第3章ー39
熱河省侵攻作戦発動には、もう一つ問題があった。
軍事的側面では無く、外交的側面である。
国際連盟の場に、中国の北京政府が、満州事変問題を持ち出したのである。
満州事変勃発当初は、中国の北京政府は、国際連盟の場に、この話を持ち出すことに消極的だった。
何故なら、韓国の自作自演工作と言う線で話が付く、悪くても日本が消極的である以上、韓国に米国が加わっても国境紛争で済み、満州全てが席巻されることはあるまい、と楽観視されていたからだった。
そもそも、国際連盟自体に、中国の北京政府は、不信感を抱いていたのもあった。
国際連盟の加盟国の中でも、米英仏伊日の5か国は、常任理事国の特権として、国際連盟総会決議の拒否権まで持っていた。
独ソ中等は、国際連盟加盟国は全て対等が当然であるとし、一部の国に特権を認めるのは、おかしいと主張して、国際連盟には加盟していたものの、この特権の廃止を訴えていたが、米英仏伊日は、自らの特権を手放そうとせず、無視を続けていた。
もっとも、この拒否権は、基本的に抜かずの宝刀と、日本の新聞が評したように、ほとんど使われていないのも事実だった。
だが、満州事変を、国際連盟の場に持ち出すと、日米に不利な総会決議がなされても、日米が拒否権を発動するのが目に見えている。
そのために、中国の北京政府は、当初は、満州事変問題を持ち出そうとしなかった。
しかし、今や、満州事変当初と満州の状況は一変していた。
北京政府の満州における現地代官といえた張学良は自死していて、満州の張学良の旧勢力は急速に崩壊しつつあった。
そして、日米韓をバックに付けた蒋介石率いる(自称)中国正統政府が、奉天を臨時首都として樹立されており、南満州全体を制圧していた。
このまま座視していては、少なくとも満州全体が蒋介石の手に落ちるのは、時間の問題だった。
かといって、軍事力だけで、日米韓をバックにいる蒋介石の勢力を叩きのめすのは、北京政府にとって困難極まりない事だった。
そのために、北京政府にとって、少しでも有利な状況を作り出そうと、満州事変が国際連盟の場に持ち込まれることになったのである。
この事は、熱河省制圧作戦発動に微妙な影響をもたらしていた。
ある意味、話し合いを求めたい、と相手が言って来ているのに、いや、話し合いを拒否する、と行動で示すようなものである。
ソ連の介入を防ぐためとはいえ、ソ連国内の民族、宗教紛争を事実上は煽ったことで、本来なら親日的なトルコやポーランドといった各国政府でさえ、日本の行動に眉を顰めているのが現状だった。
このような状況下で、熱河省制圧作戦を発動してよいのか、せめて、国際連盟総会の結果を待つべき、という意見は、日本国内でも外務省官僚を中心に一定の勢力を持っていた。
だが、石原莞爾中佐を中心とする満州派遣総軍等は、別の意見を持っていた。
馬占山を中心とする北満州の反蒋介石勢力のゲリラ戦鎮圧と、熱河省方面からの共産党を中心とする北京政府軍の反攻への対処を同時に行うことになっては、二正面作戦を行うことになってしまう。
それに北京政府軍が反攻作戦を展開した際の対応を考えると、熱河省は蒋介石政府が掌握する必要が軍事的にはあった。
そうなると、現在、熱河省を掌握している湯玉麟が、北京政府を支持している以上、蒋介石政府軍と日本軍は、熱河省制圧作戦を発動せざるを得なかった。
外交面の妥協を重視するか、軍事的必要性を重視するか、という問題が引き起こされていたのである。
犬養首相は迷った末に、2個海兵師団を日本に引き揚げさせると共に、熱河省制圧作戦発動を認めた。
この為に満州派遣総軍は苦労する羽目になっていた。
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