エクリプス
エトルキア中央平原上空、高度6000m。
高速輸送機T348プープリエ「巨人の井戸」作戦仕様改造機機内。
初めて座る操縦席だったが、離陸からすでに2時間近くが経過してカイ・エバートは操縦に慣れつつあった。
「だからって、免許もない人間に他人の乗った飛行機の操縦を任せるなんてなあ……」
「カイくんはセンスがいいのよ。私が認めて、私が許可を出したんだから、万事問題ないわ」
副操縦士席にはディアナが座っている。サン=ジェルマン・インレを離陸して航空路に乗るまでは彼女の操縦だった。
「まったく、この国は権力者が好き勝手に道理を曲げる――」
「ん゛?」
「ア、イヤッ――いや、感謝してます。タールベルグじゃこんなまともな飛行機には乗れなかった」
思考が緩くなって口に出やすくなっているな、とカイは自覚した。操縦しているせいだ。飛んでいる時特有の浮遊感が原因だろうか。普段も結構独り言を言っているはずだが、機内は1人きりなのであまり問題にならないし意識もしていない。
「針路よし。スロットル・スロー。高度そのまま、速度400まで落として」とディアナの指示。
至って真面目な調子だ。ふざけている時と真剣な時の差がわかりやすい人だな、と思う。
「高度そのまま、速度400」カイは復唱した。「――それに、クローディアの力試しにも付き合える」
〈目標まで10キロ……今。スピカ、そっちは大丈夫?〉ディアナが機内回線で訊いた。
〈オーライ。いつでもランプ開ける。カイ、あなたの操縦? なかなか上手いわね。全然揺れてない〉スピカ・メルダースが後方のキャビンから答えた。
「まっすぐ飛んでるだけですよ」
〈私もオーケー。いつでも出れるわ〉とクローディアもキャビンから。
カイが体を捻って細い通路の後ろを見るとクローディアが腰に手を当てて親指を立ていた。
着ているのは普段着でもバトルドレスでもない。鉛のプレートをベストと腿当てと脛当てに仕込み、ヘルメットとバイザーにまで放射線低減材を練り込んだ耐核環境装備だ。クローディアだけではなくスピカもディアナも、むろんカイ自身も同様の死ぬほど重たい戦闘服を身に着けていた。プープリエ自体も胴体内の床面壁面と天井に内張りを施して対策している。そういう意味での「特別仕様改造機」なのだ。プレーンの同機種に比べて重量が2トン近く重くなっている。そのせいで航続距離が1000㎞も短くなり、離陸速度と着陸速度も30㎞/hずつ増えている。たかが30と思わないでほしい。これは飛行機乗りにとって結構由々しき振れ幅だ。
では、なぜこんな装備が必要なのか?
これから核爆発を間近で見ることになるのだ。砂漠のど真ん中、地中深く埋め込まれた核爆弾の信管にクローディアの奇跡をぶち当てて起爆しようというテストである。上手く起爆できれば、地殻に到達した深い竪穴から塔のエネルギー供給に十分な地熱を取り出すことができる。塔の新規建設を目標とする「巨人の井戸」作戦のブレークスルーになる。そして先述の通りクローディアの回復具合の診断も兼ねていた。これからクローディアだけが機外に出て地上に向かって狙いを定めることになる。
「速度400」カイはコールしながらスロットルを押して機速を維持した。
ディアナは少し腰を浮かせてターゲットの位置を確認した。すでに機首の下に入っているのでカイからは見えないが、先ほどまでは地面にシミのような黒い点があるのが見えていた。
実際は点ではなく爆弾を埋め込んだ大きな穴だ。直径は約10m。その全体が信管として機能するという話だったけど、高度6000mから見れば針の穴以下だ。その下に地殻を貫くための指向性核爆弾が埋まっている。
むろん雲がかかっていれば穴の口など見えなかったはずだ。現に前日は雲海が広がっているという理由で順延になっていた。かといって雲の下の高度から起爆するのはあまりに危ない。いくら指向性といっても相当の爆圧が地上に向かって吹き上がってくる、という話だ。待機1日で実施できたのはむしろ好運じゃないだろうか。晴れてよかった。
〈ランプ開く。フラップ20度、速度350まで落として〉とディアナ。
カイは左手をスロットルレバーから滑らせてフラップレバーを2段下に移した。目の前のHUD(透過ディスプレイ)の中でやや下にあったベロシティマーカーが機体中心軸のマーカーと重なり、速度が自然と下がっていく。そのままだと高度が上がってしまうので操縦桿をやや押し気味にしてあった。
〈行くよ〉とクローディア。
直接は見えないが胴体後部のランプから後ろへ飛び出したようだ。彼女のハーネスに一端をつないだワイヤーがキャビンのウィンチから引き出されていくのが機体の微妙な振動でわかる。
コンソール真ん中のバックモニターに黒い翼が映った。カメラもディスプレイも高解像度だ。肉眼で見るのとほとんど変わらない。クローディアは翼を広げたり閉じたりして姿勢を安定させていた。350㎞/hでも天使が自力で飛行するよりずっと速い速度だし、プープリエの後流もある。煽られて当然だ。
〈大丈夫?〉スピカが訊いた。
〈大丈夫、安定した〉とクローディア。
インカムも問題なく機能している。
〈目標直上まで5000〉とディアナ。
〈見えてる。準備よし〉
〈偏差に気をつけて〉
〈真下に撃っても機速で流れる、でしょ? ブリーフィングで聞いたわ。でも350なんて光の速度に比べれば止まってるのと同じだって。風の影響も受けないし〉
〈直下に10キロ、その精度わかってる?〉
〈わかってるわかってる〉
「準備に――」
〈あと10秒〉クローディアはディアナの言葉を遮った。いや、インカムの送話を押しっぱなしにしていたのだ。ディアナの声は隣から直に聞こえたものだった。
〈5〉
クローディアは残り5秒から読み上げる。
〈4、3〉
フロントガラスの中で妙なことが起きた。まるで空が膨らむように水平線が押し下げられ、超高空で見るような天頂の暗さが目の前に迫ってきたのだ。腰を上げて地上を覗き込んだが、そこには真っ暗な闇が広がっているだけだった。まるで星々の光も届かない宇宙の辺境を飛行しているみたいだった。
その現象はバックモニターの中でも同様に進行していた。画面の色彩が洗い流されるようにすっとなくなり、真っ黒の画面からはクローディアの姿も消えてしまった。
「ああ、これがエクリプス……」ディアナが薄ら笑いを浮かべながら呟いた。
そう、それでいて機内やコンソールはほとんどはっきりと視認することができていた。自分で光を発しているもの、太陽以外の発光体によって照らされているものは自然な見え方のままだった。
光を曲げているのだ、というのはわかったが、太陽光だけを選択的に操っているのだ、と理解できるまでにはかなり時間を要した。
〈2、1〉
カウントが進み、ゼロは無音のうちに過ぎ去っていく。
そしてまるでパッと電球が灯るかのようにもとの外界が戻ってきた。
〈ウィンチ!〉とクローディアのコール。
自力のトップスピードより高速で飛んでいるのだ。前方を飛ぶプープリエに戻るには引っ張ってやらないといけない。
ウィンチがウウンと唸りワイヤーを巻き上げる。
〈収容……よしっ。ハッチ閉じ〉スピカがキャビン側の直接操作で後部ランプを閉める。
「行け、加速」
核爆弾が真下で起爆するのだ。やることをやったらできるだけ素早く退避しなければならない。
カイはディアナに言われるより早くスロットルレバーを押し込んだ。突っ放した、といってもいいくらいだ。レバーの動きが重くなるレッドゾーンの一番奥まで押し込んでそれ以上進まないのを確かめる。
1秒ほどのタイムラグののちエンジンの轟音がごうごうと機内を包み込み、強烈な加速で体がシートに押し付けられるのを感じた。首も動かせない。両翼の下に1基ずつ埋め込まれたエンジンがアフターバーナーに点火、それぞれ20トン近い推力で機体を押し出す。HUDの速度計が読めないほどのスピードで目まぐるしく流れていく。かろうじて桁数だけは把握できる。間もなく4桁の大台に乗り、ほぼ10秒で音速を突破したのがわかった。戦闘機だってなかなかこれほどの加速はやらないだろう。
そしてなお加速中のプープリエを後方から衝撃波が飲み込んだ。一瞬だけ飛行姿勢の乱れを伝えるアラームが鳴る。カイも右手に力を入れてスピンやディープストールに備えたが、一度ぐわんと揺さぶられただけですぐに水平飛行に戻ることができた。
「かなり分厚い衝撃波だったわね」とディアナ。
「分厚い?」カイは訊いた。変な言い回しだ。
〈爆発が立て続けに起こったってことね。起爆の連鎖が上手く行くと『分厚く』なるのよ〉スピカが説明してくれた。
衝撃波のせいでバックモニターの映像がざらざらと乱れていた。正常に戻ったところで高く吹き上がる爆煙が映っていることに気づいた。粘土のように固くごつごつした煙の塊が天を目指して際限なく駆け上っていく。まるで塔のような高さだ。キャビンにいた2人も操縦席の入り口に顔を出してその映像に見入っていた。ちょっと真後ろを覗き込んでみたが、胴体後部の分厚いランプがしっかりと閉じていて外の様子は全く見えない。
「全員無事ね」とスピカ。
「なんともない?」カイもクローディアに訊いた。
「大丈夫だけど、巻き上げられるときに肩がグキってなったわ。グキって」クローディアはちょっと戸口から離れて右の翼をぐりぐり回した。腕かと思ったけど、翼の方か。
「折れた?」
「折れてない、折れてない。でもウィンチがいきなり全力なんだもん」
「あ、それはそうと、さっき私の話遮ったでしょ」とディアナが振り返る。
「え、いつ?」
クローディアはとぼけているわけじゃない。ディアナの送話が入っていなかったのだから知らなくて当然だ。
「準備にだってすごい人出とお金がかかってるんだから、慎重にやってって言おうとしたの」
「そういうのはブリーフィングで聞いたわ。直前に時間かけることじゃない。だいたい、この国では資源は無償分配なんでしょ?」
「それでも穴掘って爆弾埋めるのにものすごい人件費がかかってるのよ。人手はタダじゃないわ」
「慎重にやれば成功するなんて道理もないし、だいたい、どんなもんよ、これなら成功でしょ? どうなのスピカ」
「線量が下がるまでは近づけないし、レーザーも通らないから、結果が出るのは1週間後ってところ」とスピカ。
「えー、そこまでは先に聞いてなかったわ」
「いいじゃない。クローディアの奇跡がすごいってことはわかったでしょ。ね、ディアナ」
「そうね」ディアナは肩を竦めた。「エクリプスの名は伊達じゃなかったわ」
「え、何それ」とクローディア。
「わが国におけるあなたのコードネーム。サンバレノの天使との闘争は一部エトルキアも感知はしていたわ。手を出さなかっただけで」
「エクリプス……なんかヤダな。車の名前みたいで」
「え、カッコイイじゃないの」とスピカ。
「うーん、もっと、こう、ザトメーニャとか、チョールヌイとか」
「なんでロシア語なのよ。っていうか自分でつけたらコードネームにならないでしょう」ディアナも言い返す。
バックモニターには依然としてごつごつした煙の塔が映っている。まるで薄れる気配がない。時間が経てばきちんと消えてなくなるのか、不安になるくらいの存在感だった。
カイは右前方下方に別の飛行機を見つけた。待機していた観測役の輸送機だ。起爆地点を中心に周回コースを取っている。少なくともそこから向こうは安全圏だ。もう速度を緩めても大丈夫だろう。スロットルを引いてエアブレーキを展開、減速しながら旋回して後ろから編隊を組むように接近する。
4発機でプープリエよりも大柄な飛行機だったが、横並びになったところでプープリエの上下左右をぐるりと回って外見の点検をしてくれた。
機種はT271ノワ。地上の不整地での離着陸を考慮して直径の大きなタイヤを装備している。それを収めるための胴体の大きなバルジと、砂塵の巻き上げを避けるために主翼の上に持ち上げられたエンジンが特徴だ。いざという時は地上に飛び込んで救難を行うのも役目なのだろう。核を扱うというのはそれだけ危険な行為なのだ、というのがよくわかる。幸いプープリエに問題は見られなかったようで、ノワはゆったりともとの位置に戻った。




