表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/100

過去編 真梨香 1年の春 3

ブクマ、評価、ありがとうございます。読んでくださっている皆様方に最大級の感謝を申し上げます。m(_ _)m

 新入生歓迎パーティー当日。メイン会場となった中庭では立食用のテーブルが配置され、華やかに着飾った生徒たちが思い思いに自己紹介をしたり、語らったりしている。

見渡す限り、ドレス、ドレス、ドレス…。男子はスーツやモーニングコート。視界に入る限り、制服姿の人間はいない。


 自分自身を除いては。


 お母さん、時代は変わってしまったようです。制服でパーティーに来る生徒は絶滅してしまっておりました。心の中でそっと母親に報告すると、隣に立つ男子を振り返った。

 沢渡の気遣いにより橡から組み替えられた私のパートナーは私と同じ特待生の男子だった。衣装は一応スーツ。いかにも親兄弟からの借り物らしくサイズが合っていないのか、七五三のように見えなくもない。気が弱そうだが、会話の端々に思慮深さを感じる。

 私といるせいで、彼が居心地の悪い思いをするのは忍びない。この状況ならペアは解消して一人で行動した方がお互いの為だろう。


「えっと…梧桐あおぎり君、私といると、変に目立ってしまうだろうから別行動しない?」

「え? あ、いえ、気にしません。それよりどうして制服なんですか? 葛城かつらぎさんだったらドレス似合いそうなのに」

「そう? ありがとう。でもうちはドレスなんて持っていないし、桜花学園のOGだった母も制服姿の子が結構いたって言っていたから大丈夫かなって思ったんだけど…」


 まさか1人だとは思わなかった。梧桐君が気にしないでくれるようなので、そのまま何となく話をしながらテーブルの飲み物などを飲んでいると、後ろから一際華やかな気配と、居丈高な声が響いてきた。


「おい、そこの制服姿の女! 今日は授業の日じゃないぞ!! 日にちを間違えでもしたのか?!」


 声の主は振り返らずともわかったので、無視してテーブルの上の料理を取り分ける。梧桐君は私の後ろを見て目を見開いて固まっている。…やっぱり別行動の方が良かったかな。私は溜息をついてさりげなく彼から距離を取り、自分の皿の料理をつまんだ。今のところはまだペアだとは気づかれてはいないだろう。


「おい、聞こえていないのか?!」


 乱暴に肩に手がかけられ、仕方なく私は振り返って声の主を見上げた。予想した通り、そこには一之宮いちのみや石榴ざくろの険しくも整った顔があった。少し離れたところに先日図書館で遭遇した先輩と、そのほか複数の女生徒がいる。一之宮の取り巻きたちだろう。


「お前は…!!?」


 私の顔を見て、驚いた後、はっとしたように肩にかけた手を引っ込めた。どうやら前に勝手に触れて通報されかけたことを思い出したらしい。流石の私も肩に手をかけられたくらいでは通報したりしないけど。


「お久しぶりです。一之宮先輩。何か御用ですか?」

「お前のその格好は何だ?」

「まあ、先輩は自校の制服もご存じないんですか?」


 思いっきりかわいこぶった声を出し、小首をかしげて見せる。チープな挑発だが、効果は覿面だった。


「そんな訳があるか!!! なぜパーティーの席で制服なんぞを着ている?! ドレスはどうした?!」


 軽い挨拶代りのジョークなのにいちいち全力で打ち返さないでほしい。私は背筋を伸ばし、胸を張った。


「持っておりません」

「なんだと? パーティーには盛装をするようにと説明があっただろう。なぜ用意しない。仕立てが間に合わなかったのか?」

「間に合わないも何も、そもそも仕立ててなどおりません」


 私の答えに今までも十分に驚いていた一之宮の表情が更に信じられないものを見る目に変わる。


「なぜだ? ドレスの一着や二着、女ならパーティーの度に誂えるものだろう?」

「それは経済的に豊かなお宅のお嬢様のみの常識です。生憎と我が家は母子家庭の一般庶民ですので」


 見栄を張るつもりもないので、正直に言う。私は私自身の実力でこの学園に入ったので、恥じるところはない。


「ドレスも買えない程貧しいのか? 母親がいるなら家に着物の一着もあるだろう? 制服なんぞでパーティーに出るとはどういう了見だ?」


 パンがなければお菓子でもレベルの台詞を素で言うやつがいるとは思わなかった。作りなれた笑顔が引きつりそうになるが、堪えて一之宮の質問に問い返す。


「なぜです? 制服は冠婚葬祭どこにでも参加できる正装フォーマルですよ?」

「恥ずかしくないのか?」


 蔑むように言われて、カチンときた。やっぱりこの傲慢男には一度きっちり思い知らせてやらないといけない。


「恥ずかしい? 先輩は自らの母校となる桜花学園の制服が恥ずかしいと仰るのですか?!」

「え? いや、しかしここはパーティーの席で…」

「はい、新入生歓迎パーティーです。私は学力で以てこの学園に特待生として招かれたことを感謝し、誇りに思っています。その学園での記念すべき歓迎パーティーで、栄えある桜花学園の制服で参加することのどこに恥ずべき点があるのでしょうか? 先輩は2年生総代というお立場にありながら学園の歴史と伝統を背負う制服を蔑み、貶めるような発言をなさるのですか?!」


 前回の接触でも感じたことだが、このバカ殿は基本的に強気にまくし立てられると、弱い。テストなどの成績は上位にいるようだが、咄嗟の判断や臨機応変な対応には向いていないらしい。今も、私の早口に反論を挟めずにいる。


「いや、もちろん学園の伝統と歴史は重んじるべきものだが…」

「ご理解いただけたようで何よりです。それでは私がこの場に制服でいることに異論はないですね。御用が済まれましたらパートナーの方の処へお引き取り下さい。私も失礼させていただきます」


 適当なところで話を打ち切る。あまり長く口論しているのはマズい。既に周囲の注目を集めてしまっている。あんまり大事にするとまた粘着王子にお説教をされてしまうかもしれない。

 にっこり笑って一之宮に別れを告げ、その場を立ち去ろうとしたところで、拍手と共に現れた男に退路を断たれた。


「お見事な演説だね。石榴が丸め込まれるなんて大したものだよ」


 一之宮石榴と同じように数人の女生徒を取り巻きよろしく引き連れた男は人垣を抜け、私の目の前に来た。見上げるほどの長身に引き締まった体躯の持ち主だ。栗色の緩く癖のある髪を長く伸ばしていて、ハーフアップで頭の後ろで軽く結っている。たれ気味の流し目の眼元に黒子があり、甘い顔立ちにさらに色気を付加している。一見するとチャラチャラした雰囲気の遊び人風だ。


 吉嶺よしみね橘平きっぺい。一之宮石榴と並ぶ2年の双璧。桃香ももかの攻略対象。思わず睨みそうになる目を軽く伏せ、会釈をして横をすり抜けようとしたら、回り込まれた。


「まあまあ、そんなに急いで逃げないでよ」

「……先輩も何か御用ですか?」


 正直なところはさっさと逃げたい。良く言えば素直、悪く言えば単純な一之宮と違って、吉嶺は一筋縄ではいかない。人目も増えてきたし、これ以上騒ぎを大きくはしたくない。


「そうだな…。石榴を言い負かした勇敢な姫君に、俺からご褒美を、というのはどうかな? 」


 吉嶺はウィンクしながら気障なしぐさでポケットに挿していた百合の花を取り出す。

 ファンの女性ならば心を蕩かされるであろう甘い笑顔も私にはカエルが蛇に睨まれたらこんな心境だろうという感想しか抱けない。

 ゲーム中、こいつの攻略の厄介さに何度もゲーム機ごと壁に投げつけそうになった。

 こうだと思う選択肢を選べば何故か好感度下降を知らせる効果音が鳴り、捻くれた選択肢で好感度が上昇する。かと思えば次の選択肢では王道な答えを選ばないと正解しない。

 さんざんセーブとロードを繰り返し、なんとかベストエンドを見たものの、フルコンプの為に更にキーポイントとなる選択肢の答えを正しく外さないとすべてのルートを追えない仕様になっていて、選択肢ごとにセーブデータを作って試行錯誤を繰り返し、とうとう最後には自力フルコンプまでは他所の情報に頼らないという、それまでの自分の主義を覆して攻略本の世話にならざるを得なかった。

 あの時の敗北感ときたら、生まれ変わった今でも忘れられない。

 桃香とこいつのルートを回避する方法も今のところ「会わせない」以外の選択肢が思いつかない程だ。可能ならば私も会いたくなかった。


「……言い負かしただなんて人聞きの悪い。私の主義主張をご理解いただけるよう言葉を尽くさせていただいただけです」


 だから帰ってくれないか。言外に祈りを込めて返す。いっそのこと不正解選択肢で嫌われたら楽なのだが、好感度確認画面も効果音もない現実世界ではうかつなことを言っては、変に関わりが深くなる危険性がある。

 吉嶺の手にある花もうかつに頭などに飾られてはたまらないので、じりじりと後ずさって距離をとった。


「そうだ。俺は負かされてなんかいないぞ! 橘平、あくまでも寛大な心で貧しいものを見逃してやろうと思っただけだ!」


 バカ殿は黙っててくれないか。思わず睨み付ける。一之宮も、親友の登場で持ち直したのか、尊大な態度が戻っている。この状況で双璧二人相手にするのは不利だ。


「はい、見逃していただいたので私は失礼します」


 引き留められるよりも早く、私は吉嶺に背を向け、競歩の選手も真っ青のスピードでその場を後にした。


「1年D組葛城かつらぎ真梨香まりかちゃん、またね~!」


 背中からかけられた言葉にゾッとする。今の対面の間私は名乗っていない。1年生という事はわかっても、クラスと名前まで知っているというのはどういうわけだ?! あの男の事だから、学園中の女子のクラスと名前を把握しているとか言い出しそうで確認するのも恐ろしい。

 人垣をかき分ける瞬間、ちらりと後ろを振り返ってみるが、吉嶺は楽しそうに笑って手を振っていた。




 適当に人波をくぐり、喧騒から少し離れたところで立ち止まると、後ろから梧桐君が追いかけてきた。


「葛城さん、歩くの速いですね」

「梧桐君? あんなことの後だから、別行動するだろうと思ってたわ」

「一応、ペアですから。それに、さっきの葛城さん、かっこよかったです」


 まさか褒められるとは思っていなかった私は虚を突かれて随分間抜けな顔をしていたと思う。驚いてしばらく固まってしまった私に梧桐君は人懐っこいビーバーのような顔で微笑んだ。


「本当は僕が男で、エスコートしていたんですから、ちゃんと対応しないといけなかったんですけど、2年生の、すごく怖いって噂の先輩達で、腰が引けてしまって…。すみませんでした」


 頭を下げられて、焦る。いや、完全に私の方が一之宮に喧嘩売ってたわけだし、梧桐君が気にするようなことじゃないから。


「そんな、気にしないで。むしろ迷惑をかけたのは私の方だわ。私とペアだったせいで梧桐君まで何か言われたら…」

「大丈夫です。僕もさっきの葛城さんの意見に賛成です。特待生でお金がなくても僕は僕の実力でこの学校に招かれたんだって、すごく勇気づけられました。この学校って、内部生が特に幅を利かせていて、僕や葛城さんみたいな特待生や、外部入試で途中から入った生徒って、結構格下みたいに扱われてたっていうか…。でも今日からは負けない気持ちで学園生活が送れそうです。葛城さんのおかげです」


 キラキラした瞳でそんなことを言われ、少し胸が熱くなった。私の取った行動で、こんな風に感じてくれる人がいたことに素直に感動を覚える。同時に、これからはもう少し慎重に行動しよう。そう素直に思えた。


「…ありがとう。梧桐君」


 思わぬ事件のおかげで打ち解けた雰囲気になった。バカ殿のおかげとは思いたくないけど、良かった、かな。




 新入生歓迎パーティーは文字通り、上級生が新入生を歓迎する為のものなので、時折中庭奥に設けられたステージで上級生の吹奏楽部や演劇部、合唱部などが演技を披露したりもする。今は合唱部の歌声が中庭いっぱいに響き渡っている。

 音楽を聴きながら料理を楽しんでいると、柿崎かきざき由紀ゆきが上級生らしき男性と腕を組んでやってきた。鮮やかなスカイブルーのドレスはタイトなラインでひざ下からドレープを描いて広がっている。ガーデンパーティーなのでふくらはぎほどの丈だが背の高い由紀はモデルのように様になっている。


「やあ、さっきは素晴らしかったじゃないか。下手な余興よりずっと楽しませてもらったよ」

「由紀ったら。からかわないでちょうだい。目立ちすぎてしまったと反省しているのよこれでも。…ところでそちらは?」

「ああ、3年生の山茱萸さんしゅゆ和臣かずおみ、一応私の婚約者ってことになってる」

「初めまして。由紀から話を聞いてたけれど、先ほどの演説は見事だったよ」


 一応という割には二人の雰囲気は馴染んでいて、お似合いに見える。こうして話していても腕は組んだままなので、多分そういう事なのだろう。褒め言葉にも吉嶺のような含みを感じないので、素直に受け取れる。


「お恥ずかしいところをお見せしました。できれば忘れてください」

「いや、あの一之宮を言い負かしたのが1年生の女子、それも特待生の子だって聞いて、各学年の特待生や、一之宮に対立していた学生の間では今君がちょっとした英雄になりつつあるよ」


 山茱萸先輩の言葉に背中に冷汗がつたう。うん、やっぱりやりすぎだった。大いに反省しよう。


「次のパーティー行事から制服参加しようかなんてグループも出始めているそうだよ」

「私もドレスなんて柄じゃないから、次から制服にしようかなあ」

「そんな、由紀みたいな美人が着飾らないなんてもったいないわ!」


 慌てて止めたらなぜか爆笑されてしまった。


「真梨香ったら、君は自分の顔を鏡で見たことないのかい? もったいないというなら君の方こそもったいないだろう」

「そんなことないわよ。私のドレスなんて道化もいい処よ」

「自覚がないって罪だね。それじゃあ今後もパーティーには制服で出るの?」

「そうね。流石にあまり悪目立ちするようなら何か対策を考えなくちゃいけないけど、他にも制服の子が増えてくれるならありがたく紛れ込ませてもらおうかとは思うわ」


 来年までに制服姿が増えれば桃香も制服にすれば目立たずに済むかもしれない。正直桃香を着飾らせたいとは思うけど、経済的な事情ばかりはどうにもならない。それならいっそのこと姉妹で制服でお揃いの方がいいかもしれない。


「真梨香みたいに目立つ子はそう簡単には紛れ込めないと思うけどね」

「…どういう意味よ」


 女子にしては背が高いからか? 首をかしげているとさもおかしそうに笑われた。全く意味が分からない。しばらくそんな風に談笑していると、人波をかき分けるようにして、篠谷しのや沢渡さわたりが来るのが見えた。

 嫌な予感しかしない。せっかくパーティーの席で問題を起こさないようにとペアを変えてもらったのに、ペア以外のところで大問題を起こしちゃったからな。篠谷はともかく沢渡にはちゃんと謝らないと。

 神妙な気持ちで二人が来るのを待つ。篠谷はディレクターズスーツに瞳と同じ色のアスコットスカーフ、ポケットチーフも同じ色で揃えている。沢渡は爽やかなグリーンのアフタヌーンドレスに細やかな刺繍の入ったオフホワイトのショールを肩に巻いている。モデル雑誌から抜け出してきたかのような完璧な装いだった。

 軽く息を切らせながら目の前までやってきた二人、特に沢渡に向かって私はまず頭を下げた。


「ごめんなさい。せっかくペアを組みかえてもらったりしたのに、騒ぎを起こしてしまって…」


 私の謝罪に沢渡が大きな目が零れそうなほど丸く見開いて慌てて私の手を取ってきた。


「違いますわ。わたくしたちは怒ってなどおりません。心配で参りましたの。ねえ、侑李ゆうり

「…僕は少し怒ってます。昨日も言いましたけど、葛城さんは相手を怒らせるようにわざと振舞っているときがあるでしょう? 仮にも相手は先輩ですし、一之宮先輩は2年総代とはいえ、家柄やカリスマ性で3年の代議会議長を凌ぐと言われている人物です。代議会の実質的な最高権力者と言ってもいい相手です。変に禍根を残すと後が面倒ですよ」


 バカ殿がカリスマか…。逆に代議会大丈夫かと心配になるな。


「…制服を貶されたので頭に血が上りました。今後は気を付けます」


 ……多分だけど。

 殊勝な態度に出てみると、篠谷もちょっと口ごもり、「まあ、反省しているならいいですけど…。」ともごもご言いながらそっぽを向いた。それを見た沢渡はくすくすと笑っている。


「侑李ったら、葛城さんが制服で受付に来られたって聞いてからずっとそわそわしてましたのよ。上級生と諍いがあったと聞いた途端駆け出してしまって…」

花梨かりん、余計な事を言わないでください。僕は生徒会役員として、パーティーがつつがなく終わってほしいと思っているだけです」

「私たちはまだ1年生なのですから、今日まではお役目もありませんのにねえ?」

「沢渡さんの言うとおり、篠谷君は仕事熱心過ぎですよ。生徒会役員だからって一生徒の動向を気にする必要なんてないですよ」


 沢渡の言葉に乗って、篠谷のワーカーホリックを注意する。もう少し気を抜いてもいいんじゃないかな。そう言うと、なぜか沢渡と由紀、ついでに山茱萸先輩と梧桐君にまで驚いた顔で見つめられた。

 何故?

 篠谷は篠谷でこれまで以上に深々とため息をつかれた。え? 私何か悪いこと言った? そもそも迷惑をかけた人間が言っちゃダメだった? 戸惑っていると、由紀に肩を叩かれた。


「うん、真梨香は本当に面白いね」

「……意味はよくわからないけど、失礼なことを言われてる気がするわ」

「とりあえず、僕の過労を心配してくださるなら、葛城さんはあまりおかしなことをしないで下さいね」


 由紀に真意を追求しようとしたら篠谷に遮られた挙句、嫌味を言われた。おかしなことと言われるほど奇矯な真似をしたつもりはない。ただちょっと桜花の校風とはずれていたことは認めるけど。

 思わず氷点下の睨み合いに発展しそうになったが、沢渡がさりげなくとりなしてくれて、その場は収まった。


「葛城さん、他の方がどうあれ、わたくしは今日のあなたを素敵だと思いましたわ。今回の事で、生徒の間にある問題も見えてきました。やはり、生徒会にはあなたのような方が必要です。これからどうぞよろしくお願いいたしますわね」

「沢渡さん…私なんかでお力になれるのでしたら喜んで。こちらこそよろしくお願いします」


 差し出された手を私は躊躇なく握った。

 理由はよくわからないけれど、ゲームとは違う性格の沢渡花梨。私はこの時、このまま、彼女と友情を築くことができれば、桃香のフラグも回避できるのではないか、そんな期待を抱いていた。




 体力気力を使い果たすようなパーティーが終わり、帰り道、私は何故か沢渡家の車に揺られていた。揺られていたと言っても実際には殆ど振動を感じない。車の性能と運転手の方の技術の差だろう。内装は上品で落ち着いたモノトーン。後部座席が向かい合わせのボックスシートになっている。ひょっとしなくてもこれリムジンというやつだよね。

 私は向かい合わせに座った沢渡に今日何度目かの謝罪をしている。


「本当にすみません。何とお礼を申し上げてよいやら…」

「気になさらないで。葛城さんこそ、今日は大変でしたわね」


 彼女が座っている隣には私が着ていた制服が入った紙袋。私の今の服装はというと、体育用の短パンとジャージである。未使用でロッカーに置いてあったのだが、授業よりも先にこんなところで使うとは思わなかった。


 2年の双璧と対峙した後、私の主張に賛同してくれた特待生仲間や外部生、一部の内部生に声をたくさんかけられ、桜花の学生の間にある、内部生の中の多くの生徒と、外部生、特待生の間にある様々な軋轢について話を聞かせてもらった。沢渡の言うように、この問題は根が深く、解決には時間と人材が必要だ。私がこの生徒会で求めるものもこの問題解決の目的と手段の中にある。そう再確認し、自分のやるべき目標が見えた。

 生徒会で沢渡に協力し、学生間の軋轢解消に努める。外部生や特待生への差別がなくなれば、桃香も安心して過ごせる学校に一歩近づく。

 そうして、目標や人脈作りの手がかりを得て、浮かれていたのかもしれない。ちょっと気を抜いた隙に、双璧の取り巻きのお嬢様の接近を許してしまった。制服の肩からスカートにかけて、浴びせかけられたオレンジジュースは髪にもすこしかかってしまったのか、少しべたついて、今も柑橘の匂いがまとわりついている。パーティーも終わりかけだったのが幸いして、私は閉会式には出ずに、沢渡の協力のもと、着替えてこうして送ってもらっている。


「制服はわたくしのほうで専門の業者にクリーニングさせておきます。大丈夫、このくらいの染みでしたら綺麗に取れますから」

「何から何まですみません。クリーニング代はお支払いしますから」

「気になさらないで…と申し上げても気になさってしまうでしょうから、クリーニング代は後日お伝えします」


 あ、これは絶対値引きして伝えてくるパターンだ。


「いえ、業者の方の連絡先を教えていただければ自分で確認してお支払いしますので…」


 多分高いだろうけど、沢渡に支払わせるわけにはいかない。断固として主張すれば、沢渡は溜息をついて、業者の連絡先のメモをくれた。


「葛城さんは強情だと侑李が話していましたけれど、本当ですのね」

「篠谷君にそれを言われるのだけは納得できかねるんですが」


 篠谷にはこの早退については詳細を伏せてもらっている。沢渡が友人に頼んで疲れたから帰る旨と私と話がしたかったから連れて帰るという旨を篠谷に伝言してもらっている。

 あれだけ問題行動続きの私が更にこんな災難に見舞われたと知ったら、生徒会役員としての責任感が溢れすぎているあの男は胃に穴が開くかもしれない。表現はもっと柔らかいが、そんな趣旨の事を沢渡に言われ、私も制服を汚されたなどと知られたくもなかったので、沢渡の好意に甘えさせてもらうことにした。


「さ、もうすぐ葛城さんのお宅に着きます。でも本当にご家族にわたくしから説明しなくてよろしいんですの?」

「沢渡さんが悪いわけじゃないんですから、そこまでしていただかなくても大丈夫です。あ、でも家の前にこんな立派な車が止まったら近所の方に色々言われてしまうので、手前の通りで降ろしてください」


 心配してくれる沢渡に必死でお願いして、家から少し離れたところで車を降ろしてもらった。最後にもう一度沢渡にお礼を言う。


「沢渡さん、今日は本当にありがとうございました。これから自分が生徒会で何をすべきかも、今日見えた気がします。これからも沢渡さんの下で戦わせてください」


 沢渡が学生間の軋轢解消のために尽力するのなら、私はその剣になろう。そう宣言して手を差し出すと、なぜか一瞬沢渡が泣きそうに見えた。


「わたくしの方こそ、よろしくお願いいたしますわ」


 けれど、その表情はすぐに決意溢れる強い意志をたたえた瞳にかき消され、強く握手を交わした後、車のドアの向こうへ消えた。



 去っていくリムジンを見送ってから、家へ帰ると、母親が珍しく帰宅していた。私の格好を見て、すぐ何があったのか悟ったようだ。もしかすると母も在学中似たような目にあったことがあるのかもしれない。


「制服は?」

「同級生の子が、いいクリーニング業者を紹介してくれて…」

「そう。…予備を買っておいて正解だったわね」


 入学が決まって、制服を作るとき、母はちょっと無理をしてでも予備は作っておきなさいと夏冬ともに予備の制服を誂えさせた。今思えばその時からこういう日が来ることを考えていたのかもしれない。


「…で? 真梨香はどうする? どうしたい?」


 娘が学内でいじめを受けたと学校に訴えることもできるだろう。親として子供を守るために矢面に立つことも。でも母は私の意志を聞いてくれた。私はそんな母の言葉が嬉しくて、笑って答えた。


「当然、戦うわ」

「それでこそ私の娘よ。箱入りお嬢様に庶民の力を思い知らせてやりなさい」


 仁王立ちで鼓舞してくれる母は恰好よくて、私は改めてこの人の娘になれてよかったと思えた。



 その日の夜、就寝準備を整えていると、桃香が部屋に来た。


「お姉ちゃん、ちょっといい?」

「桃香? どうしたの?」


 母と相談して、桃香には今日学校であった事は教えないことにした。私は普通にパーティーに出席し、料理や出し物を楽しんで、梧桐君や沢渡と仲良くなったことだけを話している。


「今日、一緒に寝てもいい?」


 天使が脈絡なく殺し文句を放ってきた。私は思わず手に持っていた枕を床に落としてしまった。小さい頃はよく一緒に眠ったりしたけど、中学に上がってからはさすがにそれぞれ別の部屋で寝るようになっている。え? 何これ? 今日一日頑張った私へのご褒美??! 神様ありがとう?!!

 混乱する私をよそに、桃香はちょこちょこと歩み寄ってくると、私が落した枕を拾い上げ、ぽふっとしがみついてきた。柔らかくて甘い香りに脳内がオッサン化して危ない妄想が繰り広げられそうになる。


「…お姉ちゃん、今日学校で何かあったでしょ」


 お花畑だった脳が桃香の言葉で現実に帰る。見下ろすと、大きな黒い瞳がじとっとこちらを見上げている。ちょっと怒った顔も可愛い。…じゃなくて。


「…だからご飯の時も話したじゃない。パーティーで色んな事があったわよ」

「……それはいいことの方だけを話してくれてたんだよね。…話してくれてないこと、あるよね」


 ごまかそうとしたが、桃香は確信めいた表情で更に迫ってくる。


「……壁にかけてある制服、予備の方だよね。タグがまだ外されてない」


 しまった、と思ったが遅かった。私の表情で更に確信を得てしまった桃香が痛いほどの力で抱き付いてきた。桃香はおっとりとしていて控えめな性格だが、洞察力に優れている。ゲーム中のモノローグでも細かいところに気が付いている描写があり、この子の頭の良さを感じさせる表現が多々あった。

 着始めて間もない制服の予備を引っ張り出す羽目になるような出来事がパーティーであったのだと、気づかれてしまった。


「……大したことじゃないのよ。ちょっと…制服が汚れてしまったからクリーニングに出してるの」


 桃香の髪を撫で、細い肩を抱きしめてやる。サラサラの髪の手ざわりは絹糸のようで、細くて柔らかな体は、私の腕の中にすっぽりと収まる。少し高めの体温が、桃香が生きて、ここにいることを実感させてくれる。ゲームのキャラじゃない、生きた、私の妹。

 この子を守るために、学園を変える。特待生への差別の撤廃。一部の内部生の専横をやめさせる。そして何より、厄介な男どもをこの子に近づけさせない。

 改めて、私の中に戦う力が湧き出てくる。桃香を枕ごと抱きしめて、ベッドに倒れこんだ。互いの黒髪がシーツに波打って広がる。


「桃香が言うように、ちょっとだけ、嫌なこともあったけど、良いこともいっぱいあったのよ。友達も増えたし、学園でやりがいのある仕事も見つけた。だから桃香はお姉ちゃんの事応援して頂戴。そうしたら私は絶対に負けないでいられるから」

「応援、だけ? もっとお姉ちゃんの為にできることはないの?」


 瞳をうるうるさせて健気な事を言ってくれる天使をどうしてくれようか。私が男だったら完全に不埒な行動に出られてもおかしくないぞ。こんな健気でいじらしい台詞、絶対にあの男ども相手には言わせない。絶対に。


「そうね。時々こうやって愚痴とか聞いてくれる? 桃香が傍にいて、話を聞いてくれたらすごく癒されるから」


 もちろん攻略対象の男どもの話なんかはしないけど、時々こうやって姉妹で一緒に寝るイベントが貰えたらもうけものくらいのノリで言ってみたら、桃香が意外なほどあっさり承諾してくれた。


「うん! お姉ちゃんの学校の事、いっぱい聞かせて!」

「ええ。桃香の話も聞かせてくれるなら」

「私? お姉ちゃんがいなくて寂しいなあ、とか…」

「また可愛いことを言ってくれちゃって、そんな子はこうだ~!」

「きゃー! お姉ちゃん痛い! ギブギブ!!」


 結局その晩は、じゃれるだけじゃれあって、そのまま眠ってしまった。姉だから健全なじゃれあいで済んでるけど、これが兄だったら完全に禁断の何とやらに突入しちゃってると思う。桃香の無防備さが心配だ。

 朝になってそのことを注意したら、なぜか溜息をつかれた挙句、「私はお姉ちゃんの方が心配だよ」と言われた。解せない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
泽渡花梨が好きになったね
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ