第3章ー40
作者の私の性格がどす黒くてすみません。
熱河省侵攻作戦を描く以上、触れない訳にはいきませんでした。
そこまで苦労するのなら、何で熱河省に侵攻するのだ?という疑問が巻き起こりそうなものだが、熱河省侵攻作戦は、蒋介石政権も日本政府も必要不可欠と考えていた。
それは軍事的、また政治経済的にも必要だったのである。
まず、軍事的には、熱河省を確保して、万里の長城以北を蒋介石政権の支配下に置くことは、それだけ蒋介石政権の作戦縦深を確保することであり、中国本土のいわゆる北京政権の反攻を阻止できるものだった。
また、政治経済的には、蒋介石政権、北京政権、日本政府(また、米国政府や韓国政府も)が、暗黙の了解としていた重要な事実があった。
余りにもどす黒い話なので、公然とは誰も言えないが、この当時の熱河省は世界でも有数のケシの栽培地であり、裏返せばアヘン、モルヒネ等といった麻薬の原料の大産地であった。
ここを抑えれば、自らの国内の麻薬患者の蔓延を大幅に阻止できるとともに、医療用に必要不可欠な麻薬を自国で自給確保できる。
そのために、蒋介石政権、北京政権、日本政府は、熱河省を自らの手に抑えようと行動したのである。
「それにしても、蒋介石軍1個師団、陸軍1個師団、海兵1個師団か」
熱河省侵攻作戦を立案する際に、作戦参謀の石原莞爾中佐は、作戦参加兵力の少なさに苦悩した。
石原中佐の本音としては、海兵2個師団を、日本に帰還させたのは致命的間違いだった。
かといって、熱河省に侵攻する兵力不足を補うのに、蒋介石軍をこれ以上は使えない。
蒋介石軍の中で信頼できる兵力は2個師団しか無く、その内1個師団は北満州制圧作戦に投入する必要があるからだ。
もちろん、張学良軍の元兵士から志願兵を募ったり、新しく蒋介石政権の支配下に入った南満州の各地で志願兵を募ったりして、少しずつ蒋介石軍の充実は図られてはいる。
だが、それによって充実した兵力を、北京方面に向けられるか、というと、士気、練度の点から、石原中佐は否定的にならざるを得なかった。
まずは、北満州で馬占山等のゲリラ狩りに投入して、実戦の空気を味あわせないと、ろくな実戦経験も信頼性も無い、これらの兵力は北京方面に向けられるものでは無かった。
唯一、石原中佐の目からして明るい情報は、米国海兵隊が満州から引き揚げる際に、トラック等をほとんど満州の地に遺してくれたことだった。
米国海兵隊が比島に撤退することを聞きつけた満州派遣総軍が、日本政府や米国政府に働きかけた結果、トラック等は、今後の満州制圧作戦実施に必要不可欠であるとして、米国海兵隊のトラックのほとんどを、日本軍が格安で買いつけることができたのだった。
石原中佐は、このトラック等を、熱河省侵攻作戦に投入される陸軍第12師団に配備すること等により、熱河省侵攻作戦に参加する兵力が不足するのを、参加部隊の機動力で補おうと考えていた。
「双頭の龍の如く、陸軍第12師団と第1海兵師団を熱河省侵攻作戦に投入し、迅速に進撃させる。戦車部隊全ても、この作戦に投入する。空軍部隊も、できる限り、営口周辺等に展開させて、緊密な地上部隊支援を実施させる。蒋介石軍は、ろくに自動車化がされていないからな。後方警備任務に基本的に充てる」
石原中佐は、熱河省侵攻作戦の基本方針を上記のように考えて、自ら素案を作った。
言うまでもなく、その素案を基にして、満州派遣総軍は、熱河省侵攻作戦の実際の作戦案を計画、実施することになる。
「問題は」
石原中佐は天を仰ぎながら、呟いた。
「我々は、万里の長城を越えて、北京近郊まで侵攻しないといけないのかだ」
石原中佐の本音としては、補給の面から侵攻が躊躇われた。
だが、北京政権の対応によっては、日本軍は侵攻せざるを得なかった。
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