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 目が覚めたら、私の家だった。

「おはよー、お姉ちゃん」

 同じ部屋を共有している中学生の妹が、そう言って笑っている。

「…………」

 あれえ……とその顔を見ながら、私はぽりぽり頭を掻きながら起き上がった。

 寝ているのは、リリニィさんからもらった乙女チックで豪華な子供用ベッドではなく、間違いなく自分のベッドだった。二段ベッドの下段。昔は寝相の悪い妹が落ちたら大変だからと上に寝ていたのだが、大きくなってからは、「地震でもあった時ベッドの敷板ごとお姉ちゃんが落ちてきて死ぬのはイヤだ」と言い張る妹に、無理やりとっ替えられた私の寝床。

 薄っぺらい毛布、モスグリーン色した無地の布団カバー、二足歩行のネズミの絵がプリントされた枕、壁には、妹がちっちゃい頃書いたラクガキがちゃんとある。

「…………」


 あれえ。私、ホントに元の世界に帰ってきたの?


 私はまだ薄らぼんやりとして、こちらを覗き込む妹の顔をまじまじと眺めた。一年ぶりに会うはずなのに、妹は私が最後に見た時となんら変わりないように見える。

 中学校の制服を着て、「なにボンヤリしてるのおー?」と笑うその顔に、まったく屈託はない。

「……久しぶりだね」

「やだもう、お姉ちゃん、寝惚けて」

 何を言っていいのか咄嗟に思いつかず、口から出た私の間抜けな挨拶を、妹はけたけたと笑い飛ばした。

「昨夜おやすみーって言ったじゃん。お姉ちゃん、十時にはぐうぐう寝ちゃったから、久しぶりに思えるんじゃないの? 寝すぎだよ」

「昨夜……」

 てことは、つまりアレは全部夢だったのかな、と私は考えた。

 そうか。異世界なんて、確かにバカバカしい話だよね。しかも周りは巨人ばっかりで、私は十歳の子供で。おかしな設定ばかりの、突拍子もないそんなことが、現実に起こるわけもない。


 ──そうか、夢だったのか。


「いつまで寝てんだよ、姉ちゃん。今日もバイトだろ」

「早くメシ食わないとなくなるぞー」

 高校生の上の弟と、小学生の下の弟が、部屋のドアを開けて賑やかに入ってきた。あー、懐かしいね、この光景。そうだよ、この家はいつもこんな風に騒がしかった。

 ラティス家では、丁稚のくせに、私は広い一人部屋をもらっていた。そこで一人で起きて、一人で着替え、それから厨房に行ってチョコマカとお手伝いをし、ワンズさんに言われてお坊っちゃんを起こしに行くのが役目だった。

 いつもは気障で気取ってばかりのお坊っちゃんだが、寝起きは非常に悪い。ぼさぼさの頭で、何度揺さぶっても目を開けず、もうちょっと色っぽい起こし方をしてくれないと起きない、などと羽根枕を抱きしめてムニャムニャほざく。ナリがでかいもんだから、ベッドから転がして叩き起こすこともままならず、私は毎朝苦労していたものだ。

 ……私がいなくなっても、お坊っちゃん、朝、ちゃんと起きられるかな。

「ホラ姉ちゃん、いつまでボーッとしてんだよ」

「またこっそり酒でも飲んで、二日酔いなんじゃないのか」

 こらっ、でかい声で言うんじゃない。父さんと母さんに聞こえちゃうでしょうが。そういや、頭がガンガンするな。あれ、私、昨夜、酒なんか飲んだっけ?

 綺麗な青い液体の幻影が見える。ああ、あの酒、美味しかったよね。もう一杯飲みたかったのに、お坊っちゃんが……ん? でもあのことも夢か? あれ?

 なんか、胃もムカムカするんだけど。

「メシをちゃんと食わずにそんなもんばっかり飲むから、いつまで経っても子供みたいな体型してるんだぞ、姉ちゃん」

 うるさいな。ほっといてよ。あっちの世界では子供だったけど、こっちではハタチの大人なんだから、酒くらい飲んだっていいじゃん。

「いつまで経ってもオッパイでかくならないし」

 きーっ、小学生にまでバカにされた!

 言っとくけど、私、こっちの世界では、そんなにペッタンコじゃないよ! 決してまっ平らってわけじゃない! そりゃ大きくはないが、平原じゃなく、ちょっとした小山くらい……いや、山は言い過ぎだけど、丘……丘っていうのもなんだか違うな……でも多分、猫がトイレした後に隠してかける土くらいのこんもり感はあるのだ、そのはずだ。

「そりゃリリニィさんの巨乳と比べたらアレだけど」

「巨乳がどうした」

「リリニィさんて誰?」

「とにかく、これからもう少し、大きくなるかもしれないんだし」

「ならねえよ、成長期終わったし」

「お姉ちゃんはもう十歳の子供じゃないんだからね」

「それ以上、その胸は大きくならない」

 うるさいよ、あんたたち!

「琴子おー! いつまで寝てるの、早く起きなさい! 琴子!」

 お母さん、声が大きいよ、近所迷惑だよ。

「琴子、琴子、コト!」



          ***



「コト!」

 目を開けたら、すぐ近くに、お坊っちゃんの赤い瞳があった。

「んんー……?」

 眉を寄せ、まじまじと整ったその顔を見る。お坊っちゃんの顔はちゃんとひとつで、揺れてもブレてもいなかったが、ひどく心配そうな表情だった。

 あー、と心の中で感嘆の声を出す。なんだそうか。そういうことか。


 今までのが夢だったか。


「おはようございます、お坊っちゃん」

「お、おはようじゃねえよ……なにノンキなこと言ってんだ、お前……」

 身を屈めて私を覗き込んでいたお坊っちゃんは、一気に力が抜けたように、ヘナヘナとベッドの傍らの椅子に座りこんだ。

 よくよく見回してみれば、私がいるのは、ラティス家で与えられている、私の部屋だった。リリニィさんにもらったベッドはふかふかで、部屋の面積だって比べようもなくこちらのほうが広い。一通りの家具も揃っていて、それらはどれも大きく、造りもしっかりしている。

 もとの世界の、妹と共有していた私の小さな部屋とは、まったく違う。

「お前、いきなりぶっ倒れて、それっきりちっとも目を覚まさなかったんだぞ。このまま死ぬんじゃないかと、本気で肝が冷えた」

「ははあ、なるほど」

 きっと、時差ボケで狂いに狂った体内時間のツケが、いっぺんに出たんだな。

 と思ってのんびり返事をしたのが悪かったのか、今まで下がりきっていた両眉が、いきなり大きく吊り上がり、お坊っちゃんは私を怒鳴りつけた。

「なるほどじゃない! どういうつもりで俺の酒なんて飲んだりした、コト! 本当に死ぬかもしれなかった。ほんのイタズラ心でしていいことじゃないだろ、わかってんのか!」

「あーそうですかあれはお坊っちゃんのお酒でしたか」

「白々しいんだよ! 棒読みなんだよセリフが! 絶対わかってて飲んだだろ! いたいけな子供に酒を飲ますなど言語道断だってワンズにえらい剣幕で叱られて、父上にも母上にも、今後家の中で飲酒はまかりならんと説教されたんだぞ!」

「お気の毒に」

「お前のせいなんだよ!」

「じゃあこれを機会に、私と一緒に禁酒しましょう、お坊っちゃん」

「違うよな、お前はそもそも禁酒とか言う立場じゃないよな! なに子供のくせに『もう酒にはコリゴリ』みたいな顔してんだ!」

「大声はやめてもらえませんか、頭に響くので」

「二日酔いの親父かあっ!」

 お坊っちゃんはひとしきりがあがあと怒った後で、ようやく、はーっ、と溜め息をついて椅子に座り直した。

 少し黙ってから、ためらいがちに口を開く。


「……お前、寝ながらずっと、ぶつぶつ喋ってたぞ」


 ぼそっと言うお坊っちゃんの視線は、私ではなくどこか余所の方向に向けられている。

「?」

 まだ怒ってるのかな? と、私は首を傾げた。お坊っちゃんはいつまでも根に持つようなタイプではないのだが。

「私、なに言ってましたか」

「なんか、これから大きくなる、だとかなんとか」

 何が、の部分は聞こえなかったらしい。夢の中でさえ胸の小ささを責められる自分が可哀想で泣ける。

「身長のことですかねえ」

「……あと」

 お坊っちゃんは気まずげな顔で、床に目線を据えつけた。口はへの字に結ばれて、形の良い眉は上げたらいいのか下げたらいいのか判らない、という感じで迷いがちに動いている。下の弟が、父ちゃんのヘソクリ見つけちゃったんだけど見なかったフリしておいたほうがいいかなあ、と言った時、確かこんな顔だった。


「──お母さん、って」


 ひどく言いにくそうに、ぽつりと呟いた。

「はあ」

 最後の場面だな、と私は夢の内容を思い返しながら相槌を打った。まあ、現実でも、ああいう母だったけどね。身体はちっこいのに、声はやたらと大きくて、隣近所はさぞ迷惑していたろうと思う。

「もとの世界の夢を見てたんですよ」

 別に隠す必要も感じなかったので正直に言ったのに、お坊っちゃんはこちらを見もせず、ますます困ったような顔になった。はて。お坊っちゃん、どうしましたか。

「……その、家族の夢?」

「勢揃いでしたね。お父さんは出てこなかったけど」

 現実でも影の薄い父だったからな。夢の中でも存在を忘れられているとは、哀れ、お父さん。薄情な娘を許してください。

「そ、そっか……」

 お坊っちゃんはいかにも居たたまれなさそうに、大きな身体を椅子の上で縮めている。

「…………」

 ああ、なるほどね。

 その様子を見て、私はやっと理解して、大きく息を吐きだした。

 お坊っちゃんは坊っちゃん育ちなだけあって、基本的に人のいい性質をしているのだ。そうです、根はとても良い子なんですよ。女の子に対してはチャラいし、ナルシストな上にバカだけど。

「……あのですねお坊っちゃん、そんなにあからさまに『可哀想』ってな顔をされなくてもいいです」

「えっ! いやいや、別にそんな」

 お坊っちゃんは判りやすくうろたえた。

「独りぼっちで見知らぬ異世界に飛ばされたちっさい子供が、家族やもとの世界のことを夢に見たりするなんて、今ものすごく悲しく寂しい気持ちでいるんだろうなあー、っていうのが丸わかりです、その顔」

「そっ、そんなことはない……ない、んだけど」

 言葉を濁して、意味ありげにちらっと私の顔を窺う。

「……けど、必要なら、俺の胸を貸してやってもいいかなと」

「結構です」

 お坊っちゃんは巨乳を持っていないので窒息死することはなさそうだが、きっと電柱に止まったミンミン蝉のような気分になるだろうこと請け合いだ。蝉になりたいと憧れたことはないので、すっぱりお断りする。

「それとも、一人っきりになりたいんなら、席を外そうか?」

「泣きませんってば」

 よっこらしょ、と上半身を起こすと、ベッドの上で態勢を整え、きちんと正座した。さりげないつもりで、ちっともさりげなくない同情と気の遣いかたをするお坊っちゃんと向き合う。

 しかしこうして座っても、お坊っちゃんの顔は私のよりもずっと上のほうにあるのだった。首が疲れる。

「よろしいですか、お坊っちゃん」

「お前、その顔つきと言い方、ワンズにそっくりだぞ……」

「黙って聞く」

「あ、ハイ」

 びしりとした口調で叱ると、お坊っちゃんはぴんと背筋を伸ばした。

「私のことに関して言えば、そりゃまあ、突然わけのわかんない世界に飛ばされて、最初はとっても心細かったし、寂しかったですよ」

「……うん。だろうな」

「家族のことを思い出して、もとの世界に帰りたいって泣いたことも何度もありましたけど」

「うん」

「でもねえ、人間、そうそう後ろ向きなことばかり考えていたってしょうがないじゃないですか。どういう事情でか、私はこっちに来てしまったんだし、もとの世界に帰れる方法っていうのは残念ながら判らないみたいだし、いくら家族が向こうでどうしてるか考えたって、私にはわかりっこないんですから」

「……うん」

「どんなに望んだって、出来ないことは出来ない。ないものはない。どうしても、世の中には、そういうことがあるんです」

「うん」

「いくら望んでも私の胸だってこれ以上は成長しないんです」

「は?」

「ロンさんが平民で、リリニィさんが大公家の娘であるのだって、どうしようもないことでしょう? それと同じで、お坊っちゃんが中公家の子息だってことも、どうしようもない。どうしようもないんだから、それについて、お坊っちゃんが、罪悪感を持ったり落ち込んだりする必要はありません。フリーパスだろうが出世間違いなしだろうが、堂々としてりゃいいんです。別にお坊っちゃんがズルをしているわけじゃないんですから」

「……そう、かな」

「そうです。それでもどうしても納得できないっていうんなら、ロンさんよりもうんと勉強したり、努力をしたりすればいいんですよ。お坊っちゃん、大事なのは、今目の前にあるものを、しっかり正面から受け止めて、どんどん前向きに突っ走っていくことです」

「いや、つーか、コトはある意味、前向きすぎるんじゃないかと……」

「私の世界には、『金石の交わり』ってことわざがありましてね」

「なんだそりゃ?」

「ちょっとやそっとじゃ壊れない友情とか愛情とかのことです。もしもロンさんとリリニィさんの間にちゃんとした気持ちがあるのなら、身分なんて関係なく、上手くいくものはいきますよ、きっと」

「……そうか?」

「他にも『石の上にも三年』っていうのがあります。一日二日ではどうにもならないことでも、三年くらいじっくり石の上で待っていればそのうち幸運が巡ってきて、なんかいいことあるかもしれないなー、という意味の」

「お前、俺がわかんないと思って、すごくテキトーなこと言ってねえ?」

「あと、『他山の石』とか『転石苔を生じず』とか」

「石はもういいよ!」

 ツッコんでから、お坊っちゃんはたまらなくなったように噴き出した。

「──つまり、つまんないことで悩んだってしょうがない、ってことだな?」

「はい、そうです。未来のことは判らないんだし、結局は、なるようにしかならないものですからね。だったら考えてもどうしようもないことであれこれ悩むより、今を頑張って楽しみましょうよ」

 お坊っちゃんは、ははっ、と声を出して笑った。

「うん、確かにそうかもな。お前はすごいよ、コト」

 そう言って、ぽん、と私の頭の上に手を置き、そのまま大きな掌でワシワシとかき回す。髪の毛がぐしゃぐしゃになった。

「今日は一日休みだから、ゆっくり寝ておけよ。あとで何か食べるもの持ってきてやるからな」

「食べるものより飲み物がいいです」

「水か」

「酒と言ったら怒りますよね」

「当たり前だ」

 つれなく言って、お坊っちゃんは椅子から立ち上がった。


 それから、私を見て、にこっと笑った。


 あ、いいな、この顔、と私は思う。

 いつも鏡に向かって決めている表情よりも、よっぽどいい。

 お坊っちゃんはせっせとそちら方面に努力を惜しまないが、私に言わせれば、女の子の前でわざとらしいポーズを作っている時よりも、素のままのお坊っちゃんのほうがずっとかっこいい。

 それが判らないうちは、彼はまだ子供ということなのかもしれないなあ。

「──ありがとな。元気になった」

 そう言って目を細め、お坊っちゃんは部屋を出て行った。

 私はボサボサになった髪の毛を手櫛で整えて、その長身の後ろ姿をベッドの上から見送る。

 うん。うちのお坊っちゃんは、いい男だ。

 時々、私の自慢です。




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