第2章ー10
1929年11月初めのある日、高橋是清元首相を立会人とし、立憲民政党側は濱口雄幸首相と井上準之助蔵相が、立憲政友会側は犬養毅総裁と三土忠造前蔵相が、出席して会談が行われていた。
議題は言うまでもなく、金解禁をどのように行うかである。
「先日、ニューヨーク市場で大暴落があった。このまま、大不況が起きるかもしれん。そう言った場合に備えるためにも、この際、金解禁は新平価で行うのが相当であると考えるが、如何か」
犬養総裁が、まず話を切り出した。
「ニューヨーク市場が大暴落したと言っても、これまでも市場の暴落は、暴騰と同じように起きています。単純に大不況が起きるとは考えられません。むしろ、日本経済再生の為に、金解禁は何としても旧平価で行うべきです。日本経済に衝撃を与えるでしょうが、日本経済再生の為には必要不可欠であると考えます」
井上蔵相が反論した。
「しかし、財界の意見の大勢は、新平価で金解禁を行ってくれ、というものだ。三井財閥の池田成彬に至っては、旧平価で金解禁を行われては、三井財閥が完全に潰れるリスクがあるとまで言っている。財界の意見を無視するわけには行くまい」
三土前蔵相が再反論した。
三土は、昭和金融恐慌収拾に蔵相として成功した高橋元首相が、後任の蔵相として推薦した人物であり、立憲政友会の代議士きっての経済、財政の専門家として、世間にも知られていた。
この三土の言葉に、本来は立会人で口を挟まない筈の高橋元首相も思わず肯いた。
「そこまで言われるのなら、第57回帝国議会の冒頭で、金解禁を新平価で行うための貨幣法改正に、速やかに立憲政友会は応じてくれるのでしょうな。審議を引き延ばされたりしては、目も当てられないことになりますので」
濱口首相が、犬養総裁に確認を求めた。
「わしが立憲政友会内を何としても取りまとめる。何だったら、即日での審議、採決に応じてもよい。もちろん、事前に立憲民政党と立憲政友会内で貨幣法改正法案について話し合い、改正法案は共同提出と言う形を採るのが大前提だ」
犬養総裁は言った。
濱口首相は、犬養総裁の内心を推測した。
要するに新平価による金解禁の断行を、立憲政友会と立憲民政党の共同作業にしろ、ということか。
それによって、金解禁の功績を分かち合うつもりだな。
それくらいなら、妥協できるか。
ついでと言っては何だが、緊縮予算について、この際、立憲政友会の合意が取り付けられるか、打診してみるか。
「申し上げにくいのですが、来年度予算案について、濱口内閣としては、金解禁断行の為に、大幅な緊縮予算止む無し、と考えています。立憲政友会は協力していただけますか」
「言うまでもない」
濱口首相の問いかけに、犬養は肯きながら言った。
「それならば、全ての国家公務員の平均給料1割削減に応じていただけますな」
濱口首相は追い討ちを掛けた、
「うむ」
さしもの犬養総裁も考えに沈んだ。
国家公務員やその家族の恨みを共同で、立憲政友会は立憲民政党と共に買うことになる。
「国会議員の歳費3割削減と抱き合わせでよろしければ」
しばらく黙考した後、犬養総裁は反対提案をだし、濱口首相は同意した。
ここに、金解禁の新平価による断行と、来年度予算については、大幅な緊縮予算となることが、二党合意により大筋で決まった。
1929年12月26日、第57回帝国議会が始まって早々に、貨幣法改正法案が、立憲政友会と立憲民政党により共同提出され、即日可決、成立した。
1930年1月11日、日本は新平価による金解禁を実施した。
これによって、100円は46.5ドルと、旧平価49.85ドルから円安となった。
このことは日本経済に影響を及ぼした。
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