幕間2-4
濱口雄幸内閣の総辞職に伴い、若槻礼二郎内閣が1931年春に成立したが、この内閣も安定しているとは言い難い存在だった。
そもそも、濱口内閣倒閣の最大の要因になった世界大恐慌は収まるどころか、拡大の一途をたどっていたからである。
そして、陸軍によるクーデター計画を察知できなかった監督責任を取らせることを、暗黙の理由にし、元老の山本権兵衛元首相が加勢することで、伏見宮空軍本部長が、宇垣一成陸相に詰腹を半ば斬らせた。
これによって、南次郎大将が陸相になったのだが、南陸相は、山本元首相や伏見宮空軍本部長が期待した陸軍クーデター計画関与者のあぶり出しに不熱心な態度を執った。
「南陸相は期待外れだったか」
山本元首相は、私宅を訪問してきた伏見宮空軍本部長に嘆いた。
「南陸相は、宇垣前陸相の息が掛かっていますからね。宇垣前陸相が、クーデター計画に噛んでいた可能性があるので、手を出しかねているのでしょう」
伏見宮空軍本部長は、そう穿った見方をした。
「何とかならんのか」
「ま、半年もしない内に、尻尾を出しますよ。クーデター派は」
伏見宮空軍本部長は、そう言った。
伏見宮空軍本部長には目星があった。
陸軍のクーデター派は、今回の若槻内閣成立で自信を持ったはずだ。
クーデターを起こすぞ、と脅せば、新内閣の樹立が出来ると味を占めたはず。
若槻内閣が、日本経済の立て直しに成功すればいいが、この世界大恐慌の真っただ中で、日本経済の立て直しが成功する可能性は極めて低い。
その場合には、陸軍のクーデター派は、再度のクーデターを企むはずだ。
そして、その首魁に担がれるのは。
陸軍の青年将校の間で人気の高い、教育総監部本部長の荒木貞夫中将のはずだ。
伏見宮空軍本部長は、古巣の海軍や内務省に、荒木中将の監視を依頼した。
陸軍のクーデター計画は、天皇主権を脅かすものだ、と理由を付けて。
海軍はともかく、内務省は目の色を変えた。
相前後して、陸軍のブリュッセル派は、自らの体制立て直しを図ろうとしていた。
秋山参謀総長が引退した後、自律的に運営していくはずだったが、領袖を務めていた梅津美治郎少将が第一歩兵団長を務めている間に、小畑敏四郎陸大教官と永田鉄山軍事課長の間が険悪になる等、陸軍改革の方向を巡って、ブリュッセル派内部でいろいろと対立が生じていたのである。
梅津美治郎少将や陸軍省人事局補任課長の岡村寧次大佐らが奔走した結果、取りあえず、今後は渡辺錠太郎参謀総長を、事実上の首領にブリュッセル派は仰ぎ、その上で結束していくことに決まった。
「我々は、渡辺参謀総長を担ぐのが至当か」
岡村大佐は、梅津少将に呟くように言った。
「陸軍三顕職の中では、一番、まともだからな」
梅津少将は、吐き捨てるように言った。
「南陸相は、宇垣前陸相の腰巾着だ。どうにも、当てになりそうにない。宇垣前陸相には、まだ、それなりの識見があったが、南陸相には、それさえない」
「南陸相に対して辛辣極まりないことだ」
梅津少将の意見に、岡村大佐も同感なのか、半ば南陸相を揶揄するかのような口ぶりを示した。
「武藤信義教育総監は悪い人ではないが、教育総監部本部長に就任した荒木中将に操られつつあるという評判がある。荒木中将は、精神主義者もいいとこだからな」
「竹槍が三百万本あれば、それだけで日本の防衛は充分だったかな」
梅津少将と、岡村大佐の会話は続いた。
「ともかく、我が陸軍の改革は急務だ。我が陸軍は、欧米並みに火力を強化して、自動車化を進めねばならない。そういった観点から考えると」
「我々が担ぐのは、渡辺参謀総長しかいないか」
梅津少将と岡村大佐は、お互いに肯きながら、相手の意見を肯定した。
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