リレーションシップ・下
最上層の気象レーダーは意外にもタールベルグで造れるグループに属していた。ラウラは自分の家は諦めたようだけど、レーダーマストの再建には積極的だった。全国の天気予報も大雑把なので、実際タールベルグにどういう規模・威力の雨雲が迫っているかを知るには自前のレーダーは欠かせない設備なのだ。
工員を集めるほど大規模な作業でもない。ラウラ、カイ、クローディア、ヴィカ。この4人で作業にあたった。
ヴィカも復旧作業に協力的だった。居住区は塔の内部に比べればほとんど無傷と言っていいレベルだったけど、それでも窓が割れたとか、屋根の一部が剥がれたとか、そういった細々した問題は家の数だけ発生していた。魔術があればクレーンなしで重いものを持ち上げられるし、程度によっては材料・道具がなくても復元できる。魔術師が重宝されるのは必然だった(もちろん高所作業では天使の右に出るものはないけど)。
その上ラウラとヴィカはどちらが役に立てるか密かに張り合っているフシがあった。べつに言葉にして挑発したり貶したりなんかしない。ただ、目が合うとどっちから先に挨拶をするかちょっと待ってみるみたいな、微妙に棘のある空気が2人の間に漂っていた。
R45階――中層甲板から45階層上でエレベーターを降りる。
クローディアは上層にある塔の工場区画に入るのは初めてだった。吹き抜け周りの造りは中層と変わらない。ただ外壁に出るための通路が南向きの1本しかなく、吹き抜けに面した内壁には搬出用のハッチが大きく口を開けていた。
中に入ると3階層くらいぶち抜いた空間に背の高い工作機械が立ち上がっていて、その隙間を縫うように階段や金網敷きのキャットウォークが張り巡らされていた。空間としてギュッと詰まった感じだ。それでいて壁全面だけでなく機械の至るところが白く塗られていて妙に明るいのだ。火葬場に通じる明るさだった。あるいはそれはホルマリン漬けにされた臓器の標本を思わせた。綺麗だけど、でもその状態が似つかわしい感じがしない。いわばグロテスクなのだ。
塔の機械としての側面を見たくない、とアルルは言っていた。
高度に発達した文明は大勢の人手を必要としなくなる。かつて地上で大勢の人間たちが集まってやっていたことをここでは機械がひとりでに完結させている。だからこそ産業に従事する人口が少数でも生活が成り立っている。
少人数に適応したシステム。
大勢を収容するシェルター……。
それは矛盾ではないのだろうか。
塔を設計した人間は避難した人間の大半が生き残ったシナリオを想定していたのだろうか。彼らにとってタールベルグの現状は予期せぬ未来なのだろうか。
わからない。
でもそれが自然な成り行きなのだと思うには塔の構造はあまりに複雑だった。
入り口のコンソールで予約品を呼び出すと搬送用のラインがパタパタと動き出した。たくさんの機械が動いているのにさほど音は立たない。造りが精密でエネルギーロスが少ないのだ。地上にも生きている機械がないわけではなかったけれど、大きな音を立てて動くものばかりだった。
網型のレーダーアンテナを載せたプラスチックのパレットがローラーコンベアを流れてくる。内壁側のハッチでリフト型の内壁ロボが待ち構えていて、パレットごと天板の上に載せ替えた。天板から爪が出てきてパレットを固定する。
「このまま乗っていってもいい?」クローディアは訊いた。
「上に着くまでだいぶ時間がかかるだろ」とヴィカ。
「先回りして待ってても同じでしょ?」
「俺も乗っていくよ」
カイは内壁ロボの操作盤で荷卸場所の設定を済ませてから天板に乗り、パレットにロープを通してハーネスに固定した。
「物好きなやつらだな。こっちは先に行ってるぞ」とヴィカ。
内壁ロボが動き出す。塔の上層をゆっくりと上っていく。揺れもない。やはり騒音もほとんどない。
工場区画も階層ごとに製品が分かれていて、生産機械、電子機器、包装容器、繊維、そしてやはり一番上が食品加工だった。その上がもうすぐ食料生産区画だろう。
顔を上げると円形の天井のようなものが見えていた。あそこが終点だろうか。でもまだ農業区画を抜けていない。レーダーはその上まで持っていかなければいけないはずだ。
「あれが振り子だよ」カイが言った。彼はパレットの端に腰を下ろして塔の中を眺めていた。
「振り子……制振装置?」
「そう。よく見てみな。細かく動いて塔の揺れを打ち消してるんだ。……今日は風がないからわかりにくいかもしれないけど」
しばらく見ていたけど、下からではよくわからない。もう少し進むと内壁の四方からアーチ状の支柱が広がってきて、やがて吹き抜け全体にかかる櫓状の構造に変わった。この強固な構造で制振装置の基部をがっちり固定して効果を高めているのだろう。方々に張り巡らされた支柱は接続点が滑らかに整形されていてゴシック建築の飛び梁を思わせた。
ただよく見ていると太い支柱の1本がごっそり抜け落ちて切り口のところが折れた木の枝のようにささくれ立っていた。見覚えのある造形だった。基底部の発電機に突き刺さっていた太いトラスだ。そういえば大きさも同じくらいだった。
「カイ、あそこ」
「何、支柱が外れているところ?」
「そう」クローディアは一瞬カイがなぜきょとんとしているのか不可解だった。でも考えてみれば当然だ。彼は基底部の光景を直接見ていないのだ。
「発電機のタービンに突き刺さって停電を起こしたのはたぶんあの支柱」
「そうか……」カイは興味深そうに身を乗り出してアーチの上から下までをねめまわした。「きっと振り子が限界まで振れていたんだ。それが塔そのものの揺れのモーメントとぶつかってアーチの一部分にすごく強い力がかかったんだと思う」
天井のように見えたけれど、制振装置と内壁の間にはきちんと内壁ロボが通行するのに十分な隙間が設けられていた。制振装置は扁平な円柱状で、高さが5m、直径が15mといったところ。鋳物のような鈍い質感。見るからに重そうだ。ケーキのスポンジのように水平に切れ込みが入っていて、どうも5層くらいの部分に分かれているようだ。それぞれが別々の方向に動いて複雑な揺れに対処するのだろう。
どこから見ても重量感たっぷりで、じっと見ているとそれだけで重さに押しつぶされそうな気分になってきた。
農業区画に入るところで内壁のレールが斜めになって隣のレールと合流した。塔の先細り構造のせいで吹き抜けも細くなってきて、軌道だけ4本あっても内壁ロボがすれ違えないのだ。
内壁ロボはぎりぎりまでスピードを落とし、天板を水平に保ったまま台車を傾けてポイント区間を通過した。さすがにレールを跨ぐ時はキュッキュッとスリップの音が聞こえた。こんなところで滑ったら冗談じゃない。ポイントを渡り切ったところでさすがにカイも息をついていた。
あとは10層ほどの農業区画を抜けるだけだ。
「昨日、モルとここへ来たんだ」クローディアは言った。「内壁のこっち側じゃなくて、向こう側に」
「何か?」
「工場の食堂、ずっと肉ざんまい続きでしょう? 牧場はどんな様子だろうって」
家畜を飼う区画の造りは菜園の方とは少し違っていた。面積が広いのは変わらない。清潔そうな稲藁や籾の上で豚や鶏たちは広々と歩き回っていた。普段ならもう少し密になるのかもしれない。
ただ内壁にも外壁にも窓がないのが大きな違いだった。見学は3mほどの高さを通る空中通路からに限られていた。しかも通路は透明なガラスで密閉されていて、家畜たちの声も匂いもまるで感じられなかった。
そこに生き物がいる。人間よりも大きな生き物がきちんと生きている。でもそれはなんだか遠く離れた場所で撮られた映像みたいに実感のない姿だった。
隔離されているのは家畜も作物も変わらない。けれどなぜ植物は横から見えるのに動物は上からなのだろう。
「塔は人間を屠殺の罪から解放したんだ」モルは言った。手摺に寄りかかって足元にいる豚を眺めていた。
「え?」
「いやいや、私じゃなくて、アーカイブの受け売り。そういう役割を負う人がいなくてもいいって」
「ああ」
「でも、他の生き物を食べる罪がなくなるわけじゃないんだ。旧文明くらいの技術があれば生き物を使わなくたって食べるものくらいいくらでも作れたでしょ。でもそうはしなかった」
「そうだね。作り方は変わったけど、作られているものは旧文明時代と変わらない」
「料理してると、なんとなく思うのよね。考え方が一致してないなって。きっと何人も頭のいい人たちが持論の食い違ったまんま作ったのが塔なんだろうなって」
「中途半端」
「そう。中途半端で、ちぐはぐ。屠殺の罪があるってことは、きっと自然破壊の罪とかもあるんだよ」
「地下資源の汲み上げ?」
「そう。それも塔がやってるでしょ。でも結局そういう無責任さがフラムを生み出したのかもしれない。だとしたら罪からの解放が必ずしも喜ばしいことなんて言えないでしょ?」
「ただ単に安く安定的に供給するためだと思っていたけどな」
モルと話したことをかいつまんで聞かせると、カイは少し考えてからそう言った。
「倫理的問題じゃない?」
「じゃないというか、実際問題の方が大事だったというかさ。ケチな魚屋のオヤジみたいに利己的な人間が一次産業をやると大勢が困窮するんだよ。だから人間にはやらせない」
「……だとしたら、人間が自分で食材を作ったり塔の部品を島の間で融通したりするのって大いなる逆行なのね」
「うん。屠殺の罪をあえて取り戻そうとしていることになる」
内壁ロボがスピードを緩めた。一見して外に出るためのハッチなどは見当たらない。
ところが完全に停止したところで足元がガクッと揺れ、内壁に亀裂が走ってそこから外の光が差し込んできた。内壁ロボの止まった周りの壁ごと外に迫り出しているのだ。
さらに内壁の上の部分が跳ね上がってそのままクレーンのアームに変形していた。この高度になるともう上に重量のある構造物はない。さほど強度を要さないのでこんな構造にできるのだろう。塔の先端全体が旋回するような仕組みになっていた。
内壁の展開が止まる。
文字通り空のど真ん中だ。天板の下を覗き込むとタールベルグのほぼ完全な平面形が見えていた。ラウラの甲板も下だ。先に着いた2人が手を振っていた。
クレーンのフックがパレットに掛けられたワイヤーを捉える。
「案外その逆行を期待していたんじゃないかな」カイは言った。「屠殺だけが人間の罪じゃない。自然破壊もそうだ。地下資源の汲み上げも塔がひとりでにやっている。人間は手を汚していない。かつてフラムを生み出したのもきっとその無自覚と無責任さなんだ。技術を信奉して、何もかも機械任せにして突き進んだ。立ち止まろうとしなかった」
「塔もまたその罪の延長線上にある機械なのね」
「塔の中に籠もって生きていけるはずの人間がその保護を抜け出して自給的な生き方を始め、1基1基で完結しているはずの塔と塔の間で交流を持とうとするのは、罪を生み出した旧文明の枠組みを超越していく試みになるんじゃないかな」
「……文明の再生のような?」
「そう」
「それが設計者たちの本当の期待なのだとしたら、塔は崩れていくものなのかしら」クローディアは足元を確かめた。迫り出した内壁は細いアームで支えられているに過ぎない。それはまるで塔そのものの不安定さを暗示しているようだった。
「わからない。塔そのものは残るのかもしれない。でも全ての塔が機能を失ってもそこに人間が生きていたなら、それは旧文明の人たちの夢が叶ったと言ってもいいんじゃないか。俺はそう思うよ」




