第3章ー17
かくして、日本政府は、満州派遣総軍の編制を、1931年10月15日に発表、教育総監の武藤信義陸軍大将を総司令官に任命すると共に、長谷川清海兵隊提督を参謀長に任命した。
そして、武藤大将は、総司令部の人事を順次、発表していった。
関係各所が注目していた満州派遣総軍の作戦参謀は、海兵隊から石原莞爾中佐が任命された。
これは、特に陸軍関係者から意外の感を持たれた。
てっきり、総司令官が陸軍から出ている以上、作戦遂行に際して主任務を負う作戦参謀も陸軍から出されるのが当然という感があったからだ。
「ああ、満州派遣総軍の高級参謀として、満州に行きたかったな」
ブリュッセル会の(半秘密)会合で、小畑敏四郎大佐は、半ばぼやいていた。
「ぼやくな、ぼやくな。お蔭で、武藤大将を円満に教育総監から転出させることができたのだからな」
梅津美治郎少将は、小畑大佐を慰めた。
「それに、ブリュッセル会の面々は、新規には満州に赴かないというのが、林忠崇侯爵が、我々に協力する条件だったからな。仕方ない」
永田鉄山大佐も、小畑大佐に声を掛けた。
小畑大佐は、仕方ないか、と肩を落とした。
梅津少将と、林侯爵が詰めた協力条件の中に、武藤大将の教育総監からの転出と、ブリュッセル会の会員が、満州事変に際しては満州に基本的に赴かない、というものがあった。
傍から見れば、奇妙極まりない条件だが、梅津少将と林侯爵にはそれぞれ思惑があった。
渡辺錠太郎大将が犬養内閣成立に伴い、参謀総長から陸相になることは、今上天皇陛下の内々の意向もあり、全く問題が無かった。
問題は、残りの陸軍三顕職、参謀総長と教育総監を誰が占めるかだった。
参謀総長は、緒方勝一大将を、技術本部長から横滑りさせることで、陸軍の近代化を進めようと梅津少将は考えていたが、教育総監に苦慮していた。
そこに林侯爵が悪知恵を授けた。
「梨本宮殿下を教育総監にですか」
「何か問題があるのか?」
梅津少将が驚愕するのに、林侯爵は惚けて答えた。
「いえ、陸軍大将ですし、何も問題はありません」
梅津少将は、思いもよらない人物が出てきたことに驚いていた。
「皇族をお飾りの教育総監にして、その下にお前らが思うような人物を据えればよかろう。武藤が教育総監では、渡辺と緒方にとって煙たい存在になるだろうからな。武藤は、自分が満州派遣総軍司令官になれると知ったら、飛んで出て行くぞ」
「はは」
梅津少将は思わず力なく笑った。
実際、その通りだった。
武藤大将は、渡辺陸相よりも先任になるので、渡辺陸相にとって扱いづらい存在になるのが目に見えている。
その点、梨本宮殿下は、渡辺陸相の一期先輩だが、皇族なのでお神輿になるのが目に見えていた。
「その代りと言っては何だが。お前ら、ブリュッセル会の面々は、誰も満州に行くな。表立った功績を挙げてはならん。後の事を考えろ。勝手に暴走して、出世できる先例を作っては、ろくなことにならん」
林侯爵の言葉に、梅津少将はしっかりと肯いた。
「今回、いろいろと満州で米韓の暴走を黙認の上で逆用して、我々は裏で動き回ったからな。しばらくは、我々は全員が謹慎せざるを得まい。表立って処罰されないだけマシと割り切ろう」
梅津少将は、あの時の林侯爵の言葉を脳裡に思い浮かべながら、会合の席で他の会員の面々を説得した。
永田大佐らは、当然のことだな、とあっさり肯いたが、小畑大佐らは不承不承の面持ちをしている。
「ほんのしばらくの辛抱で済むはずだ。戦争が激化したら、我々も前線に赴ける」
その様子を見た岡村寧次大佐が、梅津少将に加勢した。
ありがとう、岡村、君のお蔭でブリュッセル会がまとまっていられる、梅津少将は感謝した。
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