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 翌日、講習が終わって生徒会室へと向かっていると、途中で3年の学年主任である木槿むくげ先生に呼び止められた。


「ああ、すまないが葛城君、学園の後援会の方が見学会の下見をしたいと来られていてね、私に代わって案内してくれないかね」

「すみませんが、私はこれから生徒会で会議があるので。……というか見学会の下見? とは? 何も話が来ていませんけど?」


 下見も何も、まだ企画も固まっていなければ、正式な招待状も送付していない。

 その後援会の人とやらは正式な許可なく校内に入ってきていることになるのではないだろうか?

 一応、上流階級の子女も多いこの学園では、学園敷地内に入る為には生徒の関係者である証明書か、正式な招待を受けた人間であることを証明する書面が必要なはずである。

 そう思って突っ込むと、木槿先生はあからさまに顔色が悪くなった。


「いや、その……それはだね、私の方にどうしてもという頼みがあってね、身元もしっかりした方だから私が許可証を出したんだ。だから大丈夫だ」

「それでしたらなおの事、先生ご自身が案内して差し上げるべきでは?」


 そもそも教師の一存でホイホイ許可証を発行しないでほしい。

 どうもこの教師は以前からその権限を私的利用している節が見受けられると噂に聞いていたが、どうやら後援会や理事会役員に便宜を図ることで、次期教頭の席を狙っているとの噂はかなり真実に近いようである。


「それが、緊急の職員会議で呼ばれてしまってね、君が通りがかったからちょうどいいと思って」

「先ほども申し上げた通り、私も生徒会の会議がありますので……」


 どうしてもと言うなら、誰か別の者に……と言おうとしたとき、学年主任の後ろのドアが開いて、恰幅の良い中年男性が出てきた。


「おい、どれだけ待たせれば気が済むんだ。さっさと案内しろ……ん? 何だ貴様は。そう言えば夏期補習を受けさせられている馬鹿な生徒がいるんだったな。おい、お前でもいい。食堂に案内しろ」


 素で他人の事を『貴様』とかいう人、本当に存在するのか。

 呆れを通り越して感心してしまいそうな気持で男を観察する。

 これ見よがしにブランドロゴがでかでかと刺繍されたオーダーらしき三つ揃いを着ていて、服装だけなら上流階級の紳士、と言えなくもない。

 不健康にせり出した腹やだいぶ後退しつつある額は油でテカり、全体的にたるんだ肉が揺れている。


「食堂は夏休み中は昼のランチタイムが終わったら閉鎖されている筈ですが」

「まだ従業員は残っているだろう。俺が来たと言ってスペシャルランチを出させろ。言えば伝わる!」


 まさかと思うけど、このおっさん、木槿先生に許可証出させてはうちの食堂で無茶ぶり言って飯食いに来てるんじゃないだろうな。

 疑問を顔に載せて木槿先生を見ると、どうやら図星のようだ。


「木槿先生、いくら身元がはっきりしたお知り合いでも、これは明らかに権限の私的利用です。木田川葡萄先生を通して職員会に連絡させていただきます」

「いやっ……それは……そんな、この程度で……」

「この程度、というのは先生のご勝手な判断に過ぎませんよね。もしこの程度の事が問題にならないのであれば、職員会に連絡しても構わない筈です」

「おい、何をごちゃごちゃと言っている。たかが生徒の分際で教師にたてついているのか?! これだから補習なんぞ受けるような不良は始末に終えんのだ!」


 木槿先生とやり取りをしていたら、おっさんが腕を掴んできた。その掌が汗でじっとりしていて気持ち悪さで背筋がゾッとする。

 思わず振り払ったら、思いのほか力が入ってしまったらしく、おっさんはよろめいて2,3歩後退った。


「今、俺を突き飛ばしたな?! おい、貴様名前は何という?! 貴様の方こそ職員会議にかけて処分させてやる!!」


 顔を真っ赤にして怒る様は、何というか蛸にそっくりだ。

 私としては突き飛ばしたつもりは無く、先に腕を掴んできたのはおっさんの方なので、暴力というならおっさんのセクハラの方が立派な暴力である。


「か、葛城君、は、はやく橡さんに謝って!」

「……橡……?」

「葛城……だと?」


 予想外の名前が木槿先生から飛び出して、思わず聞き返したが、向こうも私の名前を聞いて驚いている。

 そりゃあそうだろう。自分の息子と敵対し、最終的に退学に追いやった(と、向こうは思っているだろう)相手が偶然に目の前に現れたのだから。

 しかし、改めて観察し直してみると、見た目は橡圭介とは似てはいない。

 あの男は典型的なもやしっ子だったし、流石に高校生ということもあって髪もふさふさだった。

 けれど、よくよく見れば落ちくぼんだ陰気な目元や下唇を突き出し、人を小馬鹿にしたように笑う表情がよく似ている。

 しかし、それにしても、典型的な小悪党ですという見た目で、漫画によくいそうなキャラだ。あ、ゲームキャラになるのか、一応。


「貴様が葛城真梨香か……なるほど、礼儀を知らん庶民の小娘だとは思ったが……」


 橡剛三が値踏みするようにじろじろと無遠慮にこちらを睨み付けてくる。

 最初は憎々しげだった視線が、つま先からせりあがってくるにつれて好色で粘りつくような色を帯び、先ほどとは別の意味で背筋がゾッとする。

 海でナンパ男に胸をじろじろと見られた時と同じかそれ以上に不愉快な視線に晒され、思わず一歩後ずさる。


「学園で上位の家柄の男を身体で骨抜きにしているという話は本当のようだな」

「事実無根です。どこの誰がそんなデマを吹聴しているか知りませんが、名誉棄損で訴えますよ」

「イイ身体をしていると褒めてやったんだ。笑って受け流すこともできんのがガキの証拠だな。熟してるのは身体だけか。どうせ見学会でも副会長など名ばかりで大した働きもできんのだから、せいぜい俺たちに尻でも振って媚びて見せろ」


 繰り返されるセクハラ発言に、そろそろ一発ぶん殴っていいかな、と思い、拳を固めながら一歩踏み出そうとしたとき、後ろから伸びてきた手がウエストにまわって引き寄せられた。

 背中に逞しい胸板が当たる感触がして、超弩級に不機嫌を極めた地獄の底から響くような低音ボイスが耳元で聞こえた。


「うちの副会長を侮辱するような発言は控えてもらおうか?」

「なっ……おまっ……あなっ……あなた様はっ……!?」


 蛸おやじの顔が一気に青褪め、その隣で木槿先生も泡を吹きそうな顔になっている。

 私も、この後ろの人も、学園の生徒には違いないのに、この態度の差はやはり生まれもったバックボーンのなせる技なのか、それとも本人の威厳によるものなのか。


「……多分両方だわね」

「何をブツブツ言っている。会議になかなか来ないから迎えに来てやってみれば、お前はトラブルに巻き込まれずに移動することもできんのか」

「私だって好きで巻き込まれたわけではないですよ。木槿先生が勝手に校内に部外者を入れていて、このおっさんは勝手にうちの食堂を定食屋代わりにしてたんですよ」

「ほう……興味深い話だな。詳しく聞かせてもらおうか? 木槿、確か貴様は数年前の人事異動で後援会からの推薦で学年主任になったんだったよなぁ?」


 あ、ここにもいた。素で人を『貴様』呼ばわりする奴。


「一之宮先輩。まがりなりにも先生なんですから、呼び捨ては駄目ですよ」


 振り返って見上げながら窘めると、眉間にしわをバッキバキに寄せた一之宮先輩が不満げに口を尖らせる。


「お前な……どうせ無自覚なんだろうが、少しくらいは意識しろ」

「それより、何で先輩が私を迎えに? 私が向かってたのは生徒会の会議の筈ですが」

「そっ! そうです! なぜ一之宮さ……君が此処に? 夏休み中はご実家の社交で忙しいと夏期講習にも不参加だった筈では……?!」


 木槿先生が悲鳴のような声を上げている。一瞬『様』って言いかけて、慌てて君付けに言い直してたけれど、教師らしい威厳は正直ゼロである。


「一之宮財閥の御曹司といえど、部外者ならば口を出すのは控えていただきませんか。私はそこの女生徒に突き飛ばされたのです。生徒会へも厳重な抗議をさせていただきますが、これは代議会には関係のないことの筈です」


 蛸おやじこと橡は橡でぶるぶると贅肉を震わせながらも、反論を試みている。

 それを聞いた一之宮先輩がにやりと獰猛な笑みを浮かべるのが見えた。


「……代議会には、関係ないかもしれんがな。生憎と今の俺は、代議会議長兼、三年総代兼……」


 そう言って一之宮先輩は言葉を切ると、ポケットから細い腕章を取り出した。

 紺地に銀糸で縁取りがされたそれには『生徒会執行部』と縫い取りがされている。

 生徒会の執行部員が、主に行事ごとの時にスタッフとして動き回る際に身に着けるものだ。


「生徒会、『臨時』執行部員なんでな!」


 ものすごく得意げに腕章に腕を通して見せる一之宮先輩はとてもノリノリで楽しそうだ。一方で木槿先生と蛸おやじは硬直してしまっている。


「と、いうわけで、『うちの』副会長は返してもらうし、お前たちには生徒会から、更には俺個人としても厳重に注意を促すべく、職員会及び学園後援会、それから当然理事会にも報告をさせてもらう。今日のところはさっさと帰って、身辺整理でもしておくんだな、木槿、センセイ」


 とってつけたような『センセイ』という呼びかけで木槿先生がその場に崩れ落ちるのが見えたが、正直自業自得なので同情する気にならない。


「ああ、それと……これは俺の個人的な頼みなんだが……こいつについて、不名誉かつ、侮辱するような噂があるようだが……事実無根なので、耳にしたら否定しておいてくれると、助かるな」


 この場合助かるのは蛸おやじの身の方であろう。

 一之宮先輩の目が、『噂を否定、火消しに努めないとどうなるか分かってんだろうな?』という脅しに満ちていたから。


「さ、行くぞ。さっさと戻らんと、俺が庶務に叱られてしまう」


 言いたいことは言い終えたのか、一之宮先輩は流れるような動作でくるりと私ごと方向転換すると、そのままエスコートするかのように優雅な動きで私をその場から連れ出した。


「一之宮先輩、いつの間に生徒会執行部員になったんですか?」

「今朝、学園へ来てみたら、お前のとこの庶務に即座に捕まった上に頼みこまれた。今度の学内見学会、先刻のような阿呆が大勢やってくるだろうから、圧をかけれる人材が欲しいとな」


 そう言えばそんなことを言ってたな。


「しかし、就任して早速役に立つとは思わなかったな。お前もせいぜい感謝しろよ」

「はい。正直助かりました。ありがとうございます」

「……もう一声」

「えぇ~……。あ、すごくかっこよかったですよ! 腕章出して腕に嵌めるところなんて、特撮ヒーローの変身シーンみたいで!」

「なんだその微妙なたとえは。だが、まあ、お前にかっこいいと言われるのは悪くないな」


 まんざらでもなさそうな一之宮先輩に連れられて、一緒に生徒会室に入ると、なぜか篠谷から睨まれた。


「一之宮先輩、みだりに女性の腰を抱いて歩くのは如何なものかと思います」


 言われてみれば、さっき蛸おやじから庇われてからずっと腰を抱き寄せられたままだった。

 あまりにも手馴れてて違和感を感じてなかった。


「葛城は嫌がってはいなかったみたいだぞ?」


 一之宮先輩はそう言って引き寄せる手に力を込めてきたが、流石に自覚した上でこの体勢は受け入れがたいので、するりと抜け出して急いで副会長の席へと着く。


「今、逃げられたみたいですけど?」

「会議の為に仕方なく俺から離れただけだ。ほら、さっさと会議を始めろ。生徒会長?」


 ブリザードスマイルの篠谷と、不敵な笑みを浮かべた一之宮先輩が睨み合いを続ける中、いつもなら場をまぜっかえしてくる後輩の姿がないことに気付いた。


「加賀谷くん、檎宇は?」

「小林なら、今日は補習も休んでいたので、学園に来ていないみたいです」


 実家に調べものがあると言って昨日帰っていった姿を思い出す。


「何か……あったのかしら……」


 どうにも、胸騒ぎがしていた。


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