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大変ご無沙汰しておりました。
申し訳ございません。
「それでは桃香の全国大会三位入賞を祝って、カンパーイ!」
お母さんの音頭に従って、3つのグラスがカチンと合わせられる。
テーブルの上には桃香の好物が並び、食後にはケーキも用意されている。
「桃香おめでとう。お母さん鼻が高いわ」
「お母さんったら……でもありがと」
一人だけビールのお母さんは一杯目からもう酔っているのか、頬が少し赤い。対する桃香は照れくさそうにはにかんでいてとても可愛い。
「最後まで応援できなくてごめんなさいね」
桃香の試合結果はゲームの中と変わらない3位入賞。特待生とはいえ1年の個人戦成績としては文句なしに素晴らしいものだと思う。
できることならこの目でその雄姿を見たかったけれど……。
「お姉ちゃんはあんな遠くまで来て予選ブロックずっと見ててくれたでしょ。だから私も決勝ブロックまで頑張れたんだし、お姉ちゃんが無事に帰って待っててくれたから大丈夫だよ」
そう言ってくれる桃香が天使に見える。いや、私にとっては元々天使なんだけど。
感極まって思わず小柄なその身体を抱きしめてしまった。
「来年こそは全試合応援するからね!!」
「じゃあ来年は優勝目指して頑張っちゃうね!!」
ぎゅうっと抱き返してくる桃香のいじらしさに胸をきゅんとさせていたら、横から呆れたような溜息を吐かれた。
「あんたたち、姉妹仲がいいのは結構だけど、お年頃なんだから抱きしめ合う恋のお相手とかいないの?」
「お母さんってば余計なお世話だよーだ。私は剣道が今青春なのー!」
「あら、私が高1の夏にはもう椿さんとそれはもうラブラブだったわよ。夏休みもいっぱいデートしたりしてたっていうのに、桃香も真梨香も部活だなんだって、遊びに行くのもお友達グループでって、いくら何でも健全すぎじゃない?」
「娘が健全な友達付き合いしてるのに残念がらないでよ」
桃香と一緒になって反論するも、お母さんはうっとりと思い出モードに入って高校時代のお父さんとのラブラブデートの思い出を語り始めた。
こうなると長い。
「桃香、おかず取り分けてあげる。何がいい?」
「ん~じゃあコロッケ! お姉ちゃんのコロッケ美味しいから大好き!」
「はい、それじゃあほうれん草のソテーも一緒に食べるといいわよ」
「は~い!」
「椿さんと見た夜の海はそりゃもうロマンチックでね……月明かりの中でいつまでも見つめ合ったりしてたのよ~」
延々話し続けるお母さんをよそに、桃香と私はごちそうを堪能したのだった。
「そうだ、お姉ちゃん、後でちょっといいかな? 話があるんだけど」
「……ええ、分かったわ。お風呂あがったら桃香の部屋に行くわね」
先にお風呂から上がった桃香に言われて、内心来たか、と思いつつ笑顔で応じる。
桃香の話は多分遠征先でのことだろう。
あんなふうに試合会場から逃げ出して帰ってきてしまったのだ。聡い桃香の事だから何かあったと気付かれている。
もしくは津南見が何か言ったかもしれない。
何を言われるのか、何と答えるのか、そんな事を考えながら湯船につかる。
ぼんやりと縁に頭を乗せて天井を見上げた。
「津南見は……何を話そうとしていたんだろう……」
勝ったらどうとか言っていたけど、ゲームの通りなら津南見は決勝で負けている筈だ。ましてやあの怪我だ。勝てたとは思えない。
あの夜のこと、遠征先で見た夢のこと、檎宇の言葉が頭の中でぐるぐると回る。
「真梨香は……どうしたらいい……?」
考えてたらのぼせそうになったので、一旦考えるのをやめてお風呂を出た。
脱衣所の鏡に映るセミロングの自分の姿。何度もこうして自分が自分であることを確認して来たけれど……。
「キミは……わたしなの? それとも……」
指先で触れた鏡面は冷たくて、何も答えなど返ってこない。
「……っくしゅ!」
夏場とはいえ湯冷めしたらよくない。慌てて身体を拭くと、用意しておいたパジャマに身を包んだ。
「桃香、はいるわよ」
ノックして声をかけると中から「いいよー」と返事があった。
声の調子からすると機嫌が悪いわけではなさそうで、予期していたお説教ルートではないのだろうかと首を傾げつつ、ドアノブを回した。
部屋の中に入ると、淡いピンクで統一された室内で、桃香が床にクッションを置いて座っていた。
その正面にも同じようにクッションが置いてあるので、そこに座れということだろうと腰を下ろす。
「桃香? 話ってなあに?」
「あのね、お姉ちゃん。まずはこれを見て欲しいんだけど……」
そう言って桃香が取り出したのは一枚の賞状だった。
桃香が今回の試合で貰ったものかと覗きこんだ私の目に飛び込んできたのは『優勝』の文字とそこに並ぶように記された『津南見柑治』の名前だった。
「津南見先輩に渡されたの。絶対にこれをお姉ちゃんに渡して欲しいって」
「な……何で……」
「こんな大事なもの人にあげちゃ駄目ですって言ったんだけど、『預けるだけだ。見せたら姉の方から返しに来いと伝えろ。言えばわかるはずだ』って言われたんだけど、お姉ちゃん意味わかる?」
桃香の言葉に応えることもできず食い入るように賞状を見つめる。
津南見はゲームのシナリオでは優勝ではなく準優勝だった筈だ。ましてや怪我を負っていたのだ。だというのに、目の前にあるのは彼が最後まで勝ち抜いたという証明。
頭の中で負けないと語っていた津南見の顔が、ゲームの中で負けて泣いていた津南見の顔が、夢の中で見た震える背中が浮かんでは消えていく。
「お姉ちゃん……?! 泣いてるの?!!」
「……え?」
桃香の驚いたような声で賞状から顔を上げた途端、ぽたりと落ちた雫が膝で弾けた。
一粒零れたのを皮切りに涙は後から後から零れ落ちてくる。
「あれ……? 何で……?」
津南見が勝ったことが嬉しい……? そんな筈はない。津南見はただの学園の先輩で、昔知らないところでちょっと助けられただけの、ただの知り合い。
私の所為で怪我をしていたから無事で安心したのかもしれない……きっとそうだ……それに勝ったのなら負けて落ち込む津南見を桃香が励ますイベントも起こらない。だからだ。きっと、それだけのことだ。
心の中でそう言ってみるけれど、涙は止まらない。賞状が濡れてしまわないように離して持ちながら、桃香が差し出してきたティッシュを受け取って涙を拭う。
「ごめ……なんでだろ……変……だよね?」
「お姉ちゃん……」
「津南見先輩が勝とうが負けようが……私には何も……関係がない筈なのに……」
「お姉ちゃんは……先輩が怪我をしていたの気づいてたんだよね?」
桃香の言葉に、ゆるゆると頷く。
津南見は優勝が決まって最後の礼をした後で、その場で崩れ落ち、異常に気付いた木通先輩が病院へ連れて行ったらしい。幸い悪化の度合いは低く、暫くリハビリすれば元通り復帰もできるそうだ。
ちなみに、決勝戦が終わるまで部員の誰一人津南見の怪我には気づかなかったそうだ。
「でもお姉ちゃんは気づいてた。……気づいて、津南見先輩の出場を止めようとした」
「……結局、止められなかったけど。余計なお世話だったのかもしれないわね」
真梨香という親友がいなくても、桃香と恋をしていてもしていなくても、津南見は1人で運命を塗り替えてしまった。
むしろ真梨香と親友にならずに済んだからこそ、悲惨な運命を逃れたのかもしれない。
で、あるならば。
「……この賞状は桃香から先輩に返しておいて。先輩には約束を破ってごめんなさいと伝えて頂戴」
「お姉ちゃん……津南見先輩と何があったの?」
心配そうな桃香の顔に胸が痛む。
話せないでいることが桃香に余計に心配をかけるのだと、体育祭の時に思い知った筈なのに、私はまた同じことを繰り返してる。
「何も……無かった筈なの。本当に」
出会うはずの過去を歪めて、重なる筈の道を捻じ曲げた。それで何もなくなるはずだったのに。
出会わなかった筈の親友、抱くはずの無かった恋心。
生まれることなく消えたはずの想いが、影のように付きまとってくるのだ。
「ねえ、桃香。私ね……津南見先輩が嫌いなの」
「えっと……お姉ちゃん?」
目を丸くして首をかしげる桃香は文句なしに可愛い。
桃香の事は心の底から大好きだと言える。暖かくて、柔らかな、優しい気持ち。
津南見への、昏くて、冷たくて、ドロドロとした感情とは違う。
「ほんとに、本当に、すっごく、とっても、この上なく、あの男が嫌いなの。堅物で女嫌いで、無茶ばかりして、嫌なタイミングで人が弱ってるところにばかりずけずけ踏み込んでくるの、ほんっと嫌い」
「お姉ちゃん……それは……」
桃香が困惑気味に言いかけるのを手で制する。
自分でもなんて説得力のない言葉だろうと思う。それでも私は本気でそう思っていたのだ。
嫌いだと言って、嫌なところをあげつらっていればそれはきっと本心になると。
そう自分に言い聞かせながら、檎宇の言うとおり、ずっと、前世の記憶が戻ってからずっと、津南見の事を考えていたのだ。
練習試合をサボって出会いを回避した日、津南見は誰と勝負して、勝ったのだろうか、負けたのだろうか。
短かった髪が伸びて、結べるようになった時、これならば津南見も男とは間違えないだろうとか。
中学の剣道の試合会場で、遭遇しないように居場所を確認したり。
ゲームの津南見を思い出しては粗を探して、現実の津南見に当てはめようとして。
桜花学園に入ってからもずっと……。
「嫌いなままで、いたいの。だから、これは桃香から先輩に返して頂戴。お願い」
「お姉ちゃん…………」
丸めた賞状をそっと桃香の手に握らせる。
「面倒な事を頼んでごめんなさい」
「そんなことは……でも、お姉ちゃん、津南見先輩は、多分……」
「うん……桃香の思ってる通りかもしれない。ならなおのこと、近づきたくない。近づけない」
桃香が可愛い顔に似合わない険しい表情を浮かべる。
私の津南見への対応は褒められたものではない。先輩に対して無礼千万だし、怪我をさせて、心配をかけて挙句に嘘をついて逃げ出した人間の取るべき態度じゃない。
正義感の強い桃香にしてみれば、そんな姉を窘めるべきか迷いも生じるだろう。
「……今回は、お姉ちゃんの言うとおりにする。……今のお姉ちゃんには時間とか、色々必要なんだと思う。でも」
顔を上げて真っ直ぐにこちらを見上げてきた桃香は、凛として、強い、ゲームでも私が一番好きだった表情を浮かべていた。
「気持ちの整理がついたら、ちゃんと津南見先輩と話し合って。いつになってもいいから。じゃなきゃ、後悔するのはお姉ちゃんだと思うから」
「桃香……。ええ、いつか」
桃香ならそういうだろう。思っていた通りの言葉に自然と口元がほころんだ。
そうして私は妹にまた嘘を吐いた。
電子版が多少売れているらしく、今年も確定申告してきました(微々たる金額ですが)
ご購入いただいてる方は本当にありがとうございます。
皆様のおかげで今日もおやつが食べれます。