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前回はたくさんの感想をありがとうございます。とても励みになってます。

「津南見……先輩……」


 胸の奥がざわざわとする。

 夏休み明けまでには心の準備をしておかなければとは思っていたけれど、いざ目の前に来られると、いかに自分の覚悟が決まっていなかったかを思い知らされる。

 真梨香ボクが親友になる筈だった男。

 真梨香わたしをゲームの中の彼女に引き戻してしまう危険性を持った男。

 自分の中で『私』と『ボク』の折り合いが上手くつけられずにいる今の状態で話すのはまだ怖い。

 『私』が『ボク』に引き摺られそうになる。


「今日は……ちょっと……後日、では」

「そう言ってまた逃げる気だろう」


 前回まさに約束した上で逃亡しているので当たり前だが全く信用がない。

 かといってこのまま廊下で押し問答していれば、他の生徒たちに不審に思われるだろうし、あらぬ噂になるかもしれない。

 いっそのことここから走って逃げようか、と考えていると、思わぬ方向から声をかけられた。


「葛城」


 低く、抑揚のない声に振り返ると、杏一郎が相変わらずの無表情で立っていた。

 正確にはいつも通りの無表情だが、なぜか威嚇するような剣呑とした空気を纏っている。

 怒っている……? でも私には杏一郎を怒らせるような心当たりはない。


「今日の講義で使う資料を運ぶのを手伝ってくれないか? ……どうかしたのか?」


 用件を切り出しながらちらりと視線が津南見へと向く。

 鋭い目つきに津南見が眉間にしわを寄せるのが見えたが、杏一郎の場合は素で目つきが悪いので睨んだように見えるだけで他意はないと思う。

 けれど今は、いかんせんタイミングが悪かった。

 津南見が割り込まれた苛立ちを隠そうともせず杏一郎へと向き直る。


「鵜飼先生、すみませんが葛城とは今俺が話をしています。手伝いならそこに居る……生徒会庶務に頼んでください」


 鋭い目つきで睨まれた梧桐君は困ったように眉尻を下げ、私と杏一郎を交互に見る。

 手伝うのは構わないけれど、私と津南見を置いていくのは心配、という様子だ。


「ああ、梧桐もいたな。ちょうどいい。二人とも来てくれ。人数は多い方が助かる。葛城も、来てくれるか?」


 今気づいたというように梧桐君に声をかける杏一郎は津南見の言葉を無視して再度私にも同行を促してくる。


「鵜飼先生!」

「その、話、とやらは学生が授業を蔑ろにしてでも優先すべきことなのか?」


 津南見の声に杏一郎が静かに、だが有無を言わせない表情で返す。

 ぐ、と言葉に詰まった津南見を置いて、杏一郎が私と梧桐君を再度促した。


「それじゃあ資料室まで一緒に来てくれ」




 資料室への道すがら、隣を歩く杏一郎になんと声をかけたものか悩む。

 多分だけれど、杏一郎は私が津南見に困らせられていると思って助け舟を出してくれたのだろうと思う。

 ただ、実際は津南見を困らせているのは私の方だ。

 津南見が歩むはずだったシナリオ通りの未来を、無理やり変更した。

 『ボク』が津南見と出会わなかったことも、その所為で彼の運命が色々変わってしまったことも、私が私の都合で勝手にやった事だ。そのくせ、そのことを津南見に打ち明けることもできないでいる。

 ゲームの世界の話や前世の記憶なんて、津南見に話しても信じては貰えないだろう。

 『私』が運命を捻じ曲げたことで、津南見は大事な親友を得る機会を失った。真梨香ボクの望んだ形ではなかったにせよ、津南見にとって真梨香が大事な親友、代えがたい相手だったことには違いない。

 もし今私が『ボク』になったとしても過ごすことができなかった時間が元通りになるわけじゃない。

 『ボク』は津南見の親友にはなり得ないし、『私』もまた、津南見に友情は抱けない。

 ゲームの中の真梨香が味わった絶望や悲嘆を知っている身としては、彼に恋情も抱く気にはなれない。

 ただ、重苦しい程の一方的な執着だけがある。

 彼をゲームの中の彼ではなくしたのは自分なのに、自分の思い描いた津南見とは変わっていく彼に勝手に困惑して、憤慨して、目を奪われている自分が許せない。

 津南見と話し合う以前に、私は私自身と折り合いをつけなくてはならないのだ。


「葛城、さっきの件だが」


 無言で歩いていたら杏一郎の方から切り出された。

 なんと話したものかと歩きながら傍らを見上げたら、鉄面皮の瞳の奥が揺らいでいるのが見えた。

 表情には出ていないが、心配をされていることが如実に伝わってくる。


「津南見から……その、強引に交際を迫られたりしているのか?」


 反対隣を歩いていた梧桐君が盛大に咽る。

 私もまさか杏一郎がそんなことを聞いてくるとは思っていなかったので、瞬きを数回する間、言葉の意味を真面目に考えたりしてしまっていた。


「それはないです。有り得ません。津南見先輩は……以前にちょっと私が迷惑をかけてしまって、それを怒っているんだと思います」

「怒っている……そんな風には見えなかったが」

「津南見先輩も目つきが少し悪いからよく誤解されるんですよ」

「津南見も……というのは、俺も、ということか?」

「あ、いえそんなつもりじゃ……」

「気にしていない。よくこう……栗山先生にも言われるからな。それより、津南見のあの様子だと、講義が終わった放課後にもやってくるんじゃないか? もし困っているなら……」

「放課後は三年生の方が授業が多い筈なので、先に帰るようにしますから大丈夫です」


 杏一郎に学生の本分は勉強と牽制されたこともあるし、授業を放り出してまでは来ないだろうと思う。


「……そうか、困ったことがあったらいつでも言いに来なさい」

「ありがとうございます。大丈夫です」

「梧桐も……相談があったら来るといい。確か二人は生徒会だったな。夏休み中は活動はないのか?」

「今は特にはないですね。新学期前に少し行事の準備が入るくらいで」

「そうか。あまり無理をしないようにな」


 そうこうしている内に資料室に着いた。

 咄嗟の言い訳かと思っていたら、実際に結構な量の資料があって、梧桐君と杏一郎、私の三人で手分けして持つことになった。

 杏一郎が私の三倍、梧桐君は私の倍の量を持っていたことに抗議したけれど、二人とも断固として譲らなかった。

 それぐらい持っていけるのに。


「それにしても、さっきは驚いたよ」


 夏期講習用の特別教室に着いて、席に着くと、斜め後ろに座った梧桐君がシャープペンをくるくる回しながら溜息を吐いた。


「ごめんなさいね。なんだか巻きこんじゃって」

「ああ、それはもう今更なんだけど」


 今更って言われた……。

 いや、本当に申し訳ないとは思ってますけど、はい。


「鵜飼先生があんなに喋るところ、初めて見たよ」

「そう? いつもあんなもんじゃないかしら?」


 たしかに無表情であまり喋る方ではないけれど、生徒と日常会話くらいはいくら杏一郎でもするだろう。


「授業以外でまともに会話してるところなんて初めて見たよ。っていうか、話しかけられてたの殆ど葛城さんだけで、僕は相槌くらいしか打ってないけど」

「それは……津南見先輩とのことを心配してくれてたからじゃないかしら? 声をかけられてたのが梧桐君だったらあなたの方に話しかけてたと思うわよ?」

「僕が津南見先輩に迫られてたら心配以前に事件だよ。……つまり、鵜飼先生は葛城さん相手だといつもああなんだ?」


 梧桐君のつぶらな瞳がキラーンと光った気がした。かなり鋭い彼のことだから、油断すると杏一郎との親戚関係がばれるのも時間の問題かもしれない。

 最悪、ばれたところで梧桐君なら口外はしないでくれるだろうけれど。


「どうしたものかな……津南見先輩のこともだけど、鵜飼先生か……。侑李くんに教えてあげたいけど、今メールしたら家族団欒をほっぽりだして帰国しちゃいそうだしなぁ……」


 梧桐君が一人でなにかブツブツ言っていたけれど、授業が始まると、静かになった。

 その日は授業が終わると杏一郎から『送って行かなくて大丈夫か』という過保護極まるメッセージが届いていたが、丁重にお断りして、桃香と二人で歩いて帰った。

 けれど、私は失念していた。

 津南見があのくらいで諦める男ではないということを。

 翌日から、朝の登校時、昼の休憩時間と、教室前で待ち伏せしてくる津南見と私の、校内鬼ごっこが始まってしまったのである。


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