ある未亡人の身の上話【母としての想い】
ねぇ お父さん
世界一大きな船って、どのくらいなの?
そうだなぁ 長さにして500mくらいかな。
おっきいねえー
そこに浮かんでる船が、大体250mくらいだから、 その船を二隻並べたくらいの長さだよ。
父は、その後 私を、港の見える高台に連れて行ってくれた。
ほら あそこに見える水色の船が、さっき見た船だよ。
ここから見ると 凄く小さいだろ?
うん。
どんなに大きな船だって、少し離れた場所から見れば、あんなに小さく見える‥。
もっと遠くから見れば、指先で隠れてしまうほど、ちっぽけなものになる…。
父は、そう言って、深々とタバコの煙を吐き出した。
まだ小学生の頃の記憶が、今も時どき蘇る。
父が私に言った言葉が、今も鮮明に耳に残っている。
あの時、父は何を伝えたかったのだろう。
今まで、数々の悩みや悲しみに突き当たると、
父の言葉が頭の中に、聞こえて来た。
貨物船の船長の父と、専業主婦の母との間に生まれた私は、
何不自由無く育てられ短大を卒業し、
父の乗っている船の会社に就職した。
25歳になった私は、船会社の所有する貨物船の
一等航海士と、お見合いをして結婚した。
3ケ月間 航海に出て帰って来る夫の慶次との間に、
子供を授かったのは、私が28歳の時だった。
夫は、船乗りの子供に相応しい名前が良いと、
産まれた長男に、海人と名付けた。
海から帰って来て、海人を見ては、この子には好きな様に生きて欲しいと、
いつも口癖のように言っていた。
幼い息子を連れて、出港する船を見送る時には、
泣きじゃくる海人をなだめながら、
何時も淋しい思いをした。
船が日本に向け帰港する時には、
海人と二人で、わくわくしながら迎えに出向いた。
タラップから、降りて来る夫は、
少し潮灼けした顔で、ニコニコしながら海人を抱き上げて、
伸びた無精ひげのまま頬ずりをしては、喜んでいた。
私はそんな二人を見るのが、好きだった。
その後に、必ず
ただいま、
元気だったかい?
留守の間、ご苦労さま。
ありがとう。
温かい顔でそう言って、私に微笑んでくれた。
疲れたとか、仕事の愚痴や自分の事は、一切口にせず、
何時でも、一番最初に私の事を労ってくれた。
そんな夫の優しい言葉で、
淋しい思いで待っていた3ケ月間の苦労は、報われていた。
普段は、航海に出て留守が多い夫だったけれど、陸に居る時には、
私と海人には、優しかった。
家族サービス満点の夫だった。
それだけで、幸せを感じていた。
一人息子の海人が、3歳の誕生日を迎える ひと月前のある晩に、
一本の電話が入った。
夫の乗っている船が、
シンガポール沖を航行中に、
外国船籍の小型タンカーと衝突し、
二隻とも爆発炎上して、
救助活動も間に合わず、
沈没したと言う会社からの電話だった…。
たった一本の電話で、夫の死を知らされても、
全く実感の無い私は、
携帯を握りしめたまま茫然とするだけだった…。
あと何日かしたら、あの人が何時ものように、帰って来る気がして、
カレンダーを見つめる日々が続いた。
亡骸も無い葬儀を、済ませ、途方に暮れる私に、
何も解らない海人は、何度も問いかけて来た…。
お父さんは、いつ帰って来るの?
あと何回寝たら帰って来るの?
私は、只々、頷くだけで、何も言え無かった。
夫を亡くした悲しみと、
一人でもこの子を、
立派に育てようと言う気持ちが混ざり合った日々を送る私を、
両親は哀れに思ったのか、同居を勧めてくれた。
両親との同居生活も12年が過ぎ
中3になった海人は、
海員学校へ進学したい、
いつか父さんの眠る海で仕事がしたいと、
私に打ち明けて来た…。
夫を、海難事故で亡くした私にとっては、
近い将来 、一人息子まで海上の仕事に就く事には、抵抗があった…。
しかし、夫が何時も口癖のように言っていた
この子の好きなように生きて欲しいと言う思いから、
海員学校への進路を許した。
私は、息子が在学中に、気が変わり
船員以外の職業に就く可能性もあるかもしれ無いと、
そんな気持ちで、毎日、学校へ送り出していた。
5年の月日が流れるのは、あっと言う間だった…。
卒業式を終えた海人は、
4月になると直ぐに、
父が船長として勤めていた船の見習い航海士として、
彼自身の処女航海に出て行った。
父は、息子を心配する私に、
慶次君の息子だから大丈夫だ、
俺の孫だから心配する事は無いと言って慰めてくれた。
「慶次君が、亡くなって何年経つ…?」
「もう17年経つわ…。」
「早いものだな…。
慶次君にも海人の帰って来る姿を、見せてあげたかったな…。」
「そうね…。」
息子の乗船している京葉丸が帰港する今日、
父と二人で、港に迎えに出向いた。
船が接岸し、タラップから降りて来る息子が見えた。
大きな荷物を肩に掛け、まばらな無精ひげを生やして、
タラップを一段一段降りて来るその姿は、
まるで夫の若い時を見ている様で嬉しかった…。
陸に降り立った息子は、父に向かって、
「じいちゃん、ただいま帰港しました。」
爽やかな海の男らしい挨拶をしていた。
海風を受ける息子を見つめていたら、
夫が近くに居るような気がしてならなかった。
「かあさん、ただいま
元気だった?
留守中、ご苦労さま。
?ありがとう。
心強かったよ。」
潮灼けした顔で、優しくそう言ってくれた。
その言葉を聞いた時、
堰を切ったように、涙が溢れ出し止まらなくなっていた。
少し逞しくなった息子は、
涙の止まらなくなった私の肩を、トントンとなだめるように、軽く叩いてくれた。
(あなたの息子は、立派な船乗りになりました。
あなたに、そっくりな海の男になりました。)
私は、胸の中で夫に語りかけた。
悲しみも、悩みも、
あの時、父と見た船のように、
時間と言う離れた距離から見れば、小さく見えるのかも知れない‥。
父があの時、何を伝えたかったのか 解った気がした。
車に向かう私たちの後ろから、
京葉丸が、ボォーーと汽笛を、鳴らしていた。
その低く胸に響く汽笛は、
これからの私たち母子を、
励ましているかのように聞こえた。
春 野風