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家に帰りつき、部屋のベッドに倒れ込む。
脳裏に浮かぶのは焦れたような一之宮先輩の顔と声。同じような表情を、声を、聞いたことがある。
「……嘘でしょう……?」
檎宇のときも何故、と思った。
ゲームの中で彼らが桃香に恋をするのは彼女が優しく、健気に相手を思いやって、その悩みや苦しみに寄り添い続けるからだ。
彼らと真っ向から対立したり、邪険に扱ったり、どう考えても優しいとは言えない言葉をかけたりしてきた私を、なぜあんな瞳で見つめるのか。
ふと苺ちゃんのあのブログが思い浮かぶ。
『順調に攻略中』
ヒロインと真逆の行動を取っていた筈なのに、彼女から見て私が彼らを『攻略』しているように見えたのだろうか。
「……明日、苺ちゃんに聞いてみるしかなさそうね……」
もし、私が知らずに一之宮先輩や檎宇の運命を、悪い方向に捻じ曲げてしまっていたのだとしたら……。
「篠谷が怒っているのは……もしかしてその所為なのかしら……」
桃香の為と言いながら、彼らが本来抱くはずだった綺麗な恋心を歪めてしまったのだとしたら、怒るのも無理はない。
特に篠谷は最初から桃香の事が好きだったのに、私の所為で幼い頃の思い出を壊され、再会しても顔を合わせる隙もない程邪魔され、その上そのお邪魔虫が何食わぬ顔で隣で相棒のように振舞っていたのだから、憤懣やるかたない思いを抱いて当然だ。
「私を業務から外すっていうのも、暫く顔も合わせたくないって事なのかも」
枕元の、父さんのアルバムの背表紙をそっと撫でる。
いまだに開ける勇気を持てないその中に、出会ったばかりの頃の篠谷の写真も入っている。
あの篠谷にとっては散々な思い出となった旅行の後、父さんが笑いながら写真を挟んでいたのを覚えている。
どんな写真だったのかは、思い出せないけれど。
指先がザラザラとした背表紙を何度も往復する。
「……ごめんなさい……」
何に対しての謝罪なのか、誰に対しての謝罪なのか、定かでない呟きが零れて、誰もいない空間に溶けた。
翌日、昼休みに苺ちゃんに中庭の東屋まで来てもらった。
照り付ける日差しの中、東屋は日陰になっているうえ、風通しが良いので比較的涼しいが、それでも空調が効いた校舎内とは比べ物にならない。
じっとりとシャツが背中に張りつく感触を味わいながら待っていると、苺ちゃんが小走りに駆け寄ってくるのが見えた。
こうしてみると、彼女は何処か桃香と似ている部分があるように思える。
小柄で小動物を思わせる可愛らしい顔立ちや、愛嬌のある立ち振る舞い。ゲームのメインキャラでないのが不思議なくらいだ。
「お待たせしました! 真梨香先輩、どうなさったんですか? 何か新展開? 新たなイベントフラグ回収ですか? あ! 安心してください、もう隠し撮りはしません。ちょっと離れたところでこっそり目に焼き付けますから!!」
口を開くと残念なオタクが見え隠れするけど。
「隠し撮りも駄目だけれど、堂々と覗き宣言も駄目でしょ。……そうではなくて、ちょっと……あなたに訊きたいことがあって」
きょとんと小首をかしげる仕草も可愛らしいな。
うっかり撫でてしまいそうになる衝動を抑えつつ、ベンチに座るよう勧めた。
「その……花の鎖の……ゲームの情報、あなたはどのくらい持っているの?」
「花さく情報でしたら多分ほぼ網羅してると思いますよ。あたしが死んだ後に続編とか出てない限りは。真梨香先輩は……フルコンはなさってるんですよね?」
「ええ……一応」
本当は何周もしてるんだけど、そこまでは言わなくていいだろう。
「関連書籍やメディア化作品、コミカライズとノベライズは?」
「それも一通りは見たと思うわ」
「イベント限定配布の小冊子は?」
「……読んだわ」
なんだろう。自分から尋ねておいてなんだけれど、過去の自分のオタク遍歴を晒すのってものすごく恥ずかしいな。
「原作プロデューサーとシナリオライターのトークライブは?」
「え? それは知らない……」
苺ちゃんに詳しく聞いたところによると、原作ゲームがアニメ化された際の攻略キャラ達のキャラソンCDの連動購入特典で申し込める限定イベントだったらしく、ヒロインのCDが無かったので私は全く触れていなかったのだ。
「もしかして、そこで何かゲームの別ルートとか、本来と違った攻略方法が……?」
「あ、いえ、制作中の裏話とか、没になった案の話とかが中心で、本編に直接かかわる話はなかったんですけど……」
自分の知らなかった情報に意気込んだものの、苺ちゃんの返事で拍子抜けする。けれど、彼女は何事か言いよどんでいたかと思うと、意を決したように顔を上げた。
「あの、実はあたし……あたしその……そのトークの中に出てきたヒロインの没案キャラなんです!」
「は……?!」
思ってもみなかった告白に、私の口からは間の抜けた声が零れ落ちた。
来週は性悪令嬢の方に注力したいので、少しお休み頂きます。