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抜き打ち

 特務部隊S51の突入に気づくと天使たちは次々と明かりを消して部屋の中に閉じ籠もった。間もなく通路の明かりも落ちて壁と床の境目も判別できないほど真っ暗になった。わずかに開口部や建物同士の渡り部分から差し込んだ日向が取り残されているに過ぎない。

 天使たちはよく訓練されている。甲板の上でこれをやったら人間たちは逃げ惑うだろう。他人を家に匿ったりはしない。同族間の協調。状況が獲得させた技能なのか、あるいはそれが天使という生き物の性質なのか。

 ディアナは片手に引っ提げた投光器を灯す。切断器がバツンと音を立ててバッテリーをつなぐ。ラッパ型のリフレクターから真っ白い光が飛び出す。凄まじい光量だ。

「MSC(マルチセンサーカム)は幻惑されていない?」ディアナは部下に訊いた。

「大丈夫、行けます」院士が答えた。ヘルメットに重そうなゴーグルをつけている。

「マスクはいい?」

 ディアナのユニットは互いにマスクの頬についたカウンターを見てフラムの濃度を確かめる。

「よし」「問題なし」


 拳銃を構えたガルドの隊員先導で通路を進む。ディアナは手前から順に部屋のドアを叩いていく。

「首都警務隊です。脱獄犯を探しています。顔を確認したいので開けてください」

 努めて丁寧に。

 扉の錠を開けた天使はすぐ扉の陰に隠れた。他の天使も物陰から顔だけ出している。ディアナは投光器を通路に置いて、もっと光の弱い懐中電灯で順番に天使の顔を照らした。各々目を細めたり額に手を翳したりする。白い光の中で黒い瞳孔がきゅーっと絞まっていくのが見えた。

「4名か」とディアナ。

「はい。他にはいません」院士が答える。

「協力、感謝します」

 ディアナは通路に戻る。塔の内部まで容赦なく増改築の手を入れたスラムの構造は正確にはわからないが、1個ユニットの担当区画に平均して100戸余りの部屋があるという試算だ。とはいえ30分以上かければ抜き打ちの効果はほぼゼロになる。1戸20秒以下で見て回る必要がある。

 呼びかけても反応の悪い部屋はドアをこじ開けなければならない。ガントレットで握力とグリップを強化してドアノブをねじ切る。もちろん誰もいない部屋もあるが、ドア越しではサーモカメラが通らない。片っ端から開けていく。

 無理やり開ければ罵声を飛ばしてくる天使もいる。「出ていけ!」「弁償しやがれ!」「政府の犬!」「腐れ軍人!」「****!」などなど。

 だがあくまで口先だけだ。どんな性悪そうな天使も手を出してくることはない。実力に訴えればすぐさま数倍の力でねじ伏せられるのはよく理解している。賢い、というかかわいいものだ。


〈HQ、HQ、こちら8分隊。対象と思しき影を見た。ブロック8−5。数、2。いや、3。片方が1体背負っている。フロア3から4に向かう。追跡する〉インカムに別の分隊から通信が入った。

〈7分隊、9分隊、こちら1分隊、フロア4の捜索を行え。流れてくるかもしれない〉とヴィカの指示。

〈9、フロア4に上がる〉9分隊リーダーから返事。

〈7、すでにフロア4〉7分隊から同じく。

〈1分隊より8、サーモカメラの情報だな?〉ヴィカが訊く。

〈そうです。肉眼じゃない〉

〈了解〉


 20秒ほど沈黙。

〈7分隊、捉えた。肉眼。数2。背負っている。サーモカメラの影は3。ブロック7−4、フロア4〉

 つまり3人の天使が動いているが目に見えるのはそのうち2人だけということだ。

 ジリファ・エクテの奇跡が不可視の効果を与えられるのはあくまで直接触れているものだけなのだろう。走っている間は自分以外のものに不可視の奇跡をかけるのは難しいはずだ。

〈5・6分隊、フロア5に先回り。ブロック7−4を目指せ〉ヴィカの指示。

「6分隊、了解」ディアナは答えた。6分隊はディアナのユニットだ。

 最寄りの階段に向かって階上に上がる。フロア5。塔に向かって少し進み、左手の渡り通路に入ればブロック7−4だ。

 投光器を前に構え、辻に立って左右に振る。

「後ろ!」MSCをつけた院士が呼んだ。

 慌てて投光器を構え直すと、黒いフードが一瞬だけ光芒に入った。さっき上がってきた通路だ。部下2人が駆け出す。

「6分隊、対象捉えた。追跡する」

ディアナも投稿器を抱えて走る。5分隊だろうか、フードの後ろを追っていく影が3つ通り過ぎた。

〈5分隊、対象追跡中〉

 やはりそうだ。6分隊は若干遅れを取った。

 ディアナはガントレットの強化を全身に回して部下と5分隊を後ろから追い抜いていく。先頭になった。

 いくら天使が身軽でも脚力では人間が上。距離は詰まっていく。この狭さでは翼も広げられないはずだ。

 ――と思いきや、天使は振り返って追手が近づいていることを確かめるなり、迷わず翼を広げた。先端は折り曲げたまま小刻みに羽ばたく。朱鷺色の翼、キアラか。

 スピードはさほどのものではない。完全に浮上したわけではなくまだ足も使っている。ただ足場の悪さを無視できるのは大きな違いだった。

 天使はディアナをみるみる引き離し、壁を蹴って角に入り姿を消した。

 ディアナはスライドでブレーキをかけて投光器を向けた。奥に階段、上に逃げたか。

 足を止めると後ろから部下たちが団子になって突っ込んでくる。

「上、上に向かった!」ディアナは横道に入って避けながら指示を出す。「5分隊は向こうの階段から上がれ」

 ディアナはユニットを先導して階段を駆け上がる。今までとは違う開けた造り。上は公会堂か。一応踊り場で先を確かめてから登りきった。公会堂は明かりがついていた。向かいから5分隊が上がってくるのが見える。

 キアラはどこへ逃げた? 

 そう思って入り口の角で左右を確かめた時、他の分隊もすでに到着していることに気づいた。公会堂の中に入って周囲を照らしている。四方八方に伸びる通路の中は暗くて見通せないが、ともかく最下層甲板に続く入口の扉は閉じていた。

「逃げられたの?」ディアナは訊いた。

「11分隊、出入りは押さえてるな?」とヴィカ。

〈はい、突入以降は誰も出てきてません〉最下層甲板の上に配置した見張りユニットから返事。当然戦力を突入に全振りしたわけじゃない。押さえ(・・・)は残している。

 ――しかし、外に逃げたわけじゃない?

 どこにいる?

 同じ階の他の通路は他の分隊が押さえているはずだ。公会堂には2階部分に回廊がついている。上か。

 あるいは――

「ダイ、対象を追ってきたんだろう。フードは何色だった」ヴィカが訊いた。ディアナと同じ疑問に思い当たったようだ。

「黒」ディアナはとりあえず答えた。

「黒? 俺が見たのは白でしたが」と7分隊のリーダー。

「そうか、だからサーモカメラで3、肉眼で2か」とヴィカ。

「どういうことです?」

「白い方が目立つから光を当てた時に黒い方だけ見逃したんでしょうってことよ」ディアナが説明した。

「いや、それはわかるんですが」

「不可視の奇跡が使えないからそんなことをしなきゃならなかったのさ。片方が3人目を背負ってたから対象だと思ったんだろう? 顔は見てないわけだ」

「――あっ」

「8分隊が最初に見つけた時はどうだったんだ?」ヴィカはそう訊いてキョロキョロした。インカムの送話ボタンを押す。「8分隊、聞こえるか、どこにいる?」

 返事はない。ディアナはヴィカがちょっと呆気にとられたように口を開くのを見た。なかなか見られる表情ではなかった。


「道を開けてもらおう。それとも邪魔をするつもりか」2階の捜索に向かっていたユニットの1人が声を張った。階段で天使に道を塞がれたようだ。しかも1人2人ではない。声に釣られて見上げている間にも回廊に面した通路から続々と集まってくる。

「構わない。一度戻れ」とヴィカは部隊を公会堂の真ん中に集めた。

 2階だけではない。1階の方々の通路からも続々と集まってくる。完全に囲まれた。まるで闘技場のようだ。位置関係からすれば観客は天使たち、剣闘士は人間だった。

「ちょうどいい、天使たち、ここで問おう」ヴィカが客席に呼びかけた。「インレ監獄の脱獄囚ギネイスとキアラ、及びその脱獄を企てたジリファの居場所を知らないか。このブンドの管轄の中にいるのか、それともすでに去ったのか。去ったのであればどこへ行ったのか。教えてはもらえないか」

 虚偽の回答は捜査妨害にあたる。天使たちは何も言わない。ただ目を向けているだけだ。剣闘士ごときが何を言っている?

「質問を変えよう。今しがた黒いフードを被った天使がここに駆け込んできたはずだ。やや赤みがかった白い翼の天使、どこにいる?」

「私のことか?」2階から声。1人の天使が欄干に近づいてくる。黒いフード、朱鷺色の翼。ディアナが追った天使に間違いない。しかしフードを脱いでわかった。白い髪、赤い目。まだ若い。幼いと言ってもいいくらいだ。その容貌は明らかにキアラのものではなかった。極めつけにその天使は翼を広げた。完全な翼だった。キアラの羽はインレの収容時に短く切り揃えたはずだ。切った羽根が奇跡で復元できないのは過去の実験で知見を得ていた。つまり、さっきはきちんと広げていなかったので見分けがつかなかったのだ。

「なぜ逃げた?」ヴィカが訊いた。

「役人たちが血相を変えて追ってくる。心当たりがないなら恐くなって逃げるのは当然では?」天使は答えた。

「先ほどの質問に答えてもらえないか」

「キアラとジリファ?」

「そうだ」

「彼女たちはすでに去った。行き先は知らない」

「では居たことは認めるわけだな」

「私たちが滞留を許したわけではない。ブンドにもルールがある。彼女たちはそれは守れないと答えた」

 ヴィカは天使に背を向けてディアナに顔を近づけた。

「嘘なのはわかるが裏が取れない。おおかた3人を逃がすための陽動だったんだ。それが表に出てきたということは、どのみち3人とももうここにはいない」

「そう思わせたいんじゃない?」

「かもしれないが……」

〈こちら9分隊、フロア3、ブロック8-7で8分隊を発見。拘束されています〉通信が割って入った。

「無事か? 誰がやった?」ヴィカが訊いた。

〈無事です。周りに人気はない。インカムを奪って逃げたようです〉

「なるほど」


 2階の天使が翼を畳む。そして「ダン」と足踏みをする。周囲に集まった100以上の天使たちも呼応して足踏みを始めた。そのリズムに合わせて明らかに床が揺れている。床が抜けないか心配になるくらいの震動だった。もはや音だって上から伝わってくる飛行場の騒音よりも大きい。

「去れ、役人たち。もう用はないはずだ」2階の天使が言った。

 わかった、わかった、といったふうにヴィカが手を振った。

「9分隊、8分隊を連れて最短ルートで離脱しろ。我々も外に出る。――いいか、対象はここにはいない。撤収する」

 入口の近くにいた天使が入り口の扉を開く。天使たちの足踏みのテンポが速くなる。追い出しにかかっているのだ。

 ヴィカはディアナに先頭を任せ、全員が公会堂から出るまで誘導してから階段を駆け上がってきてディアナに並んだ。

「一杯食わされたな」と彼女。

「知っていたのかしら」

「予想はしてたが、タイミングまではわからなかったはずだ。だから同時に動いたのさ。抜き打ちが来たらその時に3人を上に逃がす。他の場所の見張りが疎かになるのをわかってやがるんだ」

「そういうこと」

「こいつはまた市長への報告が面倒だぞ」ヴィカは帽子を外してがりがり頭を掻いた。

「責任者は大変ね。でも悪いことばかりじゃない。あの子たちはもうブンドを頼れない。ブンドから追い出したということはね、追い込んだということでもあるのよ」

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