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閑話的な
夏休みを目前に控え、学園全体が緩やかモードに突入した7月初旬、私は放課後の生徒会室で頭を抱えていた。
「うっかりしていたわ……」
目の前には夏休みに実施される夏季特別集中講座の日程表。
桜花学園では毎年夏休みに2週間の特別集中講座が開かれる。基本的には希望者が受講対象だが、1学期の成績が不振だったものには受講を勧めるプリントが配られるのだ。そして目の前のプリント、これは私のものではない。
昨晩桃香が担任の栗山先生に渡されたと涙目で持ってきたのだ。大きな目を潤ませて縋るように見つめてくる桃香はものすごく可愛かった……ではなくて。
問題は、今回の期末試験で、桃香は古文と世界史の点数が惜しいところでで平均を下回ってしまったのだ。そうして、この集中講座への案内プリントを受け取ることになってしまったのだが……。
「部活の公欠で受けられなかった小テストの補てんもこの講座でやるっていうし……講座の内容自体はしっかりしてるからいいんだけど……」
プリントには記載はないが、おそらく桃香の古文の講座を受け持つのは非常勤講師の鵜飼杏一郎だ。
「隠しルートだから開かないんじゃないかと期待してたんだけどなぁ……」
ゲームの「花の鎖~桜花学園奇譚~」に於ける鵜飼杏一郎の役回りは隠しルートでの桃香の攻略対象。彼のルートは他の攻略キャラのハッピーエンドを全員分見た後最初からプレイし直すことで分岐が発生する仕様になっていた。
だから普通に桃香が誰の好感度も上げずにいても、杏一郎ルートは開かない、そう思い込んでいたのだ。
けれど現実は目の前に。桃香は集中講座を受けることになり、そこで杏一郎と出会ってしまう。
「いっそのこと先に杏一郎の正体を教えてしまう……? いやでも……」
杏一郎が本名を烏森杏一郎で、私たちの従兄だと知った場合、桃香はどうするだろう……? 父の葬儀の時、桃香はまだ小さくて、梅香おばさまの強烈な言動が恐怖だったのか、あの日の前後の事は覚えていないようだし、普通に従兄として仲良くしようとするだろうか……それとも……。
考え事をしていた所為か、背後に近付く気配に気づくことができなかった。
「ま・り・さぁ~ん!! ね、ね、夏休みの予定ってもう埋まった? 俺海行きたいなぁ~~~!!」
ずっしりと背中に圧し掛かってくる重みと底抜けに明るい声に、持っていたプリントを丸めて裏拳の代わりに顔面にお見舞いしてやる。ぽこんと軽い音が響いた。
「行ったらいいじゃない。気を付けてね」
「いやいや、この場合どう考えても『一緒にいこ』っていう誘い文句だよね? 文脈的に! ねぇ~! 行こうよ~~~!!」
背中に抱き付いたままぐりぐりと頭を押しつけて強請ってくる小林檎宇。猫みたいだが、生憎と猫ほど可愛くはない。なんせ身長190近い大柄な男子である。今度こそ本当に裏拳を叩きこむか、と構えた時、背中から重みが消えた。と同時に檎宇の悲鳴が聞こえてくる。
「ちょっ! 痛い痛い!! カイチョー襟首締まってる!! 死ぬ!!」
「普通に声が出てるんですから言うほど締まってはいないでしょう。それよりも女性にそのように圧し掛かるものではないと何度言ったら分かるんですか?」
背後から檎宇を引き摺るようにして篠谷が現れた。私の手のプリントを見て、眉を顰める。
「……真梨香さん、よもや特待生ともあろう方が……?」
「違うわよ。……妹が、ちょっとね……」
桃香の名誉のために言わせてもらえば、あの子は決して頭が悪い子ではない。自分で考える力も持っているし、洞察力も優れている。ただ、古文や世界史といった暗記科目は苦手なのだ。
私も自分の勉強の傍ら、桃香の勉強を見るようにはしていたんだけれど、期末前は色々とあってあまり面倒を見てあげられなかった。その所為でこの結果になったのだとしたら責任を感じてしまう。
「そもそも、私の成績なんて、この前貼り出されていたんだからよくご存じなんじゃないかしら? 学年次席サマ?」
「ああ、そうでしたね。確か僕の隣にあなたの名前がありましたね? 学年3位、素晴らしい事です」
嫌味を込めて言ったのに、笑顔で返された。く……悔しい……。各学年の定期テスト上位者は廊下に順位が貼り出されるのだが、今回私は篠谷に僅差で敗れたのだ。中間テストの時は勝っていたのに……。
「ライバルが優秀だと僕も勉強にやりがいが出ます。良い事ですね」
「2学期にはそんな余裕の台詞は言えなくさせてあげるわ」
「ええ、頑張ってください」
くぅ~~~。勝負がついてしまっている所為か、何を言っても負け犬の遠吠え感がする。
二人で睨みあっていると、庶務の梧桐くんが生徒会室へ入ってきた。その手には夏季集中講座の申し込み表。
「あれ~? ビーバー先輩学年首席じゃん。夏季講座とか必要なくね?」
檎宇が目ざとく見つけて余らせている袖をパタパタと振る。ちなみに檎宇は1年の学年首席だ。見た目は不真面目で、勉強しているようにはとても見えないのだが、桃香や同学年で生徒会会計の加賀谷くん曰く、学習態度はまじめなんだそうだ。
「ああ、家だと弟たちがうるさくてあまり勉強できないから、自習ついでにと思って。学園なら空調も効いてて涼しいしね」
梧桐君の言葉にはっとする。そう言えば、集中講座は成績不振者には案内がくるが、案内が来なくても希望者は受講が可能なのだ。桃香が講座に参加するのなら、私も参加して、休憩時間や終了後に桃香の傍に居るようにすれば、杏一郎ルートのフラグをいち早く察知して回避できるんじゃないだろうか。
「梧桐君の言うことも最もだわ。桃香も参加するんだし、私も申し込んでおこうかしら」
「ええ~~~!? 俺と海はぁ~~~!!?」
檎宇が頬を膨らませて地団太を踏む。駄々っ子かお前は。
「そもそも行くなんて言ってないでしょ」
「ちょっとビーバー先輩日程表見せて。夏季講座ってお盆の後? じゃあ前半余裕あるじゃん。ね~海行こうよ~~~!」
「でも前半は桃香の部活の大会応援に行くからそんなに暇な日ってないのよ」
「一日くらいどうにかなるでしょ? 桃ちゃんの大会も毎日やってるわけじゃないんだし、折角の夏休みなんだし、夏らしいこともしようよ~!」
夏らしい、ねぇ……確かに夏はイベントがいっぱいでめまぐるしい。ゲームの中の話だが。
ゲームの中で桃香は部活の遠征や夏の全国大会に向けての試合日程が立て込んでいる中、海イベントや夏祭り、攻略キャラとのデートイベントなどが差し挟まれるため、夏休み中ほぼ休みなしの様な事になっていた。
ゲームの世界って意外とブラック。
とはいえ、今のところ桃香に特定の相手ができた様子はない。まあ、誰とも好感度が上がっていないからこそ杏一郎ルートが開いてしまった可能性は否めないが、この分なら部活と夏季講座を乗り切れば後はゆっくりと過ごせそうだし、桃香とどこかに遊びに行くのもいいかもしれない。それこそ海だったら、桃香の水着姿が見られるわけで……。
「そうねぇ……」
ゲームでは桃香メインの水着スチルなんてなかったからなぁ……浴衣も野郎どもばっかりフォーカス当てやがって……まあその分今生では毎年桃香の浴衣姿は独占してるし、水着姿だって何度も見ている。去年まではスクール水着で市民プールだったけど。
「今年は海、行こうかしら」
「え?! マジで!?? やったぁ!!」
ガッツポーズで飛び跳ねる檎宇に、そういえば誘われていたんだっけと思い出す。今さら桃香と二人で遊びに行こうと思っていたなどと言うのはかわいそうなはしゃぎっぷりだ。こうなったら苺ちゃんや香川さん、白木さんたちや由紀を誘って大人数で行くか。
そんなことを考えていたら、肩にぽんと手を置かれた。
「楽しそうなところ申し訳ありませんが、そろそろミーティングを始めてもよろしいですか?」
美貌の生徒会長さまが夏の暑さも吹き飛ばす冷気を背負って微笑んでいらっしゃった。檎宇は、と見れば、そそくさと資料室へと消える背中が見えた。くそー、裏切り者―!
その日の帰り、部活が終わった桃香と合流して一緒に帰ることになった。
体育祭以降、かなり頻繁にこうして2人で帰ることが増えている。桃香はその日に部活であったことやクラスであったことを話してくれるし、私もクラスで由紀と話した事や生徒会であった事なんかを話す。
「そういえば、桃香、夏休み最初の遠征から戻ったら部活お休みがあるでしょ? みんなで海に行かない?」
「行きたい!! みんなって、茱萸ちゃんや苺ちゃんも誘っていいんだよね!? 嘉穂ちゃんもいるし、楽しみだね!!」
「そうね。それじゃあ次の休みには久々に買い物に行きましょうか? 遠征に入用なものもあるし、水着も買わなくちゃね」
「うん! 可愛いの選ぶね!!」
目をキラキラさせて喜ぶ桃香が可愛くて可愛くて、丸っこい頭を撫でる。桃香に似合う可愛い水着をネットで調べておこう。そんなことを決意していた私は、桃香の目が鋭くこちらを見上げていたことに気づかずにいた。
姉妹の水着が見たい。|д゜)