第3章ー33
韓国の金陸相の厳命にもかかわらず、韓国陸軍の進撃は、1月18日朝から開始された日米両軍の奉天への攻撃には間に合わなかった。
結局、朝鮮半島方面からは、日米の海兵2個師団が、遼陽方面からは、日本陸軍と海兵隊の合計4個師団が、奉天への総攻撃を開始する。
それに迎撃する張学良軍は、日米両軍の急進撃の前に、退却する部隊が追い抜かれている惨状で、奉天に何とかかき集められた予備部隊は5万人程度しかいなかった。
「実際の戦力は、5対1と言ったところか」
奉天市街に設けられた張学良臨席の作戦会議の場で、張学良は、現状の敵と味方の兵力に関する報告を部下から受けて、そう呟いた。
会議に参加している部下達も、その言葉に相次いで肯いた。
張学良は、しばらく黙考に沈んだ。
ただでさえ、精鋭部隊は、鴨緑江方面に既に向けられていた。
奉天に集められたのは、忠誠心はまだ信頼できるが、兵の質的には当てにならない部隊ばかりだ。
実際問題として、1月7日の日米韓三国連合軍の大攻勢が始まってから、張学良の部下から相次いで投降や寝返りが起きている。
その中には、かなりの大幹部もいて、張学良の勢力内には激震が走っていた。
奉天にいる部隊も、どこまで信頼できるのか、この会議に参加している者の中にも、裏切り者がいるのでは、とお互いに疑心暗鬼が生じていた。
小一時間も時間が経ったろうか。
張学良は口を開いた。
「わしの首を差し出して、蒋介石に降伏しろ。最期の頼みだ。独りで楽に死なせてくれ」
そう言い終えた張学良は、会議の参加者に頭を下げた。
会議の参加者のほとんどが、唖然として、却って話せなかった。
奉天である程度抗戦した上で、北へ向かう。
そして、ハルピン、チチハル等に駐屯している北満州の諸部隊を糾合して、張学良は、まだまだ戦い抜くつもりだろうと、会議の参加者のほとんどが考えていたのだ。
張学良自身の現状判断を交えた言葉が続いた。
「北へ逃げて抗戦することはできなくもない。だが、相次いで部下達が寝返っている。わしの首を差し出して、余生を安楽に暮らそうと考える不届き者が出る公算が大だ。北京へ逃げようにも、営口等は既に抑えられた後で、外蒙古経由で無事に逃げられるか、というと心もとない。それに北京へ逃げたら、敗北主義者として、よくて銃殺刑になるだろうな。ソ連へ逃げても、何れは北京に送られて、同じ運命が待つ可能性が大だし、下手をするとソ連の傀儡にされて、ソ連の満州侵攻の先鋒を務めさせられる可能性さえある。ここ満州は、わしの生まれ故郷だ。ソ連の先鋒にされて、更に満州へ外国勢力を引き入れることは避けたい。蒋介石は、わしの真意を何れは理解してくれるだろう。蒋介石にわしの後を託し、楽にわしを自死させてくれ」
長広舌を振るい終えた張学良は、あらためて会議の列席者に頭を下げた。
会議の参加者の面々は、張学良の最期の遺志を尊重することを全員が誓って、散会した。
「速やかに奉天を制圧しろ」
石原莞爾中佐は、参謀統帥と陰で悪口を言われながら、日本海兵隊の事実上の先頭に自らが立って、奉天を目指しての号令を下した。
奉天制圧の最終攻勢が始まってから約2時間後、奉天市街の中心部から白旗を持った軍使が出てきた。
石原中佐は、自らが面会することにした。
「張学良将軍は自決されました。奉天守備隊は、全軍が降伏します」
軍使の口上に、石原中佐は愕然とした。
石原中佐にとって、全く予期していない結末だった。
石原中佐は、満州派遣総軍司令部に慌てて報告を送り、報告を受けた側も騒然となった。
だが、軍使が石原中佐に口上を述べた瞬間に、日米両軍にとっては、奉天攻略戦がほぼ終わったのが現実だった。
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