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それぞれの夜

 カイが出かけている間、クローディアもクローディアなりに考えていた。ラウラはどこかにカメラやマイクが仕込まれていないかベッドの下からコンセントの裏まで余念なく探っていた。

「ねえ、ルフトの天使人口なら私の適合ドナーを何人も見つけることができるんじゃない?」

「行ってみるかい?」ラウラは手を止めて微笑した。

「行けるのかな……」

「交通手段は別として、もし今私たちがルフトにいるとしても、それは現実的な解決方法には思えないね。もしそうだったなら私はここへ来ることにもっと強く反対していただろうよ」ラウラは否定した。椅子に座って脚を組んだ。

「エトルキアがドナーを見つけることができたのはそれだけ高度に天使を管理しているからさ。ルフトじゃ役所に訊いたところで血液型さえわからないだろうね。教えてもらえないんじゃなく、把握していないのさ。じゃあ採血でサンプルを集めさせてくれと言ったって強制にはできない。事情がわかれば協力してくれる天使はいるだろうけどね、全国的な告知さえ難しいはずさ」

「ずいぶん否定的なのね」

「それだけが理由じゃないのさ。まだ2つほどあるよ。まず、ディアナが言ってたね、奇跡のパスは血液かもしれないと。嘘かもしれないが、信じてみるとすれば、エンジェルの血液が使えるのかどうか、という問題が出てくるのさ」

「奇跡を使えない天使の血を輸血しても脱換の効果は得られないかもしれない?」

「そうさね。万全を期してアークエンジェルの血だけを集めるとなるとルフトでも厳しいだろう」

「でも奇跡は遺伝するかわからないものでしょう? アークエンジェルの子がエンジェル、その逆ということもある」

「そう。だからこれは理由としては弱い方だね」

「強い方は」

「ルフトには脱換治療のノウハウがない。ディアナの話はずいぶん簡単そうに聞こえたかもしれないけどね、結構高度で繊細な技術を要する手術なのさ。ルフトでは人間の実施例さえないんだ。彼女の話でわかったと思うけど、人体実験・動物実験のエグさにかけてはこの国はルフトより二回りは上手だよ」

 ラウラの説明を聞いてクローディアはすっかり沈痛な気持ちになってしまった。

「ありがとう、ラウラも私のために色々調べてくれていたのね」

「言わないでおくれよ。今のところ私が与えられたのは絶望感だけだよ」

「結局、根本的に、脱換以外の治療法を発見するくらいしか代わりの手がないのね」

「そうなるね。そしてそれにはかなり長い時間をかけなければならないだろうね。もしそれを待つことができるくらいなら、クローディアはここへ来る決心をしていなかったんじゃないかな。そうだろう?」


 結局カイは夕食の時まで部屋に戻らなかった。ディアナの後ろにくっついて呼びに来た時にはなんだか彼が向こう側の人間になってしまったような感じがしたけど、気分の悪そうな顔を見ていると、ああ、私と同じなんだ、と思えた。

 それからクローディアが制服を着直す間、カイはディアナから聞いたことを部屋の中で話してくれた。キアラとギネイスの奇跡がこの島を動かしていること、奇跡を使えない天使も大勢囚われていること、彼女たちの収容環境が監獄としてはさほど逸脱したものでないこと……。


 夕食は士官食堂でコースをサーブされた。料理も盛り付けもカイのものと全く同じだった。人間も天使もない。本当に階級が全てなのだ。給仕はカイと同じくらいの歳の少年下士官で、相手が天使か人間かよりも自分の手順の正しさに集中している様子だった。

 食事は進む。部屋の明かりも、料理に使う熱も、ともすれば食材を作るのに使われたあらゆるエネルギーも、全てキアラとギネイスから搾り取ったものなのだ。そう思うと、フォークで刺し、ナイフで切り、口に入れる、その行為のひとつひとつが不思議と生々しくグロテスクに思えた。結局、エトルキアの人間はそんな状況を何の疑問も臆面もなく享受しているのだ。


 部屋に戻ったところでクローディアは軍帽に手をかけ、少し迷ってから結局被ったまま窓に近寄った。顔の大きさくらいの小さな窓だ。外側も汚れていた。でも隣島たちの街の光は夜闇の中に浮かび上がっていた。まるで逆さにしたシャンデリアのようだ。

「私、今とても残酷なことを考えているの」

 カイが目を向けた。

「彼女、ギネイスを正気に戻すことができたらどうだろうって」

「なぜ?」

「それでも私のことをヘイトしていたなら、生贄にする罪悪感はきっとずっと小さくなる」

「……なんか、嫌な気分だよ。他人の命が手の上にあるみたいで」

「そう、でも今だって他人の手の中にあるのは変わらない。正気に戻って、自分で選べばいい。私のために死ぬのか、それとも、恭順するのか」

「恭順するなら、諦められる?」

 クローディアは悩んだ。

「……ありえない。サンバレノの天使に限って、そんな。そう見えたとして、命乞いのための演技でしょう」

 恭順、か。

 天使に犠牲を強いることはエトルキア的な行為なのだ。手術を受けることはある意味エトルキアへの協力、エトルキア的存在になることを意味している。

 恭順するのか、私は。

 私が手術を躊躇うのはただギネイスのためだけではない、やはりこの国そのものへの抵抗感のせいもあるのだろう。

 クローディア軍帽を外し、手の上でしばらく見下ろしてから足元に落とした。


 順番にシャワーを浴び、髪と翼を乾かして布団に潜り込む。

「私が力を取り戻したら、カイも自由になれるわね」クローディアは体をカイの方へ向けて訊いた。

「力を取り戻して、そのあと君はどうしたい?」カイは自分のベッドで仰向けになって顎の下までしっかりと布団を被っていた。

「タールベルグに帰りたい。この前の嵐でやっとあの島の一員になれたような気がするの。もしまた発電機がダメになったら、私の力で島を支えてあげる。あなたはエアレースに専念すればいい。お父さんのようなベイロンの常連になるの。今はアイゼン回廊があるから行き来も難しくないし」

「いいね。いい、とてもいい」

「私はタールベルグが好きなのだと思う。素朴で、何ものにも染まっていない。エトルキアだけど、管理されていない。誰のものでもない。たぶん、それが楽なのよ」

 カイは静かに頷いた。

「でも、そこに奇跡は必要なのかしら」クローディアは自分に訊いた。「必要、なんでしょうね。私たちが約束を果たしたところで、サンバレノはサンバレノのままで、いつかは私のことを見つけ出す。立ち向かわなければ逃げるしかないし、きっと島の人にも迷惑をかける。何かに怯えながら生きていかなければならない」

 カイはもぞもぞと動いて体ごとクローディアの方へ顔を向けた。

「君はただ奇跡を取り戻したいだけじゃなくて、本当は根本的にもっと大きなものを変えてしまいたいんだろうね。悩んでいるのは、そういう、まだ遠くにあるもののことを考慮しているからだよ」



……………

 

「シケた番組ばかりだな」

「え、さっきの面白かったのに」

 ヴィカとディアナはソファの上でテレビを見ていた。ディアナは横になってヴィカの膝の上に頭を乗せている。士官用の部屋だ。ソファこそ上等だが、他にこれといって調度もなく、壁面がほとんど露出している。殺風景と言っていい。ディアナの部屋とはかなり雰囲気が違う。ヴィカの部屋だ。室内には2人だけ。ヴィカはメイドの類を住まわせていない。

 テレビは酒や化粧品のコマーシャルを流している。ヴィカがチャンネルを回してもその()は変わらない。各放送局が暗黙のうちに足並みを揃えてコマーシャルの時間帯を決めているようだった。

「ほら、もういいでしょ、戻してよ」

「ああ、勝手にしてくれ」

 ディアナは手探りでヴィカの手を捕まえてリモコンを奪い取った。チャンネルを戻して間もなくコマーシャルが明ける。各地で飼育されている希少動物・植物を紹介する番組らしい。人工の草原の上に放されるアリクイの親子が映っていた。


「あの子、手術を受けるかしら」ディアナは訊いた。

「さあ、どうだろうね」

「さあって、受けると思ったから連れてきたんじゃないの?」

「もっと割り切った性格だと思っていたんだけど、案外渋ったな」

「このひと月張り付いてたのよね?」

「そのひと月で何か変化があったんだろう。他者を大事にする心が芽生えたんだよ」

「塔の上の生き物になってきた、ということね」

「案外悪い変化じゃないかもしれない。仮に治療をやって、その後も我々の間に話し合いの余地があるとすれば、その変化のおかげだよ」

「さて、彼女に何があったのかしら。――彼の影響も大きいでしょ? カイ・エバート」

「ああ、クローディアから奇跡を奪ったのはあの少年だよ」

「そういうことじゃなくて、精神的に、よ」

「精神的な話だよ。単なる敵でもない。ただ慕うべき相手でもない、まして赤の他人でもない。そういう微妙な人間関係がクローディアに繊細な感性を要請している。自分かそれ以外かしか存在しなかったかつての自己中心的な世界認識は解体されていく。だから私たちにも一応は刃向かわない。あの少年は我々にとってもありがたい存在なのさ」ヴィカはディアナの金色の髪を撫でながら話した。

「そんな重要人物にしては前もって教えてくれなかったわね。てっきり黒羽(くろばね)ちゃんだけ連れてくるものだと思ってたわ」

「その黒羽にしかおまえの興味がないと思ってたからね。違ったかな?」

 ディアナはにっこりした。

「彼、なかなかキュートじゃないの」

「歳下がタイプだったか?」

「今時珍しいタイプの少年よね。実直で、ロマンチストで。レゼの若者はもっとスレてるわよ」

「イナカッペのステレオタイプじゃないか。都会に籠りすぎたんだよ」

「彼も飛ぶのよね?」ディアナは自分の話を続けた。

「ああ。我流だけど」

「操縦するところも見てみたいわね。誘ったら飛んでくれるかしら」

「事故を装った暗殺の匂いがするなあ」

「やァね、詩情の欠片もない。好きだって言ってるのに」

「いや、初耳だよ。おまえの場合、かわいいとかキュートっていうのがそのまま大事にするってことにはつながらないからね」

「あら、心外」ディアナは首を振ってヴィカの太腿に額を擦りつけた。

「やめろくすぐったい」

「あなたは? 久しぶりに一緒に飛びましょうよ」

「え、なんで」ヴィカはとても面倒くさそうな顔になった。

「理由がいる?」

「……翌朝なら。こう暗いと危なくてかなわない」

 ディアナは溜息をついて目を閉じた。

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