第4章ー5
そんな動きが石油探査である一方、蒋介石は、満州国内を走るいわゆる東清鉄道本線を、満州国で完全に買収しようと考えていた。
東清鉄道とは、本来は、満洲里からハルピンを経由して綏芬河へと続く本線と、ハルピンから大連、旅順へとつながる支線からなる鉄道であり、当初は露帝国が建設したものだった。
だが、日露戦争のポーツマス条約締結により、支線は日本に譲渡され、更に日米合弁で運行されるようになっていた。
しかし、本線はロシア革命後も、露帝国からソ連が権益を継承して維持していた。
更に、ソ連政府は、中国国民党政府や張作霖率いる奉天派と様々な交渉を行い、本線の権益を守り、運行していたのである。
蒋介石にしてみれば、東清鉄道本線は、宿敵が運行する鉄道が領内を走っているようなもので、居心地の悪い事、極まりない事になっていた。
そして、もしも、東清鉄道本線の近くで油田が見つかったら、ソ連はそれに介入して、油田の利権を手に入れようとしてくるのは間違いなかった。
極端なことを言えば、蒋介石は、東清鉄道本線を武力接収したい程だったが、蒋介石も中国の北京政府との二正面作戦が不利なことは分かっている。
東清鉄道本線をソ連から満州国が買収するのが、無難だった。
だが、ここで、資金難という問題が噴出した。
「やはり、金がどうにもないか」
「ええ、ソ連も金が無いでしょうに。意地を張っておりまして」
蒋介石は、財政担当の側近とそのような会話を交わす羽目になった。
建国早々の満州国にそう金があるわけがない。
そして、ソ連は第二次5か年計画遂行のために、大量の資金が必要だった。
実際、資金確保のためにウクライナ等で飢餓輸出と言う非常手段まで用いており、そのためにウクライナを初めとするソ連国内で1000万人を超えるとも後に推測される餓死者を大量に出す羽目になっている。
蒋介石は次善手段を講じるしかない、と腹を括った。
「蒋介石は、何と言って来ているのです」
「うん。東清鉄道本線の買収資金を日米に出してほしいと」
東京では、斎藤實首相が、ワシントンでは、ルーズヴェルト新大統領がため息を吐く羽目になった。
更に、東京では、高橋是清蔵相が、ワシントンでは、ウッディン財務長官が頭を痛める羽目になった。
そして、内田康哉外相とハル国務長官が、お金の押し付け合いをした。
もっとも、ソ連政府にもそれなりの理屈があった。
ソ連政府にとって、満州国は存在しない国家であり、北京政府の領土内を東清鉄道本線が走っているというのが、公式の理屈である。
それなのに、満州国に東清鉄道本線を売却しては、満州国を暗に認めることになる。
実際、北京政府からは、東清鉄道本線をソ連が売却することについて、猛抗議をしてくる有様だった。
それなら、こっちが買うというのだ。
だが、金が無いのは、北京政府の方が酷い。
北京政府から、ソ連との積年の友好関係を基に100年分割払でどうか、という非公式提案がなされる有様であり、ソ連政府にとっては、北京政府への売却は論外だった。
1933年の春から半年近く掛かった、こういったすったもんだの末に、南満州鉄道が東清鉄道本線を買収することになり、とりあえず、実際のお金は日米両国政府が折半で払うことになった。
但し、このお金は満州国への借款という形でもなされ、何れは満州国が支払うことにもなった。
日米満それぞれの政府が、自腹を切るのを嫌がりあい、負担を押し付け合った末だったのである。
ともかく、ここに東清鉄道本線は、ソ連の手から離れることになった。
蒋介石に取っても、一応は満足の行く結末だった。
自分の手に入らなかったとはいえ、日米両国の物に東清鉄道本線は移ったのだ。
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