第1章ー9
日本国内では、そんな大喧嘩が巻き起こっていたのだが、ロンドンにいる海軍軍縮会議に参加している日本の代表団の多くの者には、その実態が明確には分かっていなかった。
そもそも、この大喧嘩の当事者の一人ともいえる林忠崇侯爵にしても、加藤寛治軍令部長にしても、内々に動いている。
お互いに表だって動くことで、相手を更に刺激したくないという自制を、お互いに利かせていた。
そのため、日本代表団の多くの者が、土方勇志伯爵も含めて、日本に帰国した後、日本国内で、ロンドン海軍軍縮会議が、海軍本体を二つに事実上分裂させ、更に衆議院において大論戦が繰り広げられていることに驚くことになる。
ロンドンにいる日本代表団内では、英米からなされた第一提案に際して、そのままの受け入れ止む無し、の意見が、大勢を占めるようになっていた。
代表を務める若槻礼次郎元首相は、立憲民政党出身の大物議員であり、その見識も極めて高いものがあった。
それをサポートする人材も事欠かない。
外務省からは、将来の外相候補と省内で呼び声の高い斎藤博外務省情報局長が、特に派遣されている。
大蔵省からは、将来の大蔵次官と目されている賀屋興宣が派遣されている。
海軍本体からは、財部彪海相が赴き、更に安保清種海軍大将らがサポートする体制が整えられている。
そして、海兵隊からは、(本人としては不本意ながら)土方伯爵が派遣されている。
こういった面々で話し合った結果、英米からの第一提案受諾止む無しの結論が出てきたのである。
日本は世界第3位の海軍の地位を維持し、大国の地位を保てる。
潜水艦にしても、英米日対等で5万トン余りが保有できる。
確かに、金剛級戦艦1隻が練習戦艦になるのは問題だが、英米も戦艦を削減するというのに、日本だけ戦艦を削減しないというのは通らないだろう。
それに、軽空母1隻の建造を英米に認めさせることが出来た。
これ以上は、欲のかきすぎだろう。
日本の財政は、更なる緊縮予算が必要な状況にあるという現実もある。
これで、手を打つべきだろう。
そういった意見で、ロンドンにいる日本代表団の意見は、ほぼ統一された。
そして、この英米の第一提案を、そのまま日本は受諾するのが至当である、という意見が、東京に送られることになったのである。
ちなみに、土方伯爵は、この話し合いの場においても、基本的に無言を貫いた。
公式の記録によると、若槻代表から、海兵隊の意見を聞きたい、と土方伯爵に話が振られた際に、英米と戦争になることは無いのですから、英米の第一提案受諾が至当と考えます、と言っただけになっている。
こうしたことから、土方伯爵は、財部海相の妻、イネの御守り役として、ロンドンに行かされただけという意地の悪い見方もあるが、実際には、英米に無言の圧力を掛けるという役割を果たしていたわけで、ただ単に行かされただけという見方は気の毒なものがある。
それに、土方伯爵が発言しづらい事情もあった。
「そもそも、海軍本体の事に自分は不勉強だ。確かに海軍兵学校を自分は卒業しているが、その後は海兵隊畑をずっと歩んでいるからな。軽空母1隻が新しく日本で保有できるというのは、海兵隊の航空支援に役立つだろうが」
そう正直に、代表団の一人(斎藤博と伝わる)に、土方伯爵は真情を吐露している。
それに対して、代表団の一人は、
「土方伯爵ら、海兵隊の面々の世界大戦や南京事件の際の働きのお蔭で、英米は日本に引け目を感じて、宥和的な態度を執り、日本に譲歩して軍艦の保有を認めています。土方伯爵が無言で会議に参加して下さるだけでも充分過ぎます」
そういって、土方伯爵を励まし、土方伯爵はその言葉に顔を綻ばせたという。
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