第3章ー26
いよいよ、日米韓三国連合軍の大攻勢が発動されます。
1932年1月8日、大潮を活用して、日本海兵隊を主力とする営口上陸作戦は発動されていた。
そもそも、営口周辺に展開している張学良軍は、様々な事前の情報収集による限り、歩兵1個大隊程度と日本軍に推測されており、直前に行われた「伊勢」、「日向」の艦載機による航空偵察も、その情報を裏付けるものだった。
日本海兵隊を主力とする4個師団を動員した営口上陸作戦は、無難に終わりそうな雰囲気が漂っていた。
「つまらんなあ」
第一航空戦隊司令官の高橋三吉中将は、旗艦の「日向」の艦橋でぼやいた。
「おい、意見具申だ。小林連合艦隊司令長官に、いざという場合は、第一航空戦隊にも、海兵隊に対する艦砲射撃による支援任務を与えられたし、と打電しろ」
「航空母艦が、海兵隊の支援を艦載機では無く、艦砲射撃で行うとは、世も末ですな」
高橋中将のその言葉を聞いた参謀の一人が、そう混ぜ返すと、「日向」の艦橋内は笑いに満ちた。
高橋中将は、少しバツの悪そうな顔をしたが、それだけで後は半ば愚痴った。
「航空偵察は、特に異変無し、の報告ばかりだ。上陸作戦は無事に終了しそうだ。何のためにこれだけの兵力を動員したのだ」
実際問題として、営口上陸作戦に際して集められた日本海軍の戦力は大したものだった。
小林連合艦隊司令長官が直卒する戦艦「扶桑」、「山城」の第1戦隊。
高橋中将が率いる空母「伊勢」、「日向」の第1航空戦隊。
この戦艦2隻、空母2隻を主力とし、重巡洋艦も4隻、軽巡洋艦も4隻、駆逐艦も30隻余りが動員されて、4個師団の上陸部隊を直接、間接に護衛、支援していた。
これだけの護衛、支援艦隊に殴り込みをかけられる艦隊等、英米仏伊以外にあるわけが無かった。
確かに上陸部隊の規模からすれば、妥当な規模の艦隊かもしれないが、高橋中将ならずとも、こんなに兵力が要るのか、という疑問を持つのも仕方なかった。
「確かに高橋中将が言われるのも、もっともですが、米内海兵本部長の頼みですからね」
参謀の一人の言葉に、高橋中将は少し顔を歪めた。
米内海兵本部長は、高橋中将にとって、海軍兵学校の同期生である。
海軍本体と海兵隊と、お互いの進む道は別れたが、未だにお互いに親友として交友がある。
「米内海兵本部長の理屈も分かるのだが、それこそ鶏を裂くのに牛刀を用いるにも程があるぞ」
高橋中将は言葉を継いだ。
米内海兵本部長は、満州派遣総軍司令部の依頼を受けたこともあり、今回の営口上陸作戦が順調に進捗するように、積極的に海軍本体等への根回しに奔った。
今回の営口上陸作戦が成功しただけでは意味が無い、営口上陸作戦後の進撃等、その後のことも重要極まりない話だった。
上陸部隊が、営口の港湾設備を無傷で確保し、急進軍を行い、旅順、大連方面、及び朝鮮半島方面と速やかに補給等の連絡線を確保する、このことも重要極まりない事なのだ。
そのためには、海空軍の最大限の支援が必要不可欠と満州派遣総軍は判断していたし、海兵本部もそれに積極的に同意していた。
このために、これだけの兵力が集められたのだ。
だが、結果だけから見れば、過大な兵力を集めすぎた感は否めない。
上陸部隊が実際に上陸してから、3時間も経たない内に営口周辺にいた張学良軍の部隊は、戦死者以外は全て投降してきた。
海を圧する大艦隊に加え、空を舞うは日本海軍航空隊のみ、上陸部隊の規模もどう見ても自軍の数十倍という現実の前に、張学良軍の部隊の抗戦意欲はすぐに挫けてしまったのだ。
「前進開始だ」
上陸部隊の一員として上陸を果たした満州派遣総軍作戦参謀の石原莞爾中佐は、意気揚々と上陸部隊を鼓舞して回った。
第一段階は順調だ、後は他の部隊との連携だ。
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