幕間3-5
林忠崇侯爵は、5月20日になるまで痛飲して、土方勇志伯爵と話し続けた。
最後は、土方伯爵が半ば介抱しながら、林侯爵の東京にある別宅に、林侯爵を連れて行った。
そして、土方伯爵は、別宅の管理人の好意を素直に受け入れ、昼前まで林侯爵の別宅の来客用寝室で高鼾で寝た後で、林侯爵に挨拶して、別宅を辞去した。
その日の午後、二日酔いに苦しんでいた林侯爵に、元老の山本権兵衛元首相から、明日、21日午後に自宅に来るようにとの電話連絡があった。
まだ完全に酔いが抜け切れない想いがしている林侯爵が、山本元首相の自宅に顔を出したところ、山本元首相は、林侯爵の顔を見るなり言った。
「斎藤實海相を、犬養首相の後継首相にすることが内定したので、斎藤を説得してくれ」
「はっ?」
林侯爵は、酔いが抜けていないせいで、聞き間違えたかと思った。
「実はな。渡辺錠太郎陸相から申し入れがあった。陸軍の総意として、斎藤海相を後継首相に推すとな」
山本元首相は淡々と言った。
「一体、どういう理由で」
林侯爵は、少し首を傾げたが、段々、理由が自分でも分かってきた。
「つまり、立憲政友会の内部闘争が見過ごせないし、対英米協調から斎藤海相が適任だと」
「そういうことだ」
林侯爵の問いかけを、山本元首相は肯定した。
「斎藤海相は、第一次世界大戦で積極的に欧州派兵を主張したしな。ロンドン海軍軍縮条約の経緯から、対英米協調派と、英米からも見られているしな。それに、あの対中14か条要求を主張した対中強硬派だ。下手に北京政府に妥協しない、と陸軍は考えた。更に、立憲政友会の党争は目に余る」
山本元首相は、そう言った。
「そして、荒木貞夫将軍のクーデター未遂の一件で威信を失墜させた陸軍としては、斎藤海相を首相に推すことで、海兵隊が基盤で海軍本体に不人気な斎藤海相に恩を売り、陸軍の傀儡として操りたい、というわけですな」
「そういうことだ」
林侯爵の皮肉な口調に、山本元首相も合わせた。
「それに何で山本元首相らも乗るのです」
「それが一番妥当な落としどころと、西園寺公望公もわしも考えたのさ」
林侯爵の疑問に、山本元首相は、そう答えて、詳しく事情を説明した。
犬養首相が暗殺された以上、犬養内閣の一員か、立憲政友会の幹部か、から後継首相を選ぶのが妥当なのは間違いない。
では、誰が適任か。
鈴木喜三郎内相が本来なら適任だが、立憲政友会が一致して後継首相に推している訳ではないし、平沼騏一郎枢密院副議長を始め、敵が多すぎる。
その点、斎藤海相は、陸軍が推しているし、英米とも好意的な関係を築けるだろう。
「なるほど」
林侯爵は得心した。
「海兵隊の大先達として、斎藤海相を説得してくれ」
「分かりました」
山本元首相の言葉に、林侯爵は肯いた。
「私は70歳過ぎですよ。首相になるのは」
「わしに比べれば、10歳も若いぞ」
「林侯爵と比べられては、誰だって若者になります」
そして、山本元首相の依頼を受けた林侯爵と、斎藤海相は押し問答をする羽目になった。
「わしの親友の遺志を継いでくれ。わしが頭を幾らでも下げるから、本当に頼む」
「分かりましたよ」
最後は、林侯爵が、犬養首相との友誼まで持ち出すことになり、斎藤海相は、とうとう説得された。
一方、鈴木内相は、内心では多少不本意だったが、西園寺、山本両元老からの説得を受けて、副首相兼任の内相として斎藤内閣を支える役回りを務めることに同意した。
立憲政友会の一部の代議士が不満を訴えてくるのに対しては、鈴木内相は次のように答えたという。
「立憲民政党に政権を渡すよりはマシだ。立憲政友会は与党として、斎藤内閣を支え、犬養前総裁の遺志を受け継ぎ権力を握ろうではないか」
幕間3の終わりです。
次から第4章になります。
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