第3章ー15
韓国国防省は、9月18日未明、緊急発表を行った。
「本日、といっても、ほんの3時間ほど前ですが、鴨緑江河口付近において、不審船が韓国領内に着岸したので、それに気づいた演習中の「乙支文徳」が、砲撃を浴びせました。現場からは、張学良軍の軍服を着た遺体が10体余り、見つかっています。これは、明らかな中国による韓国への侵略行為であると考えます」
この緊急発表を受け、関係する各所は、いろいろと慌てて動いた。
「何としても、今回の一件は火種、単なる国境紛争で消し止められるように動け」
日本の外務省は、幣原喜重郎外相が、陣頭指揮を執っていた。
「ただでさえ、恐慌対策で忙しいのに、戦争に巻き込まれてはどうにもならん」
その想いから、幣原外相は中国外務省や韓国外務省に、外交交渉を仲介する用意が日本にある旨、自らの名で声明を出す等、懸命に和平工作を行おうとしていた。
だが、その和平工作は足元から崩れようとしていた。
「在満州の日本人に対して、緊急避難勧告を出してください。我が関東軍はそれを護りつつ、旅順に部隊を集結させ、中国と韓国との全面戦争に、緊急に備えたいと考えます」
関東軍司令官の本庄繁中将は、奉天総領事等、在満州の日本人外交官にそのように要請すると共に、関東軍司令官名で、在満州の日本人に対して、中国と韓国との全面戦争に巻き込まれないように、速やかに日本本国に帰るように、と促す発表を行った。
南満州各地にいる独立守備隊は、駐屯地の近在にいる日本人に対し、速やかに日本に帰国するように促して回り、独立守備隊自身も旅順に向かう旨、告げて回った。
こうなっては、在満州の日本人も相次いで、日本に帰国を図る。
満州から続々と引き揚げてくる日本人を見て、日本国内では、これは中国と韓国が全面戦争に突入するのではないか、との観測が急に広まるようになり、外務省の態度に疑念を覚える声が噴出した。
更に悪いことがあった。
9月21日に、日英共同で金輸出再禁止の発表。
相前後して、陸軍内での荒木貞夫中将を首班とするクーデター計画が、日本政府上層部に発覚したのである(なお、このクーデター計画は事が事だけに新聞発表等は行われず、政府上層部内で事実上は闇の内に葬られた。)。
国内外の嵐に、若槻内閣は小舟のようにもてあそばれるかのようだった。
そして、9月21日、韓国政府の懸命の制止にもかかわらず、9月18日の事件は、中国軍の韓国侵攻作戦の先触れであり、その報復を行うとして、韓国陸軍参謀本部は、独断で1個師団に鴨緑江を渡河させ、本格的に満州侵攻を開始した。
当然、これに対して、張学良軍も本格的に応戦を開始した。
そして、鴨緑江を渡河した韓国陸軍は敗走し、逆に張学良軍が鴨緑江を渡河、南進する勢いを示した。
この状況を見た米国政府は、中国に対して宣戦布告をすると共に、比に展開する海兵隊1個師団の韓国への派兵を決め、日本にも韓国救援の為に中国への共同派兵等を求めてきた。
「やったな」
韓国陸軍参謀本部内では快哉の声が一部で挙がっていた。
実は、韓国陸軍の敗走は擬態だった。
張学良軍が本格的に鴨緑江を渡河、更に南進しようとしている、この事実が重要だった。
「こうなっては、消極的な日本も米国に引きずられ、中国に宣戦布告せざるを得まい」
「中国政府も、最早、引くに引けないだろう。鴨緑江を渡河し、韓国を併合できそうなのに、引いてしまっては弱腰とされてしまう」
韓国陸軍参謀本部内では、そのような会話が交わされていた。
だが、この時の彼らは知らなかった。
最終的に、この満州事変で最も大きな果実を手に入れたのは、韓国でも米国でもなく、結果論だが日本となるのである。
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