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その日の午前の講習を終え、カフェテリアへ向かう。
その間中、あちこちからひそひそと囁き声が聞こえてくるのは、私の自意識が過剰な所為でなければ昨日の一件がすでに広まっているからだろう。
家庭科部の生徒たちへの口止めも無意味だったことがよくわかる。
「夏休み中だったのがまだせめてもの救いよね。登校してきている生徒の数が少ないもの」
夏期の講習と、部活、それから生徒会のように臨時で活動が必要になったところ以外はまだ夏休みを満喫している筈だ。
一之宮先輩なんかはご実家の企業グループのパーティで引っ張りだこで、学期中よりも忙しくしていると、なぜか吉嶺から連絡があった。
『もう、次期一之宮の跡取りだからって、縁を繋ぎたいっておっさんおばさん、ご令嬢が列をなしてて、石榴の営業スマイルも段々引き攣ってきててさ。悪いけど葛城さんから労いのメッセージでも送ってあげてよ。そしたらあいつエネルギーチャージできるからさ』
私みたいに上流階級のお付き合いの苦労なんて何も知らない人間が蚊帳の外から労いのメッセージ送っても嫌味にしかならないのではないだろうか。
そうは思ったが、暑中見舞いの代わり程度でいいならと自撮り付きのメッセージを送ることにした。
『一之宮先輩へ、こちらは学生らしく学業に勤しんでいます。新学期にお会いできるのを楽しみにしています』
「こんなもんかしら」
「真梨さん何してんの~」
「お姉ちゃん、此処にいたぁ~! お昼ご飯いっしょに食べようって言ったじゃない!」
「お、葛城の弁当美味そうだな。俺の弁当も分けてやるから、一緒に食べないか?」
「葛城さん、お昼食べながらでいいから、説明会の計画書の確認したいんだけど」
「真梨香さん、今日の放課後は執行部員で登校している人にも召集をかけようと思うのですが……。随分にぎやかですね」
カフェテリアでお弁当を広げているついでに自撮りをしていたら、檎宇や桃香、津南見に梧桐君、篠谷までわらわらと集まってきた。
せっかくなので、全員一緒に自撮りに入ってもらった。
賑やかなほうが一之宮先輩も見て楽しいかもしれない。桃香の写真を送ってやるのはもったいないが、集合写真で桃香だけ外すわけにもいかない。
送信するとすぐに既読が付いた。更に数秒で返信が返ってくる。
『今の仕事がひと段落ついたら会いに行く。それと、津南見に伝えておけ、『馴れ馴れしく葛城の肩を抱くな』と』
忙しくて夏休み中は暇がないのではなかったのか。
新学期になればいやでも顔を合わせるのだからわざわざ桃香に会いに来なくてもいいのに。
そう思ってそのまま返信しようかと考えていたら、津南見が肩越しに後ろから画面を覗きこんできた。
「なるほど、一之宮か……。葛城、ちょっと顔を上げてくれ」
「はい?」
言われるままに顔を上げると津南見に肩を抱き寄せられ、目の前には津南見のスマホのインカメラが起動していた。
「よし、葛城にも笑って欲しかったが、キョトン顔も可愛いからこれはこれでいいな!」
「津南見先輩! お姉ちゃんの傍は出禁です!!」
桃香が力任せに津南見を引き剥がしていく。あっさりと引き剥がされながら、津南見は手元のスマホを何やら操作している。
数秒後には津南見のスマホが激しく通知音を鳴らし始めたが、津南見は笑いながら音を消すと、スマホをポケットに仕舞った。
いったい何をしていたのだろう。
「真梨香さん」
呼ばれて振り返ると、篠谷が同じようにスマホを構えて立っていた。
「え~っと……?」
「津南見先輩だけツーショットを撮っているのはずるいですよね?」
眩しい程の笑顔で有無を言わさない圧を感じる。
その後なぜか篠谷、檎宇、梧桐君、桃香それぞれとツーショット撮影会が始まってしまい、更には通りすがりの胡桃澤や白木さん、錦木さんとも撮る羽目になり、結果としてお昼のお弁当を半分しか食べられなかった。
更には一之宮先輩から追加のメッセージで『次に会ったら俺ともツーショット撮るぞ。これは決定事項だ。逃げるなよ』というメッセージを頂戴してしまった。
ツーショット自撮りがこんなに今どきの高校生の間で流行っていたなんて知らなかった。これからはもうちょっと学内の流行にも気を付けるようにしよう。
放課後、生徒会室では学内見学会の概要の組み立てと、予算配分、スケジューリングについての話し合いが詰められていた。
当日招待されるのは、高等部の外部受験を希望している学生とその保護者、さらに一部の理事会役員と、学園後援会の会員から招待を受けた来賓者となっている。
当然だが、杏一郎は参加しない。
「説明会は例年通りとして……問題は懇親会の取りまとめですね」
「去年までの内容ではだめなの?」
「昨年までは理事会役員と入学希望の保護者、それから教師陣の参加のみで主催も理事会でしたから……。今年は生徒会が仕切る以上、入学希望者の学生も交えての懇親会にせよということではないかと」
「そうなると、昨年までの同じというわけにはいかないよね。去年は大人しかいなかったから、懇親会っていうか実質お酒有りのパーティーだったんでしょ?」
「ああ、そりゃ無理だわ。そうなると飲み物は全てソフトドリンクで、場所も……学内が無難でしょうね」
いっそのこと学内見学の一環として、学生食堂で特別メニューをセッティングして味わってもらうのはどうだろう。
「食堂職員に時間外と懇親会用メニューの作成、給仕の手配をお願いするとして、人件費、材料費と設備費諸々、予算は問題ないと思います」
加賀谷くんが概算をタブレットに打ち込みながら計算してくれる。
「役員と来賓の名簿のほかに来期外部受験希望者で見学会の参加見込みの人数が出せればもっと細かく詰められます」
「たしか、名簿はそっちの束に……白木さん?」
「由美子?!」
資料の束を仕分けていた白木さんが真っ青な顔で震えているのを見て錦木さんが慌てて駆け寄る。
彼女の手にあった紙を見て錦木さんの目が驚きに見開かれた。
「どういうこと?! 何で……何でこいつが!!?」
錦木さんが触れるのも嫌だと言わんばかりに床に放り出した名簿を拾い上げる。
数枚めくったところで、手が止まった。
そこには理事会役員からの招待で学内見学会に参加する来賓者の名前が羅列されていたのだが、その末席に近い箇所に、忘れようにも忘れがたい名前が記されていたのだ。
「……橡……剛三……」
一年前、外部受験で入学した特待生を羨んで暴力事件を起こし、学園を退学になった橡圭介の父親の名前だった。
何かの間違いではないか、昨年の学内見学会の頃はまだ橡の親も学園に対してそれなりの寄付を収めて大きな顔をしていただろうが、あの事件以降は公式行事の来賓にも名前は上がっていなかった筈だ。
そう思って生徒会顧問の木田川先生を通して名簿の再確認と問い合わせを行ったが、帰ってきた返答は名簿には間違いはなく、来賓を生徒会できちんと接遇するようにという指示だけだった。
「橡の父親はあの事件の後、理事会役員からは除籍されている。けれど役員の中でも上位の派閥に属していた所為か、役員名簿には復帰してないものの、学園の後援会預かりという立場で数か月の会合への参加自粛ののち復帰を許されたらしい」
「それはそれは……きっと随分お金に物を言わせたんでしょうね……」
昨年の事件の時、橡の父親は被害者である白木さんや錦木さんに直接謝りに来ることなく、代理人とかいう弁護士を通じて高額の示談金の提示、調停の長期化による被害者側の不利益、更には被害者側の自衛意識が足りなかったのではないかなどと言う暴言をオブラートに包んで書面で寄越してきた男である。それだけで人品骨柄お察しの人物だ。
あの時白木さんや錦木さんはあの弁護士と顔を合わせるのも苦痛に感じた為、示談を受け入れるという選択をしたが、今思えば、徹底的に潰しておくべきだったかもしれない。
「ともかく、あの男がいるのなら、生徒会および執行委員が直接懇親会で接遇するなんて無理だわ。少なくとも、白木さん、錦木さんたちにそんなことはさせられないし、この名簿に関わる作業も別の人に割り振らせてもらう」
橡だけではない、見学会に参加する理事会役員には、橡を許し、天下り先を世話した者もいるということになる。そんな人物が、私や白木さんたちにとって、顔を合わせて愉快な人物であるはずがない。
「懇親会の内容も再度見直した方がいいですね。女子執行委員は基本懇親会へは不参加、男子も当日の出席については任意として、理事会との折衝は僕が立ち会います」
たしかに、学生とはいえ、篠谷は学内でもトップクラスのお金持ちで、その分多額の寄付金を学園に納めている筈だ。理事会もおかしないちゃもんは付けづらいだろう。
「侑李君以外にも、その手の交渉に有利な人に、臨時で生徒会執行委員に入ってもらうのはどうかな?」
梧桐君がいい事思いついた、というようにスマホを掲げた。
「そんな人、いたかしら?」
「うん、この学園で一番お金と権力の使い方を知ってる人、だと思うんだよね」
ニコニコ笑いながらスマホをふりふりする梧桐君は愛嬌があって人畜無害の塊に見える。見えるだけである。
「多分、明日ぐらいには一回学校に来るだろうから、頼んでみるよ」
「そ、それじゃあ梧桐君にお願いしていいかしら」
「うん、その代り、その人にお礼をするときは葛城さんにも協力をお願いするね」
そりゃあお世話になったらお礼をするのは当然だ。
「ええ、それはもちろん?」
頷いていると、背後で檎宇と加賀谷が、
「ぅえ~~~。ビーバー先輩、ニンジンのぶら下げ方がエグイ……」
「あれで梧桐先輩、侑李先輩派なんですよね? 本当に侑李先輩を応援する気あるんでしょうか?」
というよくわからない会話をしていたが、気にしないことにした。
「それじゃあ、懇親会については改めて企画草案を各自練り直してきてもらうとして、見学会で参観してもらう授業の選定とスケジュールの組み立てを葛城さん、説明会の原稿草案を香川さんにお願いするよ。僕はちょっと職員室に行って、先生たちに協力要請をしてくるね」
梧桐君の鶴の一声でその日の作業の割り振りは決まった。
白木さんと錦木さんは名簿に触らなくていいよう、加賀谷君の会計部署で数字の取りまとめをお願いした。
「真梨さん、俺今日はちょっと帰ってもいいかな?」
「檎宇? どうかしたの?」
「ん~……ちょっと気になることがあってね~。実家に行って少し調べものしてくる」
檎宇の視線の先にはさっきまでパラパラと眺めていた来賓者名簿があった。
「実家で調べるような何かが、あの名簿に……?」
自然と声を潜めてしまう。檎宇の実家って……アレだよな……。
「似た名前ってだけかもしんないから、はっきりしたら話すよ」
「……わかった。私の方でもいろいろ調べてみる」
「それって、鵜飼センセー?」
檎宇は私と杏一郎の本当の関係を知っている為、こちらもひそひそ声で尋ねてきた。
「ええ、役員として表向きの活動には参加しないから、今回の見学会にも来ないことにはなってるけど、聞けばなにかは分かるかもしれないから」
「いいけど、あんまし近付きすぎんなよ」
「近付かないと話ができないでしょ」
人に見られないように気をつけなければいけないから、学内で会うのは難しいだろう。あとでメッセージを送って会う場所を決めよう。
そんなことを考えていたら、檎宇が身をかがめて耳元で囁いてきた。
「嫉妬、しちゃうから、だめ」
低い艶を帯びた声を、一言一言区切るように耳元で流し込まれて顔に熱が上がる。
思わずその場で檎宇から飛びのいて距離を取った。当の本人はしてやったりの顔でニヤニヤしている。
「真梨さんて、俺の声結構好きでしょ?」
そりゃ前世で推してた声優と同じ声だからね!
と言ったところで檎宇以外には通じないネタなので、やめておく。ついでに言うと声だけなら、篠谷の声が最推し声優が担当していたが、これも言わないこととする。
「馬鹿なこと言ってないで、調べものに行くのならとっとと行って、早く帰ってらっしゃい!」
「は~い」
檎宇は袖をひらひらと振りながら生徒会室を出ていった。
それを見送り、席に戻ると作業を再開する。
けれど、なかなか作業に集中できない。
ちらりと横目で名簿を見る。
「橡……か」
波乱含みの新学期が、目前に迫っていた。