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クイーン・オブ・クイーンズ

 クローディアはギグリに従って城の廊下を歩いた。どこもかしこも天井の高い造りで、電球を変えるのが大変そうだな、と思った。左手の窓も天井近くまであるランセット型をしていて、格子にはめ込まれたガラスが太陽の光をきらきらと屈折させていた。床には赤い絨毯が敷かれ、かなり歩きやすいふかふかした感触だった。

 そういえばこのスニーカーも他の服もジャンパーも一式アルルに借りてきてしまった。返さなければ、と思ったけれど、返せるのかどうかを考えると少し気が重くなってしまった。

 ギグリの背中に目を戻した。着物の脇は帯の高さまで前後が縫い合わされていない。なるほどそこに翼を通しておけばきちんと服が着れるし動きの妨げにもならない。オーダーメイドだろう。巧いつくりだ。

 ギグリは階段を上がり、最上階の奥の部屋に入った。間取りがイチョウ型をした特徴のある部屋で、真ん中に普通のベッドを10個くらい固めたような巨大な屋根付きのベッドがあり、壁の平たい方に寄せてドレッサーや大きなクローゼットが置かれていた。下は赤いカーペット、壁も廊下と同じ材質だが、ドーム型の天井には写実的な空が描かれていた。青みの少ない灰色っぽい空だ。

 これは鳥籠なんだ。クローディアはそう思った。

「傷の治療を、というお達しだったわね」ギグリはそう言って部屋の扉を閉めた。「ここならいくらあなたを虐めても誰も気づかないわ」

 クローディアはジャンパーをベッドの縁に置いてギグリを見返した。

「その目、私好きよ。不安と反抗の色。でもあなたには特別に優しくしてあげる。なぜならあなたはすでに彼に愛されているから」

 この人はなぜこんな物言いをするのだろう、というのは確かに思った。でもそれはどちらかというと興味だった。

 この人はどういう性格なのだろうか。

 本当に黒羽を嫌っているのだろうか。

 クローディアは再びセーターを脱いでベッドに座った。ギグリは横に座って両手で左腕の患部に触れた。

 そのまま10分ほど待つと皮膚の内側が黄色く発光するような具合になった。ギグリの術式領域が骨折部分を覆っているのだ。

 翼と背中の傷にも同じようにフィル(注入)を行い、翼の金具は骨がくっつくまでそのまま、背中は傷口が完全に塞がったので再生促進で癒着してしまう前に縫合糸を切った。


 ドレッサーの三面鏡に背中を写してみると背中の傷は綺麗に塞がっていた。鞭で打たれたような赤みが浮かんでいるだけだ。それはフィルによる「焼け」のようなものなので少し待てば消えるだろう。痛みもない。背中を丸めても突っ張ったような感じもしなかった。

「骨の方も一晩も待てばギプスがいらないくらいになるでしょう。翼の方は寝る前に治具を外さないとだめね」

 ギグリは立ち上がって切った糸を屑籠に捨て、クローゼットを開いて巻き尺を取り出した。指招きしてクローディアを呼んだ。

「あなたの衣装を作りましょう」

 ギグリはとても神妙な顔でクローディアの体のあらゆる部分のサイズを計測した。たぶんその間に服のデザインを考えていたのだろう。巻き尺を巻き取ると先ほどの障壁オーベクスと同じ術式フォーミュラでクローディアの体に3Dポリゴンのような小さな三角形の集合体を呼び出し、さらに光学術式を上掛けしてその色を黒く染めた。

「裾が長いのは似合わないわね。あなたは細いし脚が長いからそこは見せなさい」とギグリ。

「服も黒なの?」

「あなたは黒羽を買われたのよ。それを売りにしなくてどうするの」

 やっぱりそうだ、とクローディアは思った。

 この人は単に黒羽を忌み嫌っているわけじゃないんだ。ただそれをダシにして私を虐めたり憐れんだりしたいだけなのだ。

 それならもう少しフランクに接してもよさそうだ。

「ありがとう。傷を治してくれたり、服を作ってくれたり」

「礼ならアーヴィング様に言いなさい。私の意志ではないのだから」

「でも、あなたに」

 ギグリは居心地悪そうに背中を向けてドレッサーに置いてあったカメラを取りに行き、「ほら、まっすぐ立ちなさいよ」と言ってクローディアの全身を写した。

 それからスケッチブックにも服のアウトラインを描いて、襟や袖、ウエストなどのディテールと注釈を書き込んだ。

 ギグリが作業を終えると障壁でできていた3Dモデルは砕けて消えた。

「自分で縫うわけじゃないんだ」

「裁縫を好んでやる娘がいるから彼女に任せているの」ギグリはクローゼットを開けて当面の服を見繕った。いくつか取り出してクローディアの方へ向けて色やデザインを合わせていた。

 まだ少しかかりそうだったのでクローディアは体の右側を下にしてベッドに倒れ込んだ。骨折も背中も嘘のように痛みが引いていた。骨ももうだいぶしっかりしてきたみたいだ。そう思って左腕と翼をまっすぐ上に上げてみた。

「あたっ」

 どこかでパキッという音がして痛みが戻ってきた。

「バカね。まだ鎮痛アナージェスが効いているんだから」

 いくら奇跡だって一瞬で完治させられるわけじゃない。骨がつながっても周りの組織の腫れや炎症などはしばらく残る。

「これを着なさい」

 ギグリが選んだのはエプロンのように背中の開いた黒いドレスだった。首と腰で吊るようなつくりで、裾はフレアの膝下丈だった。揃いのジャケットはサイドベンツが肩の後ろまで切れ込んでいて、裾でボタンを留めると綺麗に翼を出すことができた。クローディアは少し翼を動かして着心地に満足した。

「ねえギグリ、この城にはあなたの他にも天使がいるの?」

「いいえ。私とあなただけ。昨日までは私だけ。もう10年以上私1人だったわね」

「あなたも買われたの?」

「まさか。一緒にしないで」

 ギグリはスケッチブックとカメラを抱えて部屋のドアを開け、クローディアを呼んだ。

 そういえば部屋の前に衛兵を置いたりしないのだろうか。無防備だとクローディアは思った。まだ飛べないから逃げられないと思っているのか、いずれにしてもとりあえずギグリがついているので余計な人手はいらないということか。

「フェアチャイルドは本当にレースのためだけに私を捕まえたのかしら」クローディアは訊いた。でもそれは本気の質問ではなかった。何か企みがあるならそんな簡単に明かすわけがない。ただギグリの反応を見たかった。

「彼はそうかもしれないわね」

「かもしれないって、聞かされてないの?」

「自分の欲求には素直で、そのためならいくらでも計略を巡らせるわ。でも根本的にあまり複雑なことを考える人ではないのよ」

「生粋の財界人なわけね」

「そう。ただ、私の関心は別。なぜあなたの羽根が黒いのか、私は興味があるわ。せっかく手元に来たのだから調べてみたいじゃない。生まれつきなのでしょう?」

 クローディアは頷いた。

「あなたの母親はどうなの? 遺伝なのかしら」

「いいえ」

「でしょうね。私もあなた以外知らない」

「私のことは知っていたの?」

「あら、サンバレノではわりと噂だったのよ。もっともこんな貧相な娘だとは思わなかったけれど。――まあ、そうね、じきに羽根の構造やフラム耐性も見せてもらうわ」

 ギグリはひとつ下の階に下り、階井にほど近い一室のドアをノックした。中から機械の音が聞こえていた。ミシンだろうか。

「マグダ、いるかしら?」とギグリ。

「はーい」

 中から出てきたのはとてもスタイルのいい髪の長い女の子で、ゴシックな白黒のメイド服を着ていた。ただしスカートは短く、胸元は大きく開いていた。これもフェアチャイルドの趣味なのだろう。

「この服をこの娘に。頼める?」

 女の子はクローディアの体とスケッチブックをざっと見て「半日で仕上げます」と答えた。

「焦らなくていいわよ」

 それから2人が細かいところについて話し合いを始めたので、クローディアは窓際まで行って左右の廊下を見渡した。

 遠くで誰かが壁に頭を打ちつけていた。自分から何度も打ちつけているのだ。気の触れた人もいるものだと思ってうすら寒い気持ちになったけど、よく見るとそれはエヴァレット・クリュストだった。

「あの人、自傷癖があるのよ。今のは見なかったことにしましょう」ギグリはそう言ってクローディアの右手を引っ張った。

 エヴァレットはその声で気づいたらしく、何か弁明のように手を伸ばしてこちらに一歩踏み出したが、ギグリに引っ張られていたのでそのあとは見えなかった。

「あの人変人なの?」

「そうかもしれないわね。理想主義的なのに抜けてるのよ。ポカをやるの。それが自分で嫌なんでしょ」

 クローディアはエヴァレットがエトルキアの輸送機を襲って乗り込んできた時のことを思い出した。あの時踏みつけた彼の顔の感触はまだ踵の下に残っていた。あの逃し方は確かにドンクサかった。


 ギグリはエレベーターに乗って中層甲板まで下りた。芝生の草地が広く、その上に建物が点在していた。建物はハチミツ色の外壁にダークグレーの屋根という城と似通ったデザインだが、全体的に高さが揃っていて塔など突出した建物はなかった。

 ギグリはゴルフカートのような電動車を動かして南側の建物に向かった。芝生の間にレンガの道が敷かれているのだ。

 クローディアはカート後部のサイドシートに座ってギグリの翼を眺めていた。この人の性格を知る材料がもう少し欲しいな、と思った。

「ギグリは飛ぶのが苦手なの?」

「?」

「翼も大きいし、おっぱいも重そうだから。あそこからそこまでなら飛べばよかったのに、と思って」

「その方がよかった? あなたを抱えて飛ぶのもごめんだし、あなたも嫌だろうと思って歩いてきたのだけど」ギグリは左手で着物の前合わせを直しながら言い返した。

「私の重さを抱えて飛ぶのがしんどいってことでしょ?」

 ギグリはそのあと一瞬だけ間をおいたが、それは明らかにカチーンときた時の反応だった。

「いいわ。帰りは吊るしてあげる。せいぜい屈辱を味わいなさい」


 目的の建物はやや背が低く半球形の屋根を載せていたが、壁の造りなどはやはり後期ゴシックから新古典主義のデザインだった。エントランスの庇に"AIR RACE MUSEUM"という看板がかかっていた。

 受付では案内役の女の子たちが手持ち無沙汰に床の汚れを探し回ったり雑誌を読んだりしていて、2人が入っていくと姿勢を正して静かに頭を下げた。彼女たちもやはりスレンダーな体つきで可愛い顔をしていた。一応フォーマルな明るいグレーのスーツだが、ちょっと体にピッタリしすぎているし、スカートなんてジャケットの裾に隠れてしまいそうになるくらい短かった。これもフェアチャイルドの趣味か。

「シャンタル」ギグリが呼んだ。

「はい」名前を呼ばれた少女が返事をした。

「悪いけど、表のカート、あとで塔の前まで戻しておいてくれる?」

「はい。今行ってきます」

「ありがとう」

 そういえばギグリも意外と丁寧な物言いをするんだな、とクローディアは思った。女の子たちの名前もよく覚えているし、フェアチャイルドの部屋ではいかにもサンバレノ的な印象だったけど、人間に対する偏見はないのかもしれない。

 だいたいフェアチャイルドという人間に仕えているのがサンバレノ的じゃない。サンバレノの価値観が合わないからこの島にいるのだ。きっとそのあたりが一筋縄でないから私はこの人のことが気になったのだろう。クローディアはそう思った。

ひとくち設定12:奇跡


 天使のみが扱うことのできる超能力。魔術と異なり触媒と詠唱を必要としない。またエネルギー供給を使用者の体内に依存しないため、基本的に一瞬の効果発動に限られる魔術に対し、遠隔かつ持続的な効果領域を維持することが可能。

 魔術以上に原理が不明だが、どうやら大気中の希薄なフラムをエネルギー源としている。したがってフラムスフィア内では膨大な出力を得ることができるが、遷移を伴う術式はむしろ濃密なフラムに阻まれてエネルギーを削られてしまうようだ。

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