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幕間3-3

 土方勇志伯爵は、(本音としては)参列したくなかった葬儀に参列する羽目になっていた。

 5月19日、犬養毅首相の葬儀は、国葬として盛大に執り行われていた。

 これ程の葬儀は、大隈重信侯爵以来、と新聞で報じられた程だった。

「憲政の神様」と謳われ、暗殺された現役首相にふさわしい盛大な葬儀だったが、土方伯爵としては、陰でそっと犬養首相の死を悼みたかった。

 だが、いろいろな諸事情が、土方伯爵を犬養首相の葬儀に参列せざるを得ない状況に追い込んでいた。


「土方、わしと一緒に犬養の葬儀に参列してくれ。あいつとの思い出話を葬儀の場で聞いてほしい」

 林忠崇侯爵からの電話の第一声を受けた瞬間、土方伯爵は、これは断れない、と腹を括った。

 林侯爵の言葉の裏に、深い悲しみが秘められているのを察したからだ。

「分かりました」

 土方伯爵は、即答していた。


 だが、実際に葬儀に参列するとなると、話は別である。

 それに、土方伯爵は、この参列者の群れの一部に、別の雰囲気を感じ取っていた。

「何か違和感というか、微妙な雰囲気を感じるのですが」

 60歳を過ぎたとはいえ、土方伯爵も日清戦争以来の歴戦の軍人としての感覚は残っている。

 思わず、林侯爵を護ろうとする体勢を執りながら、林侯爵に参列早々にささやく羽目になった。


「そりゃ、そうだろう。艦隊派の面々を思い切り挑発してやったからな」

 ケッ、ケッ、と悪い高笑いを発しそうな表情を浮かべつつ、瞳に深い悲しみを湛えながら、林侯爵は、ぽつんとつぶやいた。

 土方伯爵は、その顔を見た瞬間、却って何も言えなくなった。

 この一件、自分は決して立ち入ってはいけない世界だ。

 林侯爵の心の痛みはかなり深い。

 この犬養首相の暗殺は、これまでの林侯爵の長い生涯で、最も心を痛めた一件の一つなのは間違いない。


「艦隊派の軍人は、恩を仇で返すのが、当然のようです。ロンドン海軍軍縮条約の際、海軍軍縮反対を声高に唱えた犬養首相を暗殺するとは。犬養首相を暗殺した藤井斉大尉は、艦隊派の一員だと公言しており、艦隊派は藤井大尉に味方するようです、と天皇陛下に奏上するように、鈴木貫太郎侍従長に言ってやったからな。ついでに斎藤實海相にも、そう新聞記者たちに言うように言っておいた」

 林侯爵は言った。

 土方伯爵は、絶句した。

 そりゃ、艦隊派の軍人の多くが慌てふためくわけだ。

 林侯爵の言葉は、続いていた。


「全く、見苦しいにも程がある。東郷平八郎予備役元帥や加藤寛治予備役大将らは、海軍軍人は、恩を仇で返すような事はありません、と新聞記者の取材に答えて、この犬養首相の国葬に参列して、哀悼の意を心から表明する、藤井大尉らは極刑以外の刑は無い、とまで言ったそうだ。藤井大尉らは、憂国の想いから行動した若者である、天皇陛下の意にたまたま沿わなかっただけで、寛大な刑に処すべき、と彼らは率先して言うべきだろうにな」

 林侯爵は、そう言ったが、土方伯爵は、それは無理だ、と内心で思った。

 天皇陛下が、今回の犬養首相の暗殺の一件をかなり怒っているという噂が流れているらしいのに、藤井大尉らに寛大な刑を、と等と公言しては、艦隊派は天皇陛下の意をますます損ねるだろう。


「そう言う訳で、艦隊派の海軍軍人の多くが、本音では不本意ながら、この場に参列しているのさ。わしへの視線が冷たくなるのも仕方のない話だ」

 林侯爵は、口先では居直った態度を執っていたが、どうにも親友の犬養首相を喪った悲しみがこらえきれないのが、土方伯爵には分かった。

 こういう時に、林侯爵に土方伯爵が取れる態度は一つしかない。


 土方伯爵は、林侯爵に無言で寄り添うように立って歩き出した。

「本当にすまんな」

 林侯爵はそう言った。

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