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状況の説明

    1

 あらすじ。手違いから同居することとなってしまった、ホストの如月と男子大学生の望月。昼間は寝てばかりの如月に対し、望月は不満を募らせる。すれ違いの生活。不満は満ちていくばかりで、とうとう満月の夜に二人の感情は一線を越える。

 最初の一行をキーボードに打ち込もうとして、その男は懊悩するのだった。広告ならば、一行目を読ませるのは二行目を読ませるためであり、二行目は三行目を、ということになる。それまでの積み重ねを台無しにする1980とか2980、5%という表示を男は毛嫌いしていたが、やむなしだともまた思っていた。現在の自分の境遇と同じだった。

 PCは自分のものだったが、と思いながら男は部屋を見回した。個室こそ与えられていたものの、私物は目の前のものと衣服くらいであり、他は彼が依存している対象の所有物だった。女の匂いと、化粧品の匂いが充満している。机と本棚しかないが、本棚には男が参考としたハーレクインや、BLものがみっしりと詰まっており、大江健三郎はマイノリティと化していた。ハーレクインのタイトルだけみても〈ダイヤモンドの支配〉とか〈花束の逃亡者〉といった具合で、見るだけでうんざりしてくる。

 男はPC画面に向かいなおし、自作のそういった小説をしたためるために、再び最初の一行を思案した。どうやっても頭も体も拒否しているので、偉大な作品を創造する前段階としての、金を稼ぐための方便だったとしても指はいうことをきかなかった。

 とうとう、男は拳を太腿にくっつけた。攻撃先がそこになったり、あるいはPC画面になったり、自分を飼っている女にならないという保証はなかった。

「ハルキー」と、隣の部屋から女が呼んだ。

 ハルキと呼ばれた男はいらいらを体現しならが立ち上がり、ドアを開けた。

「おれはハルキじゃない」

「それっぽくなりたいって言ってたじゃん。で、どんなの書いてんの? そのハルキって人」

「言ってもわからないだろう。で、何の用なんだ」

 女はベッドに横たわっており、タオルケットが肢体に絡みついていた。そのまま絞め殺されてしまえばいいのに、とハルキは思った。女の左手は空をかいているが、ほんの十センチほど先には蓋が半開きのウェットティッシュがあった。

 ハルキは察してやらねばならなかった。

 乾いている一番上の一枚を捨て、十分にウェットになっているやつを女に渡した。

「よくできました」

 ハルキは腹の底に落ちていく屈辱を感じた。

「なんなの、その顔」

「なんでもありません」

「印刷用の紙と資料代、出してあげないよ?」

「……すみません」

「わかったんなら、さっさと書いてよ。あらすじは、どんなのなの?」

 ハルキは伝えた。

「いいじゃん。いいよねえ。で、いつ一線を越えるの?」

「ネタバレになったら、面白くない」

「だよね。じゃ、頑張って」

 ハルキが自室にこもりに向かう背後で、女はスマートフォンをいじり始めるのだった。

 誰が、お前なんぞに好き勝手に飼われるものか。たとえ、食費から医療費から資料代まで全てまかなってもらっており、対価として好みの準ポルノみたいなものを書いてやっているにしても。しても!

 忸怩たる思いを抱えながら、後ろ手でドアを閉めた。いつか必ず、こんなところ出てってやる。心に決めるというより、心に刻印、いや焼印をしたつもりになった。ハルキは椅子に座り、つけっぱなしの画面を凝視した。

 中世ヨーロッパでは画家は王侯貴族に召し抱えられ、それらを賞賛するための肖像画を描いていた。描かされていた? 肖像画は現代の写真のような感覚だったとはいえ、そう、ヨイショに使われていたことには違いがない。

 誰が、てめえなんかのために。いつか絞め殺してやる。いつか、絞め殺したのをてめえが勤めているキャバクラ通いでキャバクラ狂いの男のせいにしてやる。

 ハルキは一心不乱にキーを叩きだした。ある種、小説とは類型である。最も単純な比喩として、穴に落ちた人間が這い上がろうとすることだという。ましてや文法もそれなりに決まっており、最初に一文字を空け、適当に読点を用い文末には句点を設け、アクションならば切った張った、恋愛ならばすれ違いを入れ込み、陰影のあるキャラクターを登場させ……おれは何をやっているのだろう。仕方がないのかもしれないが。大学も出ず、こんなところのこんな女の厄介になって、家賃の代わりに女が好むポルノを書かせられて……なんでおれは、ここで心臓発作を起こしていないのだろう……。

 女の嬌声が、またしても彼を追い詰める。彼は机の一番上の抽斗から、子供の頃から使っていた肥後守を取り出した。小さめのナイフである。電動の鉛筆削りが壊れた際などは、これで削っていたし、使い込まれてなまくらにこそなっているものの、思い出深い品だった。自分の手首をすっぱりやれたら、苦しみもなくなり、あの女に一泡吹かせてやれるだろう。

 ハルキは左の手首にあてがいこそしたものの、一気には引き切れなかった。まだ、我が身が可愛いのだ。自分を捨てたい捨てたいとひきもきらずに思っているにもかかわらず、どうしても踏み出せなかった。彼は肥後守を抽斗に戻し、思った。物語の中に拳銃が登場した場合、必ず発射されなければならず、そうでなければこけおどしとみなされるそうだ。この場合、肥後守であの女の顔面を滅茶苦茶にしてやることが相当するだろう。ククククク。

「てめえらの問題は、拳銃での撲殺じゃ満足しねえってことだろうが! クソが! 当たり前のものを当たり前の用途に使うんじゃ、話にならねえんだよ!」

 男が叫ぶと、ウルセーと女は応じるのだった。

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