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幕間3-2

 5・15事件が終わった後、時折、林忠崇侯爵は、考えることがあった。

 年寄りの繰り言なのは充分に分かってはいるが、友人として、犬養毅元首相に、自分の口を過信しないように警告しておくべきだった。

 暴漢が襲撃してきたら、一目散に逃げろ、と犬養元首相に言っておくべきだった。

 それにしても、首相官邸を直接、襲ってくるとは。


 わしも、モウロクしていた。

 奇襲とは、相手の不意を襲うものではないか、首相官邸を襲ってくるリスクがあると考え、せめて陸軍なり、海兵隊なりの完全武装した1個分隊を首相官邸に配置するように警告していれば。

 犬養元首相は、まず助かったろうに。


「何だと、間違いではないのか」

「間違いありません。犬養首相が殺されました」

「犯人は誰だ」

「本当に申し訳ありません。身内です。海軍本体の藤井斉大尉らです」

「犯人は捕まえたのか」

「一応、自首はしてきました」

 1932年5月15日深夜、林侯爵は、斎藤實海相の電話を受けて、半ば呆然とする羽目になっていた。


 5月15日は日曜日で、犬養首相は終日、首相官邸にいた。

 その日の午後5時過ぎ、藤井大尉らは、犬養首相暗殺の為に全部で10名で首相官邸を襲撃した。

 犬養首相は、藤井大尉らと話し合おうとしたが、藤井大尉らは、問答無用の態度で、犬養首相を銃撃した後、すぐに立ち去ったという。

 犬養首相は、即死はせず、駆け付けた女中に対して、

「今の若い者を呼べ。話して聞かせることがある」

 と言ったとのことだが、次第に弱り、息を引き取ったとのことだった。


 その後、藤井大尉らは別働隊と協働し、立憲政友会本部や警視庁、牧野伸顕内大臣邸宅等を襲撃した後、憲兵隊本部に自首してきた、と斎藤海相は、林侯爵に電話で連絡した。

 林侯爵は、考え込んだ。

 長年の友の死を心から悼むべきだった。

 だが、それと同時に、犯人を絶対に許せない、という憤りを感じていた。


 随分、長い間、林侯爵は自分の考えに耽っていたが、遠慮がちな斎藤海相の声で、我に返った。

「林侯爵、よろしいでしょうか」

「ああ、すまんことをした」

 そう答えながら、林侯爵は、肚を決めた。

 犯人どもは、絶対に許さん。


「おい、鈴木侍従長に、できる限り、速やかに連絡を取り、天皇陛下の御言葉を頂け」

「はっ、どんな御言葉でしょうか」

 林侯爵の怒声に、斎藤海相は、思わず背筋を伸ばして答えていた。

「犬養首相に対する哀悼の意と、朕の股肱の臣を殺すとは、断じて赦せぬ、との御言葉だ」

「分かりました」

 斎藤海相も、海千山千の政治家である。

 林侯爵の言葉で、全てを察した。

 天皇陛下の御言葉があっては、誰も逆らえない。


「そんな馬鹿な」

 藤井大尉らは、呆然としていた。

 天皇陛下から内意を伝えられた海軍は、藤井大尉らを反乱罪の首魁として、特設海軍軍法会議に掛けると決めたのだ。

 反乱罪の首魁となると、藤井大尉らには死刑以外、刑罰の選択肢はない。


 東郷平八郎予備役元帥以下、艦隊派の重鎮の面々は、皆、天皇陛下の御言葉を聞いて、藤井大尉らの厳罰論を主張するようになっている。

 民間でも、藤井大尉らは、速やかに極刑にすべき、との世論が巻き起こっているらしい。


「憂国の念から決起した我らを、このように扱うとは。君側の奸がここまで、はびこっていたとは」

 藤井大尉らは痛憤したが、特設海軍軍法会議は非公開法廷であり、藤井大尉らが幾ら声を張り上げても、誰にも届かない。

 藤井大尉らに協力した民間人も、特設海軍軍法会議に掛けられることになった。


 1932年夏、反乱罪の首魁とされた藤井大尉らには死刑判決が下され、数日後には処刑された。

 藤井大尉にとって、せめてもの心の慰めは、軍人として名誉ある銃殺刑に処せられたことだった。 

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