよかったのに」キアラはジリファに言った。

「ペトラルカが会わせてきなさいって」

「ああ。――じゃあ、せっかくですから、厩舎を見て行きますか。時間があれば、ですが」

「それなら頼もうか」勘のいい少女だな、と思いながらラウラは答えた。

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