第3章ー22
満鉄、南満州鉄道が、民需では動かない。
このことは、南満州を中心とする満州の民心に大きな影響があった。
何しろ満鉄ができて、約30年が経とうとしている。
その間に満鉄が動くことを大前提とする、軍需、民需の大物流網が出来上がっている。
それが満州事変で、ほとんど動かなくなったのだ。
南満州を中心として、満州全体の物流が完全に停滞し、民間では物資不足による怨嗟の声が多く上がるようになっていた。
何しろ時期が時期である。
例えば、気が付けば、家の中では石炭ストーブが当たり前になっていたのに、鉄道輸送によっては石炭が手に入らない。
近くに山林がある村なら薪で代替できるので何とかならないこともないが、ハルピンや奉天といった都市住民にとっては、文字通り死活問題となった。
そして、都市部では穀物等の食料品の入手も困難になっていた。
これでは、張学良政権に不満を持つな、という方が無理である。
そして、民需が満たされない以上、軍需品も満州では満足に生産できるわけが無かった。
北京、中国本土方面からの物資等の支援を、張学良は北京にいる中国政府に求めたが、そもそも外様である張学良に対して、中国政府は口先では精一杯の支援を約束するものの、実際にはろくに物資等を送ろうとしなかった(もっとも、北京政府に言わせれば、それなりの理屈があった。張学良は機関車、貨車不足から北京から送られてきた機関車や貨車を全て手許で抑留し、満州で使用したのである。これでは、北京政府の方も機関車、貨車不足に悩むことになってしまう。)。
こうして民間で不満が渦巻く中、張学良が頼みとする軍部も張学良から離れようとしていた。
そもそも英米(日)と関係が悪かった中国政府の通貨は、民衆の間で信用が薄かった。
更に共産主義への傾斜を高める中国政府を見限って、中国国内から国外への資産流出が大量に起こっており、そのために更に中国政府の通貨の信用が落ちていた。
そして、張学良の勢力が中国政府へ合流したことにより、ナショナリズムは満たされたものの、張学良軍の給与は、当然、信用が余りない中国政府の通貨で支払われるようになった。
張学良軍の兵士は、以前はバックにそれなりに米国の信認がある奉天軍閥独自の通貨で、給料が支払われていたが、それが信用が余りない通貨での給料支払いになったのである。
前から通貨に信用が無かったのなら、まだしも、信用の無い通貨に給料支払いが変更である。
張学良軍の兵士の間には、不満が溜まるようになった。
更に前からあった、張学良軍内部の、父、張作霖の側近と、自らの側近との間の対立である。
張学良自身は、余りにも目に余った、張作霖の第一の側近、楊宇霆を見せしめに即決裁判で処刑することで、張作霖の側近を大人しくさせようとしたが、昨今の情勢の悪化は、張作霖の側近どころか、張学良の側近にまで、張学良を見限ろうとする動きを広めていた。
以前から張学良が率いる旧奉天軍閥内には、日米韓との独自のコネを持っている者が少なくない。
そのコネを使って、沈もうとする泥船から逃げ出して、日米韓に寝返ることで、引退させられるかもしれないが、今後は安楽に暮らせるのではないか、と考えている幹部は少なくない、と張学良はみていた。
「どうにもなりそうにないな。来年の正月は迎えられそうだが、再来年の正月に私は生きていないな」
張学良は、蒋介石に自らが寝返ることで、何とかならないか、ということまで独りで検討したが、日米韓の国民の怒りが、それでは収まらないな、ということに自分自身で気づいていた。
北京の中国政府の尻馬に乗り、中華民族主義を煽りまくっていた自分を日米韓が許すわけが無かった。
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