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地下組織

「いやぁ、ごめんごめん、昼食って言うにはちょっと遅すぎる時間になっちゃったね」

「さっき部屋でもらったビスケットみたいなやつ、あれは違うのかよ」

「Cレーションね。うーん、あれはお通しみたいなものかな。こんな環境だけど、食材の供給はわりと潤沢なんだ。この島にも自給用の農業区画があってね、分配は塔のシステムを拡張して使っているんだ。だからこの階層でも塔のコンソールが生きているところなら食材を取り出すことができる。島全体の需要を考えたら僕らの人口なんて微々たるものさ。行政も黙認している。残飯処理業者くらいに思っているのかもしれない」

「肉とか魚も?」

「うん。ただ、まともに手に入るのは『食材』だけさ。輸入の割合の高い香辛料や調味料はなかなか使えるものじゃない」

「味がない?」

「いや、あるにはあるけど、すごく薄いんだ」


 用意されていたのは塩焼きの魚と塩胡椒で味付けしただけのペンネだった。ケストレルの言ったとおりだ。魚そのものはおいしい魚なんだけど、味付けが素朴すぎる。別に乾燥しているわけじゃないのに口の中がパサパサした。

 そして食堂の衛生レベルも小部屋とほぼ同じだった。皿だって各々バラバラで全部どこかしら欠けているし、天井吊りの電球には蛾が集ってパタパタ鱗粉を振り撒いていた。キアラはそれが食べ物の上にかかるのは嫌だなと思いながら食べていた。

 ところが、ケストレルはともかく、ジリファも全然気にしていないみたいだった。キアラは信じられない気持ちだった。驚愕だ。ここはたぶんアイゼンより汚いぞ。

「――なるほど、ジリファというのはシロハヤブサという意味なんだ。僕と似ているね。ケストレルというのはチョウゲンボウのことなんだ。同じハヤブサの仲間だね」ケストレルはよく喋る男だった。

「それは偽名でしょ」

「そうだね、コードネームみたいなもの。本名の方はあまりおおっぴらになると……ちょっとね」

「自分でつけたのね。なぜチョウゲンボウだったの?」

「好きなんだ。昔から野鳥観察が趣味でね、チョウゲンボウはハトみたいに小さくて、でもきちんと猛禽の狩りをするんだ。かわいいけど、強いんだ。憧れみたいなものかな。君の名前は」

「私は違う。自分でつけたんじゃない。自分でつけるとしたらフクロウかミミズクにしていたと思う」

「両方フクロウだね」

「チョウゲンボウだってタカでしょう?」

「まあね。――そういえば、もう一人の子は」ケストレルは急に話を変えた。

「まだ眠ってるの」ジリファが続けて答える。

「起こそうと思えば起こせるかい?」

「たぶん」

「もし起きなくても抱えて移動することはできる?」

「抱えたまま飛ぶのは制約つき」

「飛ぶと目立つ。歩いて移動できれば問題ない」

「それなら大丈夫」

「明日朝のフェスタル行きの便が手配できそうなんだ。便と言っても貨物機だけどね。そのまま積み替えて海を渡る。現地のブンドに連絡を取ることはできるけど、君たちの場合には自力の方がいいかもしれないね。軍警もピリピリしているし、傍受されるリスクの方が高い、と考えたんだけど」

「海を越えれば陸伝いに隠れて進める。十分。でも、他のハブ島ではなくフェスタルなのは」

「荷扱い量が多いからさ。警備は厳しいけど、穴も多い」


「ところで、ここにはアークエンジェルはいないの?」キアラは訊いた。

「いい質問だね。いない、と答えておこうかな」

「もしいたとしても教えない、ってことか」人間のくせに生意気だな、とも思ったけど、それを言うのは抑えた。

「教えるか教えないか、という単純な問題でもないんだ」

「つまり?」

「ここはブンドだよ。天使たちの寄合だけど、あくまでエトルキアなんだ。サンバレノとは違う。サンバレノの原理で活動しているわけじゃない。ブンドは平等を重んじる。ここでは種の隔たりも、天使の階位も、機能しない」ケストレルは少しだけ強い口調で言った。

「アークエンジェルとエンジェルを区別しない、だからアークエンジェルはいない。そういう理屈か」

「それもあるし、もちろん、組織の機密を明かせない、という事情もあるよ」

「まあ、つまり、そういうことなわけね」答えをぼかすということは、つまり、アークエンジェルもいるのだろう。キアラは納得した。「そういう前提で訊くことにするけど、さっきインレから逃げてくる時に火の奇跡を操る天使に助けられたんだ。ブンドが支援するって言ってた。あれはブンドの天使じゃないの?」

「火の奇跡? それは知らないな」

「髪と翼は白くて、髪はこれくらいまであった」

「……いや」ケストレルは本当に怪訝そうな顔をした。「いないよ、そういう天使は把握していない」

「恩人なんだ。挨拶くらいしておこうと思ったんだけど」

 ケストレルの反応は本当のようだった。アークエンジェル云々の話とは感じが違う。もう少しシリアスだった。キアラは訊くのをやめた。


「どの部屋も窓がないのね」ジリファはパサパサの魚を食べ終わったところで言った。

「このあたりはもともと建てられていた、というか建てかけ(・・・・)だった建物の中を割っているんだ。空港の改造計画に紆余曲折があったみたいでね。高度を考えると、人間には気密が必要なんだ」

「どこか外に出られる?」

「2階下に屋上に出られるところがあるよ。上からは見えないところだし、滑走路の陰が落ちるから空からもほとんど見えない。ただ、ヘリやジェットバイクには気をつけて」


 食器を下げたあと、ケストレルはその屋上まで案内してくれた。細い階段を下り、細い通路を通り抜ける。足元は排水口みたいな金網になっていて、なんだか潜水艦の中みたいだ。しかも動線が集中しているのか妙に天使の往来が多くて、出くわす度に道を譲ったり譲られたりしなければならなかった。彼女たちはケストレルに好意的に接していた。中には色目を使っているのもいた。

「インレのエンジェル監獄よりも密かもしれない」ジリファが呟いた。

「エトルキアの天使人口の20パーセントがレゼに集中している。誰が調べたのかわからないけど、そんな説もあるんだ。数字はともかく、他の島に比べて圧倒的な数のエトルキア天使がレゼに集まっているのは確かだろうね」

「ここにいる天使の数は」

「僕が把握しているのは1040人」

「千……ちょっとした島の人口だ」

「それでも上にひしめく人間の数に比べれば100分の1だよ」

「なんだって人間だけでも人口過剰なこの島に……」

「人間だけでも人口過剰だからさ。どこの生まれかわからない人間が流れ着いて、ただただ生きていくことができる。政府による管理が人間の活動に追いついていないんだ。まさにこんな場所がこんな場所のままでほったらかしにされているのが証拠だよ。人間たちは僕らを取り締まるよりももっと大事な喫緊の問題に対面し続けているんだ。何も僕の力だけでこの共同体を守れてるわけじゃないよ」

 2人はエアロックの手前まで案内してもらってケストレルと別れた。いくらボロな建物でもエアロックはきちんと機能していた。


 外はテニスコート半面くらいのコンクリートタイル敷きのスペースで、足首くらいの高さの擁壁が立ち上がっているだけであとは手摺も何もなかった。人間には恐い場所だ。いや、今の私も落ちたら上がってこられないな、とキアラは気づく。

 眼下には立方体のブロックを無造作に組み合わせたような建物が広がっていた。ちらほら小さなベランダが見える。窓もある。つまり、外気の遮断に対してかなりルーズな造りだ。これは天使が勝手に増築した区画なのだろう。

 ふとベランダに顔を出した天使と目が合った。子供だ。彼女は手を振った。こっちに向かって振っているのか。キアラはなんだか慌てて手を挙げた。

 なぜだろう、こんな環境で生きている天使たちに敬意を送りたくなったのかもしれない。

 ブンドというのは辞書的いえば同郷共同体に基づく政治圧力団体だ。でもここは実質的にはスラムだ。後者の機能を意識しているのはごく一部だろう。末端の子供にまで思想が行き届いているわけがない。ブンドが何なのかも知らない天使だっているんじゃないか。

 キアラはサンバレノでの他の天使たちとの軋轢や、広大なエトルキア東部でのネロとの気ままな旅を思い出した。

 エトルキアで生まれた天使たちは自分たちで望んでこのスラムに押し込まれているわけじゃない。

 街並みの向こうには赤茶けた大地が浩々と広がっていた。


「馬鹿馬鹿しい」キアラは呟いた。

「何?」とジリファ。

「人間はともかく、天使がこんな狭苦しい生活をすることなんてないのに」

「地面見てる?」

「見てる」

「地面は煙いよ。砂まみれで髪も翼もキシキシになるの」

「そういう問題?」

「天使はフラムを吸っても死なないけど、水と食べ物は必要。それは他の生き物から与えられるもの。地上では食べ物は手に入らない。天使にとっても塔はエクメーネなの」

「こんな低地じゃなくて、山を探せばいいのにさ。山くらいこの大陸にもあるんだろ?」

 ジリファは何も言わなかった。

 空気が震え、頭上の滑走路を巨大な旅客機が走り抜ける。


「あの人間、どう思う?」キアラは騒音が止むのを待って訊いた。

「あの?」

「ケストレル」

「どう?」

「下心がありそうな感じ。フェティシズムというか、自己陶酔? 自己耽溺というか」

「天使愛護主義者?」

「そう。なんか、『やってあげてる』感があるんだよ。自分がいなければ生きていけないって、天使どもに必要とされることに酔ってんじゃないか、あれ」

「この国で自己耽溺なしに天使を助けることが可能なの?」

「でも、ブンドでしょ。反政府とか、反体制とか、そういう思想的なルサンチマンがあって然るべきじゃない?」

「そういう活動をしないで、反抗的な態度を取らなかったからここは続いているのだと思う。身も蓋もない、捉えどころがない、だから行政も指弾できない。彼の性癖がどうであっても、天使にはどうでもいい。彼がいればここは守られる。天使の方こそ、彼の性質を知った上で媚を売って利用しているんでしょ」

 キアラは言い返せなかった。そう言われてみるとそれが正しいように思えた。


 滑走路裏の桁にカラスがとまっている。喉を膨らませて鳴いている。真っ黒で嘴の細いやつだ。

 どういうわけか周りに集まりつつあった。誰か餌でもやっているのだろうか。

 1羽がキアラに向かって吠えた。キアラも首を前に突き出して「なんだてめぇやんのかァ」と言い返す。

 ふとエアロックの扉が開いて天使が1人出てきた。レゼに着いた時に地上まで迎えにきてくれた子だ。

 彼女は足早に近づいてきてジリファに何か耳打ちした。キアラには聞こえない。今度はジリファがキアラの耳に手を当てた。

「軍警が来たって」

 キアラが顔を上げると白い髪の若い天使はうんと頷いた。白くて目が赤い。そういえばウサギみたいだ。手招きして先にエアロックに戻った。

「規模は?」キアラは訊いた。

「2人。でも外から回って来るかも」と少女。

「迷惑かけてごめんなさい」とジリファ。

「よくあることです」

「脱獄が?」

 彼女は頷いた。「狩りを楽しんでるの」

「顔が見たい」

「案内します」

 除染ブラストが止むなり3人は早足に通路を進んで5階層分くらい階段を上った。

「こんな時に何だけど、火の奇跡を使う天使って知らない?」キアラは少女に訊いた。

「火の奇跡?」と少女はちょっと振り返る。

「そう。髪が白くて長いの」

「名前は?」

「それを知りたいんだ」

「いや、私は知らないです」

「まあ、いいや、あとにしよう」


 通風ダクトのようなところを這って進み、ルーバーから外を覗くと公会堂の梁の上だった。公会堂は島の上に対するエントランスにもなっているようだ。

 軍警は2人、人間の男女。黒い制服をきっちり着て、首にフラムマスクをかけている。インレで見かけた顔ではない。視線を送るとジリファも首を振った。レゼの地元の警官のようだ。ケストレルが応対している。

 通路の陰や2階に天使たちが集まってその様子を見守っていた。自分たちに向けたのとは違う、あからさまな警戒の視線だ。こうしてみると自分たちもまだ歓迎されていたのだとキアラは思った。

「今朝、インレから脱走した天使がこの島に逃げ込んだそうですが、何か知りませんか」軍警の男の方が訊いた。敬語だがいささか高圧的な口調だった。

「いいえ。朝からここに籠もっていたのでね、そう、脱走、ね。外は騒ぎでしたか」ケストレルは答える。シラを切るようだ。

「ご存じない?」

「はい。まあ、ここには天使が集まっているから疑いはあって然るべきとは思いますけどね」

「あるいは、勝手に入り込んでいてあなたが把握していない、ということもあるでしょう?」

「いいですよ。探したいなら、探していただいて。ただし、天使に対して礼節を弁えない場合あなた方とその上司の首が飛ぶので気をつけて」

「わかっていますよ、言われなくても」

 軍警の2人はマスクを鼻の上まで引き上げて奥の通路へ進んだ。ケストレルもあとについていく。誰も頭上のダクトからの視線には気づいていない。

 これで落着……じゃない。

 部屋にはまだギネイスがいる。彼女は「煉獄」にいたのだから顔だって割れている。


 キアラは来た方向を指して引き返した。

「ギネイスが」

「来て、近道がある」少女は前に出て駆け出した。幸いこの状況で天使たちは各々の家に引っ込んでいるらしく通路は空いている。

 空調室のような部屋に入り、ダクトの蓋を開いて飛び込む。ダクトはすぐ垂直になり、両側の壁に手足をついて降下、横穴に入って30mほど進むとまさしく部屋の真上だった。

 ギネイスはまだ眠っている。部屋の扉は閉じている。キアラはルーバーを開けて飛び込み、ギネイスを抱え上げる。ジリファが上から手を伸ばして引っ張り上げる。キアラも足で布団を均してからダクトに戻る。

 軍警が扉を開いたのはルーバーを閉めたのとほぼ同時だった。しかもネジ止めが済んでいないのでルーバーを手で掴んだままだった。ジリファのレフレクトがなければ指が丸見えだっただろう。少女はギネイスを抱えて口を塞いでいた。急に起きて声を出されたら困る。

 女の軍警は戸口で部屋の中をぐるりと見回してからベッドの布団を順番に広げ、元通りかけ直していく。マスクのフィルターが「スコー……スコー」と音を立てている。

 キアラは自分が使っていた掛け布団の壁側の縁に羽毛がくっついているのに気づいた。こんなこともあろうかと確認しておいたつもりだけど、見落としていたのだ。やや鴇色がかった特徴的な色だ。分析なんてしなくても証拠になる。

 軍警が布団をばさばさすると羽毛も煽られる。外れて舞い上がれば確実にバレる。

 しかし根本がシーツに刺さっているのか、案外しぶとく粘って、結局軍警が戻すまで羽毛はそのままだった。キアラはさすがにホッとした。

 軍警は布団が済むとクローゼットを開け、ベッドの下を覗き込み、それで満足したように部屋から出ていった。


 レフレクトが切れる。ジリファも少女もぐったりした安堵の表情だった。まるでサウナで蒸されたあとみたいだ。ただギネイスだけが死んだように眠ったままだった。

 さっきだって決して丁重に抱え上げたわけじゃない。丸太みたいな扱いだったのだ。それでまだ起きないというのはさすがに不可解だった。この天使は一体いつまで眠り続けるつもりなのだろう?

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