湯田と時計とマダラ
「おっさんは?」
「おっさん言うな。ペナルティだぞ湯田と呼べ」
「湯田?」
ゆだ。
その響きで一目散に思いついたのは、イエス・キリストを裏切ったあの有名な裏切り者。
「かっこいいでしょ」
「本名?」
「ううん」
「嘘ついていいの?」
「何が正しいかなんて必要か?俺とおまえは時計と持ち主。ある情報はそれで十分」
あ、でも変なしがらみがあっては困るね。男は廃れた部屋の、ソファに背中から倒れて深く腰掛ける。というか沈む。
長く細い足を顔より高い位置で組んで、それから思い出したように、新しい煙草を指先で弄んで、私に復唱を促す。
「しがらみ」
「後ろ髪引っ張る存在があるかないかってことだよ。俺はこの町の人間だ。それからここに出入りする人間も。普通にならない覚悟がないなら、今の内に消えてもらえる」
「しがらみとかないし、私はおっさんの肉奴隷になる覚悟も出来てんだけど」
「乳臭いガキなんざ勃たねーよ」
「試してみなきゃわかんないじゃん」
馬鹿にされたことがムカついた。自棄だった。そばに置くくせに何もしないってそんな善人いるか、この町で、しかも男の分際で。言葉ばかり立派で、態度ばかり虚勢を張って、頭では怯えて、指先は震えた。
わかりやすいくらいいっそ痛めつけてもらったほうが元・紙袋としては本望である。ソファで男がつまらないものを見る目で頬杖をついていて、その鼻面を真下から蹴り上げてしまいたい衝動に、セーラー服を脱ぐのに手こずった。
そして結局何一つままならないまま足元を黒と白の何かが駆け抜けた。
「!?」
「あ。ごめんご紹介にあずかりました先住民その2。ボーダーコリーの班君です」
扉の下に確かに犬猫が出入りできる小さな扉があることには気づいてた。でもそこからボーダーコリーが出てくるとは。
この家の先住民であり先輩のマダラは、散々湯田に撫でくりまわされた挙句疲れ切って部屋の奥へと消えてった。