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大変ご無沙汰しております。
更新再開、です。
こじんまりとした庭でボールがブロック塀に弾む音が響く。
濡れ縁に腰かけた父さんがニコニコと笑いながら外に飛ばさないように気をつけなさいと声をかけてくる。
「そんなことしないよー!」
「そういって先週お向かいのお宅に謝りに行く羽目になったのは誰だったかな?」
「う……。もうしないよ!」
先週は桃香にキッカー戦隊イレブンジャーのレッドストライカーの必殺シュートを見せてやろうとして強く蹴りすぎたんだ。
まだ小さい桃香はボクがかっこいい技を見せてあげると手を叩いて笑うから、ちょっと頑張りすぎちゃった。
今日は桃香は母さんと健診の為に病院に行ってる。
病気でもないのに病院に行くなんて変だよって母さんには言ったけど、病気の予防のためにも大事なんだって。
去年ボクも行ったらしいけど覚えてないや。
「ボクね、しょーらいはレッドストライカーになって父さんやももかをまもってあげるね~!」
「あれ? お母さんは? 守ってあげないの?」」
「母さんはつよいからボクといっしょにたたかうんだよ! 父さんはヒキコモリでペンよりおもいものはもてないモヤシだから、ももかといっしょにまもられてね!」
「これは参ったな。父さんも真梨香と一緒に戦いたいなぁ」
笑う父さんに、どうしよっかなぁってもったいぶってみせたりしていたら、庭に誰かが入ってきた。
黒くて襟の詰まった服を着た背の高い男の人だった。
見たことがない人だ。父さんは作家だから編集の人が時々こうやって来るけれど、新しい人かな。
長い前髪が顔の半分くらいを隠してて、どんな顔をしているのかわからない。
「……キョウ君」
父さんは一瞬驚いたような顔をして、すぐにいつも通りの優しい笑顔になった。
「……お茶でも飲んでいくかい?」
「……すみません、突然……」
少し掠れた声でぼそぼそと喋るその人が顔を巡らせてボクの方を見た。
表情はわからないけど、何となく頭の上に大きなハテナマークが浮かんでいるように見える。
「えっと……」
「ああ、娘の真梨香だよ。今年四歳だ。可愛いだろう?」
「むすっ……? え、いえ、そう、ですね。柚子さんそっくりですが、椿さんにも似ています」
「僕に? それは嬉しいな。会う人みんな真梨香は柚子さん似だって言うけど、僕にも似てるんだったら最高だね」
「不審そうに俺を見る目が椿さんが母を見る目によく似ています」
「それは……姉さんか……もう会うことはないけど元気にして……るんだろうね。君の様子を見る限り」
「……」
「縁を切った僕が言うことではないんだろうけど、キョウ君は一度あの家から離れて暮らしてみた方がいいと思う。爺さんか、大叔父さんあたりに話をしてみようか?」
「いえ、そこまでご迷惑はかけられません。……それに、もうすぐ留学することが決まりましたので」
「そうか。それなら、まあ。じゃあ今日は挨拶に?」
「はい。色々とお世話になりました」
父さんとキョウクンがよくわからない話をしている間、ボクはボールを抱いてぼんやりと二人を眺めていた。
編集さんではないらしいこのお兄さんはよくわからないけど父さんの知り合いで、仲良しらしいことは何となくわかった。
けれど、さっきから二人だけでボクにはわからない話ばっかりしている。
仲間外れにされたボクは頬っぺたを膨らませて父さんをジト目で睨んだ。
「父さん」
「ああ、真梨香、ごめんごめん。この子はね僕の………『お友達』で、キョウ君って言うんだ。ね、キョウ君」
ね、って言うところで父さんがキョウクンに目くばせをする。
何でかはわからなかったけど、それを見たキョウクンは頷いてボクに向き直ると、しゃがんでくれた。
目線が同じくらいになって、長い前髪の奥にうっすらと切れ長の目が見える。
「はじめまして。つば……きみの、お父さんとは、な、仲良く、させてもらっています。キョウ……と呼んで……ね」
ぎこちない言葉で、表情は見える部分が少ない上に全然笑っているようには見えなかったけど、キョウ君がとても喜んでいるのが分かった。
多分父さんが『友達』って言ったからなんだろうと思う。
この人も父さんの事がすごく好きなんだなって思うと、黒ずくめで怖い風のこのお兄さんのことが好きになれそうだと思った。
「キョウくん! ボクはかつらぎまりかよんさいです! キョウくんはレッドストライカーとブルーボランチはどっちが好きですか?!」
「え……? レッドすと……?」
「キョウ君ごめんね。真梨香が今ハマってる戦隊ヒーローの登場人物だよ」
「ああ……えっと……今度、見て、みる、ね」
「ほんと?! みたらどっちが好きになったかおしえてね!! そしたらね! いっしょにひっさつわざごっこしようね!!」
幼稚園の子たちはどっちかっていうと魔法プリンセスシリーズ派が多くて、ボクの戦隊ごっこに付き合ってくれる友達は少ない。
思わぬ隊員ゲットにボクは嬉しくなってキョウ君の周りではしゃぎまわった。
父さんがお茶を持ってくる間、戦隊ヒーローの話や、妹の話、幼稚園のかけっこで一番になった話、いっぱい、喋った。
キョウ君は顔は見えなかったけど、楽しそうに聞いてくれていた。
父さんが持ってきたお茶を一口飲んだキョウ君の手が止まる。
「父さんのおちゃ、にがくてまずいよね! ボク父さんは好きだけど、そのおちゃはのめないよ。キョウくんものまなくてもいいよ?」
あまりにもじっと固まっちゃってるから心配になって濡れ縁に座ったキョウ君の顔を覗き込む。
「だ……大丈夫、です。ちょっと、驚いた……だけで……」
そう言ってキョウ君はお茶をちびちびと舐めるように飲み始めたけど、その様子はどう見ても大丈夫じゃない。
一見ただ黙ってお茶をすすってるように見えるけど、雰囲気がしょんぼりしてるのがわかる。
父さんのお茶だから頑張って我慢して飲んでるのがまるわかりだった。
「キョウくん、ちょっと待ってて」
濡れ縁で靴を脱いでそのまま家に上がる。
行儀が悪くて叱られるかなと思ったけど、父さんは何も言わなかったので、そのまま手を洗ってから台所に走ってお目当ての物を持って戻る。
「はい、これ!」
「これ……は、蜂蜜……?」
「うん! これをたくさんいれて、あまくしたらのめるよ! あとね、こっちはね、きょうのおやつのさくらもち、ボクとはんぶんこね!」
小皿の上の薄桃色の餅と蜂蜜の瓶を交互に見て、キョウ君は戸惑うように父さんを見る。
「もらってやってくれるかい? 真梨香がおやつを分けるなんて、よっぽど君と出会えて嬉しかったんだろうから」
「俺……なんかと?」
「子供に目線を合わせてくれて、しっかりと話を聞いてくれる。キョウ君がいい子なのは真梨香にはちゃんとわかってるよ」
「……ありがとう……ございます」
そう言ったキョウ君の声が少し震えていたような気がしたけど、僕の頭を撫でながら桜餅を受け取ったキョウ君の口元は柔らかく微笑んでいたから、きっと聞き間違えたんだと思う。
蜂蜜たっぷりで甘くしたお茶と、桜餅を食べて、少ししたらキョウ君は父さんに何度も頭を下げて帰っていった。
「ねえ父さん、キョウくんまた来てくれるかな?」
「そうだねぇ、暫くは来られないかもしれないけど、いつかまた遊びに来てくれるよ」
「じゃあそれまでにボクレッドストライカージャンピングボレーかんこぴしてできるようになっておく!」
「……庭を壊さないようにね。あと、そうだ、真梨香」
「何? 父さん」
「今日、彼が来たこと、お母さんには内緒にしてくれるかな?」
「母さんに? 何で?」
「ちょっとね……お母さんと桃香が仲間外れにされたって怒るかもしれないから。僕と真梨香の秘密ってことで」
父さんとボクだけの秘密ってなんだかかっこいい響きに、ボクは深く考えることなく頷くと、父さんと指きりをして秘密を誓い合った。
「今度は母さんたちもいるときに遊びに来たらいいね!」
「……そうだね」
父さんの笑顔が、ちょっとだけ寂しそうに見えたのは、何でだったんだろう。
考えてもボクにはわからなくって、その日から休みの度にキョウ君が来ないかなってそわそわしたりしたけど、その日以来、キョウ君は来なくって、そのうちボクもその日のことは忘れてしまった。
女子高生の朝は早い。
洗顔歯磨き、朝ごはん、だけではなく、シャワーを浴びて、髪を整え、人によってはお化粧だってするだろう。
私や桃香は化粧まではしないけれど、それでも髪を整えたり、何かと身だしなみには時間がかかるのだ。
桃香に至っては部活動の朝練もあるのだから、更に早い。
私も自主鍛錬があるのでほぼ桃香と同じ時間に起きて仕度をする。
可愛い妹とできうる限り時間を共有したいという姉心でもある。
今朝は二人で朝食を作って一緒に食べている。至福の時間だ。ちなみに母は出勤まで時間があるためまだ起きてきていない。
「お姉ちゃん、今日から夏季特別講習だね。緊張するなぁ~。小テストで怒られる夢見ちゃったよ~。お姉ちゃんは?」
「私は……何か夢を見たような気がするけど、起きたら思い出せなくなってたのよね」
「あはは、よくあるよね、そういうこと。私もテストの問題と答えのところは夢で見たのに全然思い出せないもん」
「桃香はやればできる子だから大丈夫よ。それより桃香……」
桃香が夏季特別講習で出会うであろう古典の非常勤講師、鵜飼杏一郎は私と桃香の従兄でもあり、桃香の攻略対象でもある男だ。
発生条件の厳しい隠しルートの存在だけれど、なぜか何のフラグも立っていない筈なのに、桃香の夏季特別講習参加というルートフラグが立ってしまったのだ。
もし杏一郎ルートの通りにこのまま進んでしまうと、桃香は何も知らないまま杏一郎に惹かれ、猛アタックの末に恋を実らせ、秘密の恋人になるというストーリーになる。
その後烏森家とのいざこざや梅香伯母様の脅威と戦いながら絆を深めていくことになるんだけど……。
「その……古典の先生だけど……」
杏一郎には悪いけれど、梅香伯母様の異常性を考えると、桃香をあの人に会わせること自体避けなければという気持ちがわいてくる。
初対面の時に確か桃香は不思議な懐かしさを杏一郎に感じたってシナリオに書いてあったから、ネタバラシ覚悟で従兄であることを話しておこうかと思ったんだけれど、
「鵜飼先生? あんまり喋らないけど、授業はわかりやすくていい先生だよ」
「え……?」
「古典の先生が急病で代わりに授業しに来たことが何回かあって、苺ちゃんなんかはすごくきゃあきゃあ言ってたよ」
既に出会ってる……だと?
想定外のまさかに一瞬脳が混乱をきたす。
「桃香は……どう思った? 何か感じなかった? こう、懐かしさとか……」
うっかり自分から話を振ってしまった。
いやいや、自分からフラグ立てに行ってどうする。
顔ではニコニコと世間話を装いつつ、内心でわたわたしていると、桃香は何故か眉根を寄せて、可愛い顔をしかめた。
しかめた顔も可愛いな。いや、そうじゃなく。
「私は……好きじゃないな。何考えてるのかわからないし……あ、でも授業はわかりやすいし、ちゃんと受けるよ」
そういうと桃香は慌てたように皿を片付け始めた。
「ごめん! 変なこと言って。私朝練に出てから講習受けるから先に行くね!」
「あ、桃香……」
私はというと、桃香が、誰に対しても分け隔てなく優しい天使のような桃香が人を嫌厭するようなことを言うなんて、と呆然としていた。
「いったい何で……講習前に出会いイベント終わってるし、どうなってるの……?」
そんなことを考えて悶々としていたら危うく遅刻しそうになった。
夏季特別講習は1学期の成績で受講を勧められる者以外にも希望すればだれでも受けることができる。
私も希望を出して、今年は全科目受けることにした。
夏休み明けのテストで篠谷を抑え、できれば梧桐君にも勝ちたいと目論んでいるのだ。
「おはよう葛城さん」
「出たなライバル」
「え?」
愛嬌のあるキョトン顔で挨拶してきたのは特待生の中でも学年一位の梧桐宗太くんだ。
彼も今回の講習は全科目受講するらしい。
「家だと兄弟多くてうるさくて集中できないからね。ところで侑李くんからの絵葉書届いた?」
「ええ、メールじゃなくて葉書でって言うのが不思議な感じだけれど嬉しいわね」
篠谷は家族でフランスのお爺様のところへ旅行に行っているらしい。
エアメールで届けられた葉書には南フランスの可愛らしい街並みと、以前お会いしたことがある好々爺の姿が写っていた。
「フランスかぁ、いつか行ってみたいわね」
「侑李くんの頑張り次第かなぁ。それは」
「私が自分でフランス旅行するお金を貯めるのに篠谷君は関係ないんじゃないかしら?」
「……そうだね。うん、そうかもね。侑李くん、頑張ってほしいなぁ」
梧桐君と篠谷は随分と仲良くなって、最近では互いに下の名前で呼び合っている。
時々檎宇も加わって、私たち女子には話せないような話もしているらしい。
かといって、檎宇ならともかく、篠谷君が普通の男子高校生のように猥談に興じている姿は想像がつかないから、何の話をしているのかはさっぱりわからないんだけど。
「檎宇くんも講習うけるんだって言ってたし、これは侑李くん不利だよねぇ」
「篠谷君と檎宇は学年違うからテストの成績で競っても仕方ないんじゃないかしら?」
私が言うと梧桐君はちょっと鼻で笑ってふ~っと溜息を吐いた。
何かおかしなことを言っただろうか。
「何でもないよ。それより、今日……」
「葛城」
会話の途中に切り込むように声を掛けられ、思わず立ち竦んだ。
そう言えば学園に出てきたら彼に会うだろうということを忘れていた。
朝練の終わりにそのまま走ってきたのか、道着姿で、息を切らせていたのは、津南見柑治だった。
「話しがある。ちょっと、いいか?」
許可を求める口調だが、その瞳には「絶対に逃がさない」と書いてあった。
ゆっくりペースで頑張っていきます。