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生徒会室には重苦しい沈黙が満ちている。
篠谷も、梧桐君も、更には何故か我が物顔で執行部員のデスクにふんぞり返っていた一之宮先輩と、その隣で無言でスマホ弄ってる吉嶺も、誰一人として言葉を発しない。
そもそも吉嶺に至ってはスマホ弄ってる時点でまともに聞いてないと思われる。
急遽呼び出して話に参加してもらった菅原棗先輩と津南見も終始無言だ。津南見の場合は一度聞いた話だから、驚いている様子はなかったけど。
「……というわけで……えっと……この先理事長こと梅香伯母様が何か仕掛けてくる可能性を考慮して対策を練りたい……んですけど……」
口の中がカラカラに乾いている気がするのは長々と話をしていた所為だけではないと思う。
桃香に説得されて、生徒会室に皆を集めて、私は全てを最初から話した。
前世のこと、ゲームのこと、記憶が戻った時のこと、桃香を守るためにこの学園に入学したこと、桃香に篠谷や一之宮先輩が近付かないようにとフラグを折っていた事……。
最初は愕然とした表情をしていた篠谷や梧桐君の顔が段々を静かな表情になっていき、一之宮先輩は苛立たしげに眉間にしわを寄せていくし、吉嶺は……途中からスマホを弄り始めていた。
「こんな話、信じてもらえないことは分かってるの。だけど、今度の学内見学会で梅香伯母様が何か恐ろしい事を企んでいるのは絶対だと思う。そうなったとき、ゲームと同じように桃香や、その親しい人間として此処にいるみんなが狙われる可能性もある。だから……私に協力してほしいの」
座って話していた椅子から立って頭を下げる。
ゲームでは梅香伯母様が出てくるのは隠しルートである杏一郎ルートのみ。
杏一郎ルートは分岐点までに彼以外の攻略対象者の好感度を上げ過ぎず、下げ過ぎず、均一に維持しつつ、杏一郎ルートへのフラグ選択肢を取りこぼさないように選んで行かなければならない。
その為、杏一郎ルート確定時点でヒロインは他の攻略対象者たちと親しい友人レベルには仲良くなっている。
それを梅香伯母様に利用され、人質にされたり、騙して連れ出す口実にされたりしていたのだ。
今回梅香伯母様の敵意が私に向いている以上、全く同じことが起きるとは限らないが、あの伯母様の性格上、私を陥れるために私の周囲の人間を巻き込むことにためらいを覚えないだろう。
そうなった場合、私一人で此処にいる全員を守り切るのは難しい。
信じてもらえないまでも、梅香伯母様に対する警戒は絶対に伝えなければならない。
そう思って頭を下げていると、一之宮先輩が深々と溜息を吐くのが聞こえた。
この溜息は心底呆れかえっている時の奴だ。くだらない与太話に長々と付き合わせやがってとかそういうあれだ。
この後に投げかけられるであろう台詞を予測して、身構える。
「橘平、連絡はついたか?」
「大丈夫、もうすぐ到着するってさ」
到着って何が? まさか問答無用で病院送りとか精神鑑定とか? せめて正気かどうか本人に問いかけるぐらいして欲しい。
正気のつもりではあるんだけども。
っていうか吉嶺スマホ弄ってると思ったらまさかの救急車呼んでたの? 頭のおかしい女が何か言ってるから、声に出さずに犯人(犯人じゃないけど)を刺激しないように無音で緊急通報するとかそういう?!
「ちょ、ちょっと待って、信じてもらえないのは仕方ないけど、私は至って正気で……」
いや、こんなこと言っても「正気じゃない奴はだいたいそう言う」って言われるパターンだっけ。どうしよう。
檎宇と桃香に視線で助けを求めた時、生徒会室のドアが開いて、小柄な影が飛び込んできた。
「ちょっと吉嶺先輩!! 何ですかいきなり呼び出しかけてきたと思ったら、超絶美麗全員集合スチル送りつけて来て!! ありがとうございます!!! ……って、びゃぁぁああ!! マジで全員集合してる!! なんですか?! 何のイベントですか??!」
「えっと……倉田……苺、ちゃん?」
桃香のクラスメイトで、香川さんと共に桃香の親友になっている子だ。
何故彼女が此処に……? というか、今すごく耳になじんだ聞き捨てならない単語が聞こえたような……?
「葛城、確かにお前の話は信じがたい。お前ひとりの話だったら、いくらお前の話でも頭から信じることはできなかっただろうな」
一之宮先輩が頭痛がするとでも言いたげにこめかみを抑えながら溜息を吐く。
「えっと……?」
「偶然にも葛城さんと同じように、『この世界はゲームで、石榴や俺たちは葛城桃香ちゃんの恋愛対象が本来の設定なんです』って話す子が他にもいたんだよね。しかも、その子も、葛城さんも、普通なら知らない筈の俺たちの裏事情や、過去の出来事を知っていた……。流石にこうなると偶然では片付けられないよね」
「話す子がいたって! アレは吉嶺先輩が脅迫まがいの尋問で無理矢理聞き出したんじゃないですか!? いえ、嘘ですすみません! 自分で話しましたぁ!!」
吉嶺の言葉に反論しかけた苺ちゃんが吉嶺の顔を見て慌てて言い直す。ガタガタ震えながら涙目になっている。
私以外にもこの世界がゲームの中の世界だと話していた子がいて、それがこの目の前の苺ちゃん……?
突然の振ってわいた新情報に頭が追い付いていかない。
檎宇も桃香もこの展開は予測していなかったようで唖然としている。
「そうそう、正直に全部話してってお願いしたら、どうにも信じがたい誇大妄想としか思えない話をされて、でも本人はいたって本気の目をしてるし、思春期特有のアレかな~って思ってたんだよね。葛城さんの話を聞くまでは」
「えっと……つまり、その……苺ちゃんも……」
「真梨さんと同じ、ゲームの記憶を持った転生者?」
「はい! なんかこんな大勢の前でカミングアウトって死ぬほど恥ずかしいですね!!」
私がいい淀んだ先を繋ぐように檎宇が尋ねると、苺ちゃんは恥ずかしそうに頬を染めながら、元気よく頷いたのだった。
「……なるほど、つまりイッチーはこのゲーム世界に転生してモブ視点を楽しんでいたら腰巾着先輩にばれて脅されて、ゲームの話をしてしまったと」
「ん? 番犬くん、その『腰巾着先輩』って俺のこと?」
檎宇の質問に吉嶺が口を挟むが、それを無視して苺ちゃんが「そうなんです! 私は表舞台に出ずにずっと影から推しを眺めていたかっただけなのに!」と大げさな身振りで訴えはじめた。
「脅されたなんて人聞きが悪いなぁ。ちゃんと条件はギブアンドテイクだよって提示したじゃないか」
「でもでもでも、正直に話さないと秘密の鍵垢スチル置き場を知り合い全員にバラすよは立派な脅迫だと思います!! 人間誰しも人に言えない趣味の一つや二つあるんです!! あたしはただ可愛いヒロインとか、かっこいい転生ヒロインのときめきイベントを外野からひっそり眺めていただけなのに!!」
「遠目に眺めて妄想して楽しむ分には勝手だけど、追いかけ回して盗撮するのは犯罪だよ」
その会話でピンときた。
「盗撮って、まさか……?」
「そのまさかだよ。春に君に見せた、君と学内の特定男子とのツーショット写真を集めたサイト。あそこの運営者が、彼女だったってわけ」
「サイトって言っても鍵付きページで閲覧権限は自分だけにしてたんですよ!? それなのに~」
……なるほど。まさしく個人で楽しむ専用のWEBページだったのか。どうりで写真販売っぽい値札やキャプションがなく、ゲームの攻略チャートやイベント名が貼り付けてあったわけだ。
「それでも盗撮は駄目でしょ」
檎宇の至極冷静なツッコミに、苺ちゃんは肩を落として小さく身を縮めた。
「ごめんなさぁい……」
殊勝に謝る様子は心から反省しているようにも見える。
「もちろん、倉田さんにはWEB上に溜めてた写真も、彼女のスマホやPCに保存してあった写真も、全部削除してもらった上で、二度と許可のない撮影や録音はしないと誓約書を書いてもらった」
「……吉嶺先輩、それ、いつわかって、いつ苺ちゃんに尋問したんですか?」
「尋問だなんて人聞き悪いな。サイト管理者が彼女だっていうことを突き止めたのも、彼女自身に正直に告白してもらったのも、ごくごく最近のことだよ。今は夏休みだし、葛城さんも忙しそうだったから、新学期になったらちゃんと話し合いの場を設ける予定だったんだよ?」
ニコニコとのたまう吉嶺の顔は明らかに嘘を言っていた。
おそらく彼が言うよりもかなり早い段階で吉嶺は苺ちゃんを盗撮サイトの管理者だと突き止めていたのだろう。
それを私に知らせなかったのは何らかの意図があってのことかと勘ぐってしまう。
「……まあ、そういうことにしておきます」
「うん、そうしておいて。そんなわけで、倉田さんの証言もあることだし、俺と石榴は葛城さんの言ってる事を信じるよ。偶然と言うには出来過ぎているしね」
そう言われて、何故吉嶺が苺ちゃんをここへ呼んだのかを思い出した。
そうだった。今は梅香伯母様への対策の方が急務だった。
「そういうことだ。俺と橘平、それからそこの一年も、この件についてはお前の話が真実であるという前提で協力する。この学園の理事長には以前からきな臭い噂もあったしな。先日の木槿のような輩も、放っておくと生徒が害を被る。代議会議長として、俺は生徒たちを守る義務があるからな」
「理事長……ってことはやっぱり葛城先輩は隠しルート進行中なんですか?! え? 理事長室でのイベントは?! もう回収済みですか? 激レア前髪下ろしスチルは?!」
「倉田さんはちょっと黙っててね。それで……? 俺たちはいいとして、そこの五人は? さっきから無言で固まっちゃってるけど?」
吉嶺が興奮に鼻息を荒くする苺ちゃんを抑えながら、篠谷達へと問いかける。
「俺はもちろん葛城を信じるぞ。……というより、俺は既にこの話は聞いていたからな」
「先に聞いてたって言うだけでマウント取った気になるなよ」
「早いもの順なら俺の方が先に話してもらってたよ。お侍先輩、残念でした」
津南見と一之宮先輩と檎宇が何故か睨み合いを始める。
「俺は……いや、俺も信じるよ。少なくとも葛城は俺たちの身を案じてこの話をしてくれたんだろう? だったら俺は葛城を信じる」
菅原先輩は少し困ったように眉尻を下げながら、それでもはっきりと頷いてくれた。
「後輩を守るのも、先輩の役目だしな」
「残るは……お前たちだな」
一之宮先輩が返事を促すも、篠谷も、梧桐君も、加賀谷も、さっきからずっと無言で微動だにしない。
普通に考えれば、篠谷達の反応の方が当たり前だ。そうは思っていても、同じ生徒会でやってきた相手に信じてもらえないのはなんだか寂しい気持ちになる。
「篠谷君、梧桐君、それから加賀谷君、いきなり変な話をしてしまってごめんなさい。これ以上はもう言わないわ。でも、伯母様が何を仕掛けてくるか分からない以上、三人とも、身の回りに気を付けてほしいの。伯母様はきっと私の大切な人を狙ってくるから」
伯母様は私自身よりも、私の周りの大事な人や物を壊そうとしてくるだろう。そうすることで私が何よりも苦しむと分かっているから。
それだけ告げて、この奇妙な告白話は終わりにしよう。
そのつもりだった。
「僕は信じるよ」
「ぼ、僕も信じます! 葛城先輩を!」
梧桐君と加賀谷が同時にそう言って立ち上がる。
「葛城さんは突飛な行動はするけど、こんな変な嘘は言わないと思う。それに、例え嘘だったとしても、僕たちを頼ってくれるのなら、全力で応えるよ」
「僕も、葛城先輩に協力します! 頼って、ください」
「庶務と会計はああ言ってるが? お前はどうなんだ? 生徒会長」
一之宮先輩が探るような鋭い視線を篠谷へと注ぐ。
篠谷は暫く無言で一之宮先輩と対峙していたかと思うと、不意にこちらを見た。
碧玉の双眸が射貫くような鋭さを以って私を見つめてくる。私はただ黙ってその視線を受け止めた。
金色の睫毛が微かに震えるのが見えて、篠谷はそっと瞳を伏せた。
「僕は……葛城さんの話を、信じることはできません」
ご無沙汰しておりました。
でもまた来週はちょっとお休みさせていただくかと思います(休みが飛び休になるので身体が持たない)