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野良怪談百物語

君の好きだった“花”を、今日も部屋に飾る

作者: 木下秋

 大きな門の前にいた。五メートルはあるだろうか。洋風の、立派な門だ。それは青銅製で、おりのようにしっかりと閉まっている。向こう側にはその門に引けを取らない、大きな洋館が建っていた。


 その横、勝手口にはインターホンが備え付けてある。僕はそれを、ゆっくり押した。右斜め上の監視カメラが、小さな駆動音を発する。


『やぁ。ちょっと待っててね』


 インターホン越しに、綺麗な低音の声が響いた。叔父の声だ。


「はい」


 僕はそう言って、勝手口から少し離れた。持っていた花束を持ち直す。それは綺麗な、青を基調とした花束だった。


 向こうから叔父がやってくる姿が見える。彼は歩きながら右手を挙げ、挨拶をした。


 おそらく今日も僕がやって来ること以外に用事は無いはずなのに、白髪混じりの髪を綺麗に整え、ベージュのスラックスに白いシャツ、チェックのベストをしっかり着こなしている。


 元気だった頃の叔父はお洒落好きで、歩く姿には気品があった。僕の子供の頃の、憧れの存在だった。


 その頃の名残で、癖なのだろう。家を出ない日でも、しっかりお洒落をするというのは。


 ――もう、一年か。


 僕は歩いてくる叔父に向かって、会釈をした。



     *



「わざわざありがとうね。来てもらっちゃって」


 濃い緋色ひいろ絨毯じゅうたんで敷き詰められた廊下を、僕を先導するように歩きながら、叔父は言った。


「こんな立派な花まで持ってきてもらっちゃって。……美和子も喜ぶよ」


 廊下を左手に逸れてまっすぐ行くと、大きな部屋に辿り着いた。


 置いてあるものが全てアンティーク調で統一された、高級感漂う部屋だった。壁にはぎっしりと厚い本が敷き詰められ、奥には天蓋付きのベッド、真ん中には大きなテーブルがある。窓から射し込む太陽の光が紺色の絨毯を強く照らして、そこだけが真っ白だった。


 叔父の妻、美和子さんが生前過ごし、今は叔父が一日を過ごす部屋である。


 ――叔父はかつて、立派な人だった。僕の父と一緒に会社を経営し、祖父の代より更に成長させた。人一倍お洒落に気を使い、純粋な日本人なのにどこか西洋を思わせる顔つきで、“かっこいい”人だった。今だってもちろんその面影はあるが、今の叔父の顔には、“生気せいき”が感じられない。肌は青白く、目にはかげりがあり、僕は“気の抜けたシャンパン”のような印象を受けた。それもこれも、美和子さんが亡くなってからである。


 一年前、美和子さんは亡くなった。まだ三十七歳だった。急性白血病だ。


 叔父とお似合いの、綺麗な人だった。線が細くて品があり、優しい人だった。


 二人は愛し合っていた。心の底から同化しあい、離れてしまえば、もう片方だけでは完全ではいられないような、そんな二人だった。美和子さんが急死して、叔父は仕事が手に付かなくなった。辞めるとまで言ったが、それは父が止めた。休職扱いになり、もう一年とちょっと経つ。父は叔父のことを心配していて、僕が今日叔父を見舞ったのも、父に言われてのことだった。もちろん僕だって心配していたから、二つ返事でやってきた。叔父は一日中、このかつての美和子さんの部屋で、本を読み、過ごしているらしい。


「ちょっと待ってて」


 叔父はそう言うと、部屋の中央のテーブルに花束を置き、真ん中に置いてあった大きな花瓶を手にして部屋を出て行った。


 すれ違う時に、その手元を見る。その花瓶に生けてあった花は、カラカラに枯れきっていた。


 テーブルの中央には、写真立てが置いてある。二つあり、片方には叔父と美和子さんが仲良く二人並んで立ち、笑っている写真。もう片方は、笑顔の美和子さんが一人で写ってる写真だ。


 その後者の写真には見覚えがあった。葬式の時、遺影に使われていた写真。――彼女の生前の姿を、最も美しく撮った写真だと思った。


 胸が締め付けられるように痛んだ。思わず目元が熱くなり、口元が震える。――叔父は毎日この部屋で、何を想って過ごしているのだろう。


 少し待つと、叔父は大きな盆を持ってやってきた。その上には水の入った花瓶と、二つのティーカップが載っている。


「お茶もすぐに出せなくて、ごめんね」


 「そんな……。気を使わないでください」。そう言いながら、叔父の手からティーカップを受け取る。カップの中では琥珀色の紅茶が静かに波立ち、湯気を放っていた。


 叔父はというと、もう一つのティーカップには手を出さず、腕まくりをしていた。袖を丁寧に二度折ると、僕の持ってきた花束のリボンを外した。花々を一本一本手に取ると、慣れた手つきで根元をカットし、花瓶に挿してゆく。適当に入れているように見えたのだが、全ての花を入れ終わると、まるで一つの作品だった。


「綺麗ですね」


 素直にそう言うと、


「慣れたもんだろ?」


 叔父はそう返して、はにかんだ。


「……さっきの見ただろう? 花」


 廊下の方を親指で示しながら言う。


 枯れた花か――。紅茶を口にしていた僕は叔父を見つめ、それを含んだまま、ウン、と頷く。


「何故だかわからないけど、すぐに枯れちゃうんだ」


 そう言うと、力無く笑った。


「……だから、僕が毎日変えてやらなくちゃあならない」


 ――毎日?


「毎日、取り替えてるんですか?」


「あぁ」


 ――毎日取り替えて? 頭が混乱した。あの花の枯れ方は、普通ではなかった。一日部屋に置いておいて、ああなるとは考えられない。


 花瓶の中を見た。緑色のガラスでできた花瓶の中は、透明の液体でひたひたと満たされている。


「……花が、生きているのだとすれば――」


 叔父は花瓶に手を伸ばし、その中央で咲き誇る、百合の花弁に優しく触れた。


「――“枯れる”ということは、“死ぬ”ということだ」


 その憂いた表情は、何かを思い出している。僕にはそれが、見えるようだった。その写真の中で微笑む、美和子さんのことを――。


「美和子は、花が好きだった」


 叔父は俯いたままゆっくり僕の方を向き、窓際に向かって歩き始める。


「……美和子が花を枯れさせて、向こうに連れてゆくのだろうか」


 窓枠に両手を突き、前かがみの姿勢で外を眺める。光を全身に浴びるその姿は、教会で懺悔しているかのようだった。手を伸ばせば届く距離に叔父はいるのに、すごく遠くへ行ってしまったような、そんな気がした。


 叔父は、言葉を震わせて言った。


「……どうして……僕を連れて行ってくれないんだ」


 僕にはその理由がわかっていたけれど、何も言うことができなかった。

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― 新着の感想 ―
[一言] おはようございます。 いつも楽しく読ませて頂いています。 叔父さんと叔母さんの思い出がとても綺麗に描かれています。 ただ、最後の一文 「僕には、その理由が分かっていたけれど、何も言う事ができ…
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