本当のアラビア語の話をしよう
ある日、中原が知人と話していた時のことである。
中原「……だから、中国語の文法も結構難しいんだよ」
欧米人「えっ、中国語なんか語形変化ないし簡単じゃんか。ったく中原は頭わりィな」
中原「えっ」
欧米人「えっ」
今まで散々中国語の文法解説に心を砕いてきた中原だったが、格変化やら動詞の人称活用こそが言語の難しさであると考えている欧米人には中国語の難しさというのは伝わらないらしい。孤立語というのは語順以外にも句形が命で、句形を守らないと非文になってしまうという特徴があるのだが、そういうのはちゃんと中国語を勉強したことのある人でないと分かりにくいのだ。
まあ確かに「是」と「的」の意味ぐらい分かれば、日本人なら中国語の文章の意味の半分ぐらいは分かりそうなものだ。ただその分中国語は、いつまでもカタコトの中国語から脱することができない彷徨える大量の中級者を生み出すことでも悪名高い。
同じ漢字文化圏に属し、語彙を共有しているせいで分かりにくいのだが、中国語と日本語は言語としてはまったくベツモノなのだ。しかし欧米人から見れば日本語も中国語も文字が同じなので同じ言語に見えてしまうのであろう。
中原は家に帰ってドラえもんにグチることにした。
中原「ドラえもぉ~ん。またジャイアンにいじめられたよぅ」
ドラえもん「هل آذاك دعبول مجددا يا عامر؟ كم انت ولد ضعيف」
中原「あの、ちょっと何言ってるか分からないです。っていうかドラえもんって黒人だっけ?」
ドラえもん「ドラえもんじゃないよ。عبقور(アブクール)だよ」
中原「ドラえ……アブクールくんさっき何語喋ってたの?」
ドラえもん「اللغة العربية、アラビア語さ」
家に帰るとドラえもんが黒人男性になっていた。サウジアラビア人らしい。サウジアラビアに黒人はいないジャマイカと聞いたらアフリカ系サウジ人なんだと言われた。
しかしアラビア語なんて、日本ではワケの分からない言語の代名詞みたいに言われている言語である。アラビア語を本当に勉強してみようとする日本人は少ないだろう。当然中原も聞き取れない。
中原「アラビア語ってすごく難しそう」
ドラえもん「うん。でも簡単なところもあるよ」
中原「例えば?」
ドラえもん「アラビア文字はそんなに難しくないよ。28文字しかないし」
中原「えっ、そうなの!? あんな見た目なのに」
ドラえもん「実は発音も母音がa/i/uの三種類しかないから、フランス語みたいに大変じゃないよ。それに音節構造的にはちょっと日本語に似てる部分もあるかな」
中原「マジで!」
ドラえもん「あと名詞の格は三つしかないし、格変化も口語だとほとんどなくなってるから、ロシア語みたいに複雑じゃないよ。女性名詞と男性名詞の区別も基本的には母音の『ア』で終わるかどうかで判別できるから、これもそんなに難しくないかな」
中原「へー、アラビア語やってみようかな。っていうかアブクールくん日本語上手いね」
ドラえもん「えっへん」
こうして中原は、アブクールくんからなぜかアラビア語を習うことになった。しかしこの時の中原は知らなかった。アラビア語が超・屈折語で、ヨーロッパの言語と大差ないかそれ以上に複雑な文法を持っていることを……。
※このサウジ人の友人は実在します。