第3章ー8
林忠崇侯爵は、更にその足で、海兵本部にも顔を出した。
どう考えてみても、今回、米韓の謀略に、日本が巻き込まれた場合に、満州派兵の尖兵になるのは、歴史的経緯から言っても、陸軍では無く、海兵隊だったからだ。
「梅津達め、分かっていて、やっているのだろうな」
林侯爵は内心で、ふと思った。
林侯爵は、海兵本部長の米内光政提督に、武藤信義教育総監に対して話したのと、同様に、情報の出所は少し伏せた上で、満州の米韓の動きを話した。
米内提督は、林侯爵からの情報提供を聞き終えると、色を成して言った。
「林元帥、耄碌されておられませんか。独断専行にも程があります。その陸軍の軍人に、南陸相に速やかに報告させて、その判断を仰がせるべきです」
米内海兵本部長は、自分が日露戦争時に中尉だった時、既に中将の地位にあった海兵隊の大御所を、思わず叱りつけた後で、我に返った。
「本当にすみません。大先輩に対して、非礼でした」
「いや、それが正しい態度だ」
林侯爵は、米内提督を執り成した後で、言葉を継いだ。
「だがな。わしとしては、今回の一件は、日清戦争時に大鳥圭介公使がやったように、特に目をつぶらねばならないのではないか、と考えているのだ」
「どうして、そこまで思われるのですか」
米内提督は、林侯爵に疑問を呈した。
「まず第一に、中国政府に国際法を守る意思が無いことだ。例えば、国際法上は問題の無い、南満州鉄道等を無償で返還せよ等、言語道断の主張を中国政府は、日米韓の三国政府にしている」
林侯爵の言葉に、米内提督は肯いた。
「第二に、今の若槻礼二郎内閣が、対中宥和主義過ぎることだ。満州にいる日本人は本国に帰れ、と中国政府は公然と言っているし、実際に行動に移そうともしている。これに言葉だけで抗議するのは、確かに本来の態度だが、物には限度がある」
この林侯爵の言葉にも、米内提督は肯かざるを得なかった。
「そして、米韓が日本を除け者にして、勝手に満州で工作をしているのだ。同盟国の日本を、米韓は蔑ろにしていると、お前は思わないのか」
「私も、そう思わなくもないですが」
米内提督も、いつの間にか、林侯爵の言葉に同調せざるを得なくなっていた。
「だから、米韓の満州での工作を、日本は知らないふりをして、その工作を逆に活用してもいいのではないか、と思うのだ。別に日本が積極的に満州で工作を行う訳ではない」
林侯爵のこの言葉に、とうとう米内提督は肯いて、逆に林侯爵に尋ね返した。
「それで、私にどうしろ、というのです」
「年初めに、軍令部では各国と万が一、紛争が起きた場合に、どう対処するかの作戦計画を立てている筈だが、あらためて至急、点検して、その作戦計画が即応可能なようにしろ」
「分かりました。永野修身軍令部次長と至急、協議します」
「それから、この件に関しては厳重に秘密を保て。お前も永野以外には、誰にも話すな」
「分かりました。ですが、秘密のまま、作戦計画を点検させると、そのメンバーが怪しみませんか」
「怪しむ方が優秀な奴だ。お前なり、永野なりに、今回の事について、わざわざ問いただしに来た奴がいたら、満州の米韓の動きをそっと教えてやれ」
「分かりました」
米内提督と林侯爵は、打てば響くように会話を進めていった。
一通りの会話が終わった後、米内提督は、念のために林侯爵に確認した。
「この一件、斎藤實海相に内報しておかなくて大丈夫でしょうか」
斎藤實海相は、海兵隊出身である。
海軍全体のトップでもあり、本来、内報してしかるべきとも言えた。
「斎藤の手を汚すな。お前もいざとなったら、わしに騙されたと言え」
林侯爵の言葉に、米内提督は息を呑んだ。
林侯爵は全責任を負う気だ。
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