第二章 〈2〉 禁域
『禁域』
ルウアは、思春期の多感さと、ありあまる身のうちにある力の矛先の無さから、ウダウダ過ごすことも多かった。
自分には、本当は、もっとできることがあるというのに、どこに行っても、掟、掟とそればかり立ちはだかっているようで、そんなときは、背にある羽根のことを感じるのだった。
誰も、この羽根のことなんて、考えちゃいない。
自分たちに羽根があることも忘れて、地べたではいつくばって仕事をしている大人たちが気に入らなかった。
母さんも母さんだ。
父さんが山から帰ってくるまで、家のこと一切を切り盛りしているくせに、帰ってきたら嬉しそうにして、あれよこれよと、甘やかして尽くしている。
たまに、母さんだって息抜きしてでかけりゃいいんだ。なのに、人の世話ばっかり焼いて。
ルウアは、物心つくころから、父が不在になる家で育った。
村の男たちは、ほとんど家業のないもの以外は、山へと仕事をしに行く。
その山は、禁域とされ、15歳にならないと入ることもできないし、山で起こったことを里の者に伝えることも禁止されていた。
村の男たちは、必ずといっていいほど、身体やよっぽどの事情でもない限りは、皆15歳で山へと登る。
そして、そこで山ノ神との儀式をして一人前の男子と認められるのであった。
ルウアはその儀式というものが気に入らなかった。
なんで、15歳にならないと入ってはいけないのか、誰も教えてくれないし、自分がまるで儀式をしていないうちは、一人前ではなく、ただの子供扱いとしかみられないのではないかと、気分が悪くなるからであった。
以前に、大昔、山の禁を破って15歳以前で山に入った者があると聞いたことがある。
そのものは、一晩中見つかることができずに、翌朝凍えた状態で全身傷を負ってずたぼろになっている姿で見つかった。
見つかったところは、山ノ門の前だった。
一晩中探し回った男たちが、幾度と無く探し回った場所であり、そこへ、翌朝に、何の前触れも無く、そのような状態で見つかったのだった。
すぐに手当てがされると、若気の生命力のおかげで、回復も早かったが、彼自身は、なぜあそこにいたのか、どうして傷を負ったのかを覚えていなかった。
その記憶は戻ることが無く、山へ怖れを抱くようになったために、15の儀式には参列せずに、成人の儀を向かえ里で仕事をするようになった。
いまだに当時の傷で一番深かった、何者かに引っかかれた痕のようなものは、消えずに残り、大人になってからも、その部分だけはかばうように歩いている姿を見かけた。
御年80を過ぎた今も、山へ入ろうとせずに、里の中でも左足をかばうようにしながら歩いているサダじいが、その時の若者だと聞いたことがあった。
人の口の端に上ることもしなければ、寡黙で、独り何かしらの作業をしているところをよく見かけていた。
挨拶をすれば、快く返してくれるが、人嫌いということもなさそうな、普通の老人に見えた。
ルウアは、一度その老人に話しを聞いてみたくて、山のことを聞こうとしたときに、フレアにとめられた。
「あなた、そんな風に、興味半分で、昔のことを掘り返そうとしたりして。人には言いたくないこともあるかもしれないじゃない」
ルウアは、フレアにつかまれた腕の重さと、老人への聞きづらさが合間って、同じく比例した。
「わかってるよ!」
姉の腕を振り払うと、翼をつかって飛び上がった。
フレアが何かを下から叫んでいるようだったが、翼がしなる風がその声を掻き消した。
何かわからぬものに導かれるようにして、夕暮れの中を翼をしならせながら飛んだ。
赤い夕暮れは、あたりを紅く染めて、その色の中を飛び去っていく孤独な少年を、老人サダは見上げていた。
もうろくし始めた、白い濁りのある眼球の奥に、いつの日か自分が飛び去ったときの姿が浮かんで、真っ赤に染まる視界の中で、そのときの自分と重なった。
痛む古傷を優しくいたわるようになでながら、左足を反転させ、家路の方へと向かわせた。
あの日起こった記憶は、自分の中だけに封じておこうと思っていたことだった。
誰も知るまい。
本当にあったことなど。そして、それは、自分が墓壷まで、持っていこうと思っている一等大事な品なのだから。