第3章ー50
単純に考えれば、この国際連盟総会の場で、国際的に孤立したのは、日本であり、外交上の敗者であることは間違いなかった。
だが、実際問題として、日本が後援し、米韓も事実上は支持して、現に満州を掌握している蒋介石政権を無視できる国は、そう多くは無かった。
北京政府のバックにいる筈のソ連でさえ、蒋介石政権と事実上の外交関係を作らざるを得なかった。
こういった状況から、北京政府は、国際連盟は大国の意のままになっていると論難し、国際連盟から代表団を引き揚げてしまい、国際連盟からは事実上の脱退状態となった。
更に1932年末までに、主に日本の支援を受けた蒋介石軍の大攻勢の前に、馬占山らの北満州の反蒋介石勢力が崩壊、または消滅(馬占山ら指導者層は、ソ連等に多くが脱出した)してしまう。
これにより、万里の長城以北のいわゆる満州領内が、蒋介石政権によって、一応の安定状況が置かれるようになるに至ってしまった。
万里の長城を事実上の国境線として、北満州から転進してきた蒋介石軍と、北京政府軍が停戦状態で睨み合う事態が、1933年初頭以降は、恒常化するようになった。
それまでに、第12師団と第1海兵師団は、万里の長城の線から順次、撤退している。
蒋介石政権も、北京政府も、具体的な停戦協定等は決して結ぼうとはしなかったが、事実上の停戦状態が続くようになった。
満州情勢が安定したことから、1933年1月、第1海兵師団の満州からの撤兵が正式に発表された。
1932年10月には、北満州の情勢の安定を見て、第4海兵師団の満州からの撤兵が発表済みであり(実際の第4海兵師団の満州からの撤兵完了は1932年末になった。)、ここに日本海兵隊は全員が満州から撤兵することになった。
その一方で、関東軍は対ソ戦、対北京政府戦の再開に備えて増強され、満州に日本陸軍3個師団が駐箚して睨みを利かせることになった。
この背景として、蒋介石政権と日本と韓国が軍事同盟を締結したことがある。
また、詳しくは後述するが、黒竜江省で発見された大油田絡みで、米国が蒋介石政権に対して出資し、英国も蒋介石政権の幣制改革に協力する等、国際的に蒋介石政権は少しずつ公認されるようにもなった。
1933年春、林忠崇侯爵は、斎藤實首相を官邸に訪ねていた。
今後の極東情勢の見込みについて、斎藤首相の見解を林侯爵は貴族院議員として確認しておきたかった。
斎藤首相は、林侯爵と歓談した。
「蒋介石は、何といっているのだ」
「何れは南征を、と私の所に言ってきておりますが、まずは地盤固めを優先したいとのことです」
「それが正解だな。黒龍江省の大油田を開発し、幣制改革を完了して、満州を豊かにした上で、蒋介石は南征をすべきだろうな。それは10年は先になるだろうが」
林侯爵と斎藤首相は会話した。
「むしろ、ソ連や北京政府への対応が問題です。黒龍江省の大油田は、本来、我々の物だと、北京政府は主張しております。ソ連も、あれだけの大油田に食指を伸ばさないわけがありません」
「厄介だな。油田が見つからない方が良かったな」
「ソ連や北京政府から、蒋介石政権への侵攻作戦が発動されるかもしれません。陸軍3個師団を満州に駐箚させることにしました」
海兵隊は即応部隊のため、師団級の部隊を満州に駐箚させるとなると、日本は陸軍を送ることに基本的になってしまうのだ。
斎藤首相は、そういった事情から、満州から海兵隊を引き揚げさせ、陸軍を駐箚させることにしたのだ。
林侯爵も長年の経験から、それは了解している。
「できる限り、極東の平和が維持されればいいのですが、難しいでしょうね」
「難しいだろうな」
2人の表情は昏いものだった。
第3章の終わりです。
次話から、5・15事件を描く幕間になります。
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