第3章ー25
1931年12月のある日、韓国の首都、漢城の一角にある陸軍省内の陸相室では、金将軍が前線からの報告書に目を通しつつ、全般的な状況を脳内で反芻していた。
前線からの報告書によると、戦況は我が軍が圧倒的有利に立ちつつあるということだった。
「それも当然だろうな」
金将軍は、報告書の内容に半ば無意識の内に鼻を鳴らしながら、独り言を言った。
米国から海兵隊1個師団が駆け付け、日本からは第4海兵師団と空軍主力が駆け付けている。
更に前線には、動員を完結した予備師団2個を含む韓国軍6個師団がいるのだ。
対峙している張学良軍が約20万人いるとはいえ、制空権が無く、日韓両空軍により補給線を寸断されている状況とあっては、日米韓8個師団の攻撃を、張学良軍は食い止めるのが精一杯だった。
張学良軍が1発撃ってきたら、こちらは最低でも10発は撃ち返せ、という火力差の前に、張学良軍は崩壊寸前とのことだった。
だが、完全なる反攻は、日米(主に日本)の意向により、押し止められている。
日本の海兵隊を主力とする営口上陸作戦に呼応して、韓国軍の反攻は開始されることになっていた。
金将軍としては、おもしろくなかったが、満州事変の韓国軍の一部の暴走による謀略の証拠を、日本が抑えているとあっては従わざるを得なかった。
「全く下手をうちおって」
満州事変勃発後、日本からの圧力を受けた韓国政府は、これまで軍中央と縁が余り無く、基本的に部隊勤務を続けてきた金将軍を陸相に抜擢した。
下手に軍中央と縁があっては、謀略参加者の粛軍を行わない可能性があったからだ。
金将軍は、韓国政府の期待に応え、謀略参加者を相次いで、予備役編入処分にしたり、閑職に飛ばして自主退職に追い込んだりしていた。
(なお、海軍も同様の粛軍を行い、韓国総艦隊長官の李提督は予備役編入処分、姜大佐は左遷の上、地上勤務に異動処分等になった。)
金将軍に言わせれば、勝手に暴走して、韓国政府を窮地に追い込むとは、何事だ、という想いだった。
「それにしても、我が韓国軍の質は、泣けてくるな」
かつて、日本軍の軍夫として、日露戦争に事実上の従軍をし、内部から日本軍を見たこともある金将軍にしてみれば、前線からの報告書の文面の裏に隠された韓国軍の軍人の悲鳴が聞こえてくる気がした。
我が韓国陸軍の質は、日米海兵隊の質に及びません、何とか質の向上を、と挙って訴えているのだ。
韓国軍の師団は、日米両海兵隊と同様に、いわゆる三単位制師団である。
だが、自動車化が進み、戦車さえ保有する日米の海兵隊に対し、戦車は1両も無く、自動車も師団長用しかない、というのが、韓国軍の師団では珍しくなかった。
小銃は日本の38式歩兵銃、砲兵の主力の野砲も日本の38式野砲というのが、韓国陸軍の現実である。
金将軍の見るところ、韓国軍6個師団の火力は、日米海兵師団2個よりやや上程度と言われても仕方がない、と判断せざるを得なかった。
「かといって、韓国軍の質を向上させようとすると、短期的にはますます日米に依存するしかないか。蒋介石政権が満州で地盤を確立したら、多少は時間的余裕ができるだろう。その間に我が国の力を付けよう」
金将軍は、そう独り言を呟いて思った。
そういえば、似たようなことを日露戦争時にも言っていたような気がする。
我々は懸命に歩みを止めずに、先行する日本の背中を追いかけてきた筈なのに、日本に未だに追いつけずに離されて行っている気さえする。
かつて、大陸の文化を日本に伝えていた我々が、日本に追い抜かれたのは、いつのことなのだろうか。
「いや、歩みを止めねば、いつかは追いつき、追い越せる」
金将軍は決意を固めて、前を向いた。
ご意見、ご感想をお待ちしています。




