第三章 〈一〉十五の夜
『15の夜』
時折、薪が音をたててぱちっと舞い上がるのをみて、デルマは思った。
ここの男たちは、一生のほとんどの時間を山の中で過ごす。家族や、恋人とも会えない時間の中で、この何も無い山の中で何を想い過ごしているのだろう。
先ほど、夜の冷えを緩和させるために、配られた酒をのみながら物思いにふけた。山の夜は冷える。薪をかこみ、毛布を手にしていたとしても、足元から上がってくる冷え込みは、夜半から朝にかけてどんどん加速していく。この冷え込みを体験したのは、デルマがまだ15歳の頃だった。成人の儀の前で、山に入り一人前の男になるための儀式を山ノ神の前で迎える。
その頃のデルマは、山ノ神と仕事をし、里に下ってからも寡黙な男たちにあこがれを抱いていた。成人の儀の前に山に入ることも許されないウリッジのしきたり、そして山の中で起こることも他言無用の神域の世界。
山では男がどのようなことをしているのかを、知りたくてたまらなかった。
やっと迎えた成人の儀の前の晩、その年、15になった若者がそのとき5名集まり、長老の待つ山の奥へと向かった。
デルマはそのときのことを、一つももらすことなく、よく覚えている。
初めて入る、神域の山。
山ノ門の前より先に、行くことを許されたときの、解放感。
これで、やっと、何かから自由になり、これから先に、男としての使命が待っていると本気で思っていた。
まだ幼さの残る顔立ちに、緊張感をにじませながら、同級のものたちと、静かに、精悍に立ち入っていく、山の夜道。
儀式は、翌早朝に迎えるために、儀式の行われる中心部の山ノ神のお膝元まで向かうことだけ知らされていた。
皆が、ほとんど一晩かけて歩いていく山の道のり。
山ノ門で、母や妹が送り出してくれるその姿や、松明の火が見えなくなると、あたりは静かな闇が待っており、そこを、小さな松明を先頭と最後尾の者が持って、入山していく。
その列の間に、一列となって、成人の儀に向かう自分たちが歩いていた。
デルマは、前から二番目だった。先頭の持っている松明が、あたりをてらしていたとしても、自分の足元は変わらず暗かった。
静かに鳴っている木々のざわめき、葉の鳴る音、そして、フクロウか何かがうたっている。
やがて、広く視界が開けた。
目の前には、満月をふちどったおぼろげな光の空がある。雲はなかった。
開けたと思う場所は、巨石の並んでいる場所で、松明の光を超えて、月の明かりがあたりを十分に映し出していた。
後ろに続いていた同級たちから、安堵のため息がもれたのが聞こえた。
皆同じように、いく手のわからない闇から解放されたことに、やすらぎを感じていた。
月の明かりが、これほどまでに美しいと思ったことなどなかった。
デルマは、見上げるばかりのその美しい月を眺めていたとき、先頭のものが立ち止まった。
ちょうど、足元には、巨石が立ち並んでいる。
ごつごつとした岩の感触が、草鞋に直に食い込んでくる。
みると、先頭のものが、そっと松明の火を何かにくべるのをみた。
それは、大きな岩と思っていたが、洞穴のように空洞があり、その手前の溝に、松明をくべるだけのモチーフがあったのだった。
くべた火は、何かに引火したようで、また燃え出した。
入り口に二箇所そのような場所があり、火が燃されると、先頭の者が、何も言わずに、巨石の割れ目の中へと入っていった。
デルマは心臓が高鳴っていた。
この奥深くに、山の秘密が隠されている。この奥にいるのは、決して他言してはならない種族の秘密。そして、いまだ恐れられている山ノ神の神域。
足元が、ひんやりした。地面が湿っているのが伝わってくる。
後ろを歩いている同級たちの草鞋の音が、ヒタヒタとなっている。
壁は、見えないが、洞窟は人が一列に入って、ちょうどいいほどの狭さで、
その壁には、コケがむしているようであった。
背もさほど大きくなかったデルマは、壁をこすることなく進んでいけた。
前を歩く年長者の松明の明かりだけが、頼りだった。
デルマは、いまだかつて無いほどの、緊張感を体中に感じていた。
毛穴一つ一つが、周囲の情報をさぐろうと、必死になっているようだった。
時折、かさっと壁づたいに物音がするときがあった。
それは、虫か小さな生き物のたてる音であろうとわかっていても、実際その音がどれほど小さかったとしても、デルマには身体中の神経に響くような、痛いほどの心臓の高鳴りとなって帰ってきた。
小便をもらしそうと誰かが言っているのを、そんな機会などあるものかと幼少の頃笑っていたが、そんな機会というものが、本当にこの世に存在するのだというのを、今、嫌というほど感じさせられているデルマだった。
やがて、先の方が、ほのかに明るさを帯びてきたと思ったとき、先頭の者が振り返った。それまで沈黙の行として、誰も無言で進んできたが、振り返った年長者は、思わぬことをつぶやいた。
「これより、入る中には、お前たちがみたことがない世界が待っているだろう。しかし、お前たちにも、また同じ血が流れ、それを受け継いでいくことが、わしら山ノ神の仕事なのじゃ」
※※※※
腕を叩かれて、デルマは闇の視界の中、目を覚ました。
うとうとと眠りこけてしまっていたようだった。
焚き火をみているうちに、15の頃の自分が蘇ってきて、やがて夢の中へと眠ってしまったようであった。
腕を叩いたものは、まだ若いトオラだった。年の功は、22か3。
「デルマさん、ちょっとこっちへ来てください!」
闇の中を、神妙でこわばっている彼の顔だけが浮き上がっていた。