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第3章ー42

 この世界の満州事変当時の日本陸軍の師団ですが、第二次世界大戦時のイタリアの自動車化可能師団に準じた存在です。

 一応、将兵全員が、自動車教練等を受けており、充分な自動車があれば自動車化歩兵師団にすることができなくもない、というレベルの存在です。

 ただ、実際には師団全体どころか、師団所属の歩兵連隊1個でさえ、国力の問題等から、自動車化はまだまだできていない状況です。


 それなのに、陸軍では何で自動車教練等が必修なのか、というと海兵隊対策があります。

 欧州に参戦した海兵隊は、常備部隊は完全自動車化を達成しています(戦時動員部隊は別です。)。

 それに対抗するために、陸軍でも自動車化を進めている証しとして、自動車教練等が必修となっているのです。

 そういったジュネーヴの空気を読まずに、熱河省侵攻作戦は発動された。

 基本的に、海兵隊1個師団が山海関をめざし、一方、陸軍1個師団は古北口、喜峰口をめざし、蒋介石軍1個師団は、後方警備に当たるという作戦である。

 また、過去の戦訓もあり、100両余りの戦車は、補給の観点等から、全て海兵隊に回された。


 これには、陸軍が不満をこぼした。

 陸軍の方が進撃距離が長く、双頭の龍として進撃するのに苦労するのが、目に見えているからである。

 満州派遣総軍司令部は、米軍が満州に遺したトラック等のほとんどを陸軍に回すことで、その不満を宥めることにした。


 実際、何だかんだ言っても、この当時、米国製と日本製では、トラックの質にかなりの差があった。

 熱河作戦に投入されたトラックは、日本製の方が、米国製より2倍は故障しやすかったという熱河作戦に参加した将兵の回想が複数あるくらいである。

 そう言った観点からすれば、米軍が遺したトラック等(言うまでもなく全てが米国製である)は、長距離を進む陸軍に回す方が妥当だった。


 これに対処する北京政府軍の作戦は、北京の放棄を見据えて、じりじりと後退しつつ戦うという後退戦略を基本に据えていた。

 だが、単純な後退戦略では無く、随意の反攻に努めるという戦略でもあった。

 敵が押せば引き、敵が引いていけば、こちらはゆっくりと押そうとしてみるという作戦である。


 これは、まず、国内世論対策だった。

 単純に後退する作戦を取っては、国内世論の矛先が、日本等の侵略に弱腰だとして、北京政府にも向いてしまうからである。

 そして、国際世論へのアピールも兼ねている。

 日本は、傀儡の蒋介石を操って、中国全土を占領しようとしている、と国際連盟等で訴えるためである。


 だが、北京政府側が軍事的に劣勢なのも否定できない話だった。

 確かに、蒋介石軍と日本軍とを合わせても、3個師団、実戦部隊としては5万人程に過ぎない。

 一方、北京方面からの援軍を合わせるならば、当時、熱河省に展開していた北京政府軍は、20万人を超えるという記録(なお、熱河省侵攻作戦に伴い、北京政府軍の中で大損害を受けた部隊は、河北省等へ退却し、また、河北省方面から援軍も到着しており、また、信頼できる資料も少なく、北京政府軍の兵力は資料によってかなり異同がある。)もあるが、問題は例によって、その質だった。


 中国内戦を経験してきた精鋭も多くいたと言うが、実際の精鋭は、蒋介石がその多くを南京事件の後に共に国外に連れて行っており、旧軍閥軍の寄せ集め、といった態が強い代物だった。

 実際、本来の所属系統以外の軍と密接に連携した作戦を取る等、夢物語に近く、日本の海兵隊と陸軍が連携した作戦を取っているのを現場で見た当時の北京政府軍のある将軍が、

「これは共に陸軍の部隊だろう。陸軍と海兵隊が連携する等、我が軍からすればあり得ない話だ」

 と従軍記者に対して公言したという半ば伝説があるくらいである。

 このため、湯玉麟率いる軍勢5万人が熱河省内では中核となる最大兵力となるので、これを他の部隊が適宜の支援をし、熱河省に侵攻してくる日本軍と蒋介石軍の連合軍に抗戦することになった。


「さて、山海関を目指すか」

 岡村徳長少佐は、愛車ともいえる89式中戦車の中で呟いた。

 戦車団長は、3月から北白川宮成久少将が着任している。

 父、北白川宮能久大将と同様に、海兵隊への道を選ばれた方で、世界大戦や南京事件の際等と豊富な実戦経験の持ち主だった。

 岡村少佐に言わせれば、皇族らしからぬ経歴の持ち主の殿下であり、この度も自ら戦車団長への就任を希望されたらしかった。

「北白川宮殿下に、山海関一番乗りを果たして頂かねば」

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