第1章ー4
そうした米英日仏伊各国の思惑がいろいろと絡み合う内に、少しずつ落としどころが、それぞれの国の代表団には見えるようになっていった。
仏伊の海軍は、またも基本的に対等で、英国海軍の35パーセント程度に、軍縮条約を締結すれば迎え込まれそうになっていった。
仏伊は、そう言った状況に不満で、内々に米英日に過剰な軍拡は行わないことを宣言した上で、ロンドンから代表団を引き上げてしまった。
ここにロンドン海軍軍縮条約は、米英日の三国で締結されることが事実上確定した。
だが、参加国が減ったからと言って、ロンドン海軍軍縮条約の話が進むようになったか、というとそんなことは全く無かった。
「土方伯爵、どうもご苦労様です」
ロンドンにいる日本の外交代表団の中で、土方勇志伯爵は別格として敬意を払われていた。
特に海軍本体の軍人の間で、土方伯爵の評価は高かった。
日本が海軍力拡充の根拠として何かと持ち出すのが、中ソの脅威だった。
「ソ連は海軍軍縮条約に入っていない。ラパッロ条約により、独の潜水艦技術がソ連にもたらされ、ソ連は世界でも超一流の潜水艦大国になっている。日本は補助艦艇を拡充する必要がある」
「中国問題にしても、対中戦争に限定戦争でも突入した暁には、予備も含めてだが、航空支援としてまともな空母3隻が必要不可欠である。現状では、日本は米英の大陸権益の守護者として役に立てない」
「3年前の南京事件に伴う戦争の際に、土方伯爵がどれほど苦労したか、皆さん、ご存知でしょう」
等々。
土方伯爵が、無言で会議の場に居るだけで、米英に対しては無言の圧力になった。
土方伯爵の功績に、米英はケチを付けられない。
実際に、南京事件の際に、米英が多大な恩顧を日本に、土方伯爵を総司令官とした日本軍に被ったのは事実だからだ。
土方伯爵が、自らの功を誇る言動をすれば、米英もケチをつけやすいが、基本的に土方伯爵は(自分が気が乗らないこともあり)、会議の場では無言を貫いた。
そのために、米英は、土方伯爵を敬遠するとともに、日本の軍拡をある程度受け入れるのも止む無し、と判断するようになった。
最終的な落としどころの第一提案として出てきたのは、次のような案だった。
1、日本海軍の重巡洋艦は、戦艦と同様に、対米4割とする。
2、日本海軍の軽巡洋艦、駆逐艦は、対米5割まで譲歩する。但し、吹雪型駆逐艦は16隻まで。
3、日本海軍の空母は、鳳翔も含めて、対米6割まで譲歩する(これによって、日本は1万2000トン級の軽空母1隻を新規建造可能になる。)。
4、英国が13.5インチ砲(巡洋)戦艦を廃艦にし、米国が12インチ砲戦艦を全て予備役艦に編入するので、日本も金剛級(巡洋)戦艦1隻を、練習戦艦にされたい。なお、英は13.5インチ砲(巡洋)戦艦の1隻を、米は12インチ砲予備役戦艦1隻を、今後、練習戦艦として保有する。
この提案を巡って、日本海軍本体は、分裂した。
特に第4項が揉める一因となった。
ただでさえ、日本海軍は、戦艦の保有比率について、対米英4割の屈辱を舐めているのである。
確かに米国が12インチ砲戦艦を基本的に全て予備役艦にする等、更なる軍縮が進むのは、日本の財政事情からすれば歓迎すべき話だった。
だが、米国の戦艦が15隻から11(+1)隻になるとはいえ、日本の戦艦が6隻から5(+1)隻になるのは、加藤寛治軍令部長ら軍拡を主張する一派にしてみれば、おもしろからぬ想いを抱かざるを得なかった。
「冗談ではない。これ以上、戦艦を減らされては、日本の国防上の大問題だ」
加藤軍令部長は、そう公言し、それに同調する海軍軍人も東郷平八郎予備役元帥海軍大将以下、多数がいた。
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