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この度「乙女ゲームの世界でヒロインの姉としてフラグを折っています。」が書籍化し発売中です。WEB版とはほんのり違う感じになっておりますが、よろしくお願いします。

「この人殺し! お前が椿を殺したのよ! お前が死ねばよかったのに!! 死ね!! 死んで椿を返しなさい!!!」


 金切声を上げて手当たり次第にそこらの物を投げつけてくる女性を、ぼんやりと見つめる。整った顔立ちなのに、憎悪と殺意に歪んだその顔は、般若のお面にとても似ていた。

 ガシャンと耳元で何かが割れる音がして、降り注いだ破片が耳朶を切り付けた感触がしたが、不思議と痛みは感じなかった。

 ゆるゆると顔を上げれば、黒い服の人がいっぱいいるのが見えた。一様に怯えた表情をしている。その視線が自分の方へと向けられているのは、私が目の前の女性、梅香おばさまの言う通り、『ヒトゴロシ』だからなのかもしれない。

 お母さんも、桃香も違うって言っていたけれど、私はそうは思えなかったから。

 私はお父さんが死ぬことを知っていて、助けられなかった。それどころか、私自身がお父さんの死の原因になってしまった。

 なぜあの時諭されるままに学校へ行ったりなんかしたんだろう。仮病でも嘘つきでも、お父さんに呆れられて、嫌われたとしても、あの時登校を拒否していれば……。


「ごめん……なさ……」


 自分のものではないかのように重たく感じる体を動かして、梅香おばさまの足元へ額を擦りつける。視界に映った畳の上にぽたぽたと真っ赤な雫が滴るのが見えた。掃除が大変だ、とそんなことを考える。

 伯母様の足が持ち上がるのが見えて、踏まれるか蹴られるかするんだろうかなんて他人事のように考えていたら、ぐいっと引っ張られて、温かいものに包まれた。


「子供相手になんてことをするのよ!!」

「おかあ……さん……?」

「真梨香も! 謝る必要なんてない。あれは事故だったの! 椿さんは……お父さんはあんたを守ったのよ! あんたの所為じゃないの!!」


 どくどくと、お母さんの心臓の音が聞こえる。怒っているからだろうか、その音はいつもより早くて、自分の心臓がとくん、とくんとやけに静まって聞こえるのがおかしかった。

 お母さんはこんなに怒っているのに、お父さんの心臓はもう音を鳴らしてくれないのに、どうして自分の心音はこんなにも静かで、落ち着いているんだろう。自分はこんなにも冷たい人間だったのだろうか。

 おばさまの言う通り、人殺しの人でなしだからなんだろうか。


「もとはと言えばお前なんかが椿をうちから連れ出したからこんなことになったのよ! お前と結婚なんてしなければ椿がこんな悪魔のような娘の父親にならずに、もちろん死にもせずに済んだのよ!! この疫病神!!!」


 おばさまの怒りの矛先がお母さんに向いたのが分かって、強く抱きしめてくる腕を叩いてもがく。このままではお母さんまで怪我をしてしまう。いや、もうしているだろう。見上げた母の額から血が流れ落ちるのが見えてゾッとする。


「おかあさ……離して……私が……私がわる……」

「いやよ! 椿さんが全力で守り切ったアンタを、お母さんである私が守れなくてどうするの!」


 お母さんがそう叫んだとき、断続的に響いていた破砕音がやんだ。それでも私を庇うように抱き込んだままのお母さんの肩越しに、こちらを見下ろしている梅香おばさまが見えた。

 ねっとりと絡みつくような視線に、さっきまでとは違う熱のようなものが滲んでいる気がして、ゾクリとする。


「椿が……そう、そうね。あの子は優しい子だった。お前の様な下賤な女狐に絆されて、地位も名誉も捨てて……今度は命まで……その娘が椿の……それに……」


 梅香おばさまの目がそう言いながら障子の影で怯えていた桃香を捉える。先ほどまでとは打って変わった猫なで声がその紅い唇から零れだした。


「椿が死んで、あなた一人で娘を二人も育てるのは大変でしょう? それに、ねえ。椿の葬儀をこんな狭い家で執り行うなんてあの子が可哀想。柚子さん、全部私が引き受けてあげるわ。椿の葬儀も、娘たちも、烏森ですべて面倒を見ます。いいわね?」


 それを聞いた瞬間、お母さんの手を振りほどいて、再びおばさまの足元に額を擦りつけた。


「烏森家には! 私だけを連れて行ってください!! 桃香はまだ小さくて……それに、母には桃香が必要なんです!! 父の事は……私が一生かけて償いますから! お願いですから、母から桃香を奪わないでください!!」


 顔を上げると、あっけにとられたような表情の梅香おばさまがこちらを見下ろしていた。その後ろには同じように目を見開いている高校生くらいの男の子も見えたけれど、今の私にはどうでも良かった。

 桃香がこのおばに連れて行かれたら、どんな目に遭うか、私は嫌と言うほど知っているからだ。おばの父への執着が歪んだ形で桃香に向けられるのを、あのゲームの中で、何度も見ていたのだ。

 


 ゲームのシナリオの通り、お父さんは事故で死んでしまった。それならば、おばが桃香を傷つける未来も、『私』が桃香を傷つける未来も、このままでは現実になってしまうということだ。

 桃香をこのおばに近づけてはいけない。そして、『私』自身、桃香から離れなければ……!

 このまま私が『葛城真梨香』であり続ければ、きっと桃香を傷つける悪役になってしまう。そうなる前に『葛城真梨香』を消さなければ。


「何でもします! どんな罰でも受けますから! だから……っ!」


 おばさまの足に取り縋る私は、傍から見たら気でも狂ったかのように見えていただろう。どう考えても娘として私の事を大事にするとは思えない因縁の相手に縋って自分を連れて行けと請う様は異様だったに違いない。


「………そう……どんなことでも、と言ったわね……?」


 おばさまの目に復讐の炎が燃え上がるのが見える。父を殺した私に、思う様罰を与えるのを想像しているのかもしれない。けれどそれで良かった。今、私が何よりも欲しているのは人殺しの私を罰してくれる人だったから。


「真梨香!」

「お母さん……私、烏森の家がいい。お金持ちで、名門で、それにおばさまはお父さんを連れて行くって言ってる。私、お父さんの傍がいい」


 悲鳴を上げるお母さんに嘘を吐く。本当はお父さんの遺体もお母さんに残してあげて欲しいとおばさまに言いたいけれど、きっとそれは無理だろう。

 いつか、私が烏森の家でも生きていられたら、お骨の一部だけでもお母さんのために持ち出そう。

 そんなことを考えながら、貧乏は嫌だとか、心にもない事をペラペラと言い続けた。お母さんが、私を見限ってくれるように。突き放してくれるように。こんな娘いらないと思ってくれるように。


「おかあさんはこの先きっと私を見るたびお父さんの事故の事を思い出すよ。ずっとずっと苦しまなくちゃいけなくなる。そしてそんなお母さんを見るたびに私も苦しくなる。そんなのは嫌なの」

「真梨香……」


 お母さんの顔が泣きそうに歪んでいる。私は病院から帰ってきて以来、まるで感情をどこかに置き忘れたみたいな感覚で、お父さんの棺を見ても涙の一粒も浮かんでは来ないのに。お母さんと桃香はずっと泣いて、今も目の晴れが引いてはいない。

 大事な父親が自分の所為で死んだというのに、涙ひとつ流せない自分はおばさまの言うように人でなしなのだろう。人でなしは人でなしに相応しい場所に行かなくちゃ。


「お母さん……さような……」

「だめぇぇぇぇえええええ―――!!!」


 言いかけた別れの言葉は、体当たりしてきた妹に遮られた。涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔がワンピースの胸に押しつけられ、ぐりぐりと擦りつけられる。


「桃香……お姉ちゃんは……ううん、もう私はお姉ちゃんじゃなくな……」

「いやぁっ!! おねえちゃんはおねえちゃんだもっ……もっ……ももかの、おねえちゃ……はおねえちゃだもっ……ずっと…………いっしょにいてくれなきゃだめなの!!」


 ぎゅうぎゅうと、しがみつかれて、嗚咽混じりに言い募られる。愛おしさと申し訳なさで胸が痛い。


「私は一緒にいちゃいけないの。桃香の傍に居たら、駄目なんだよ……」

「おねえちゃんは、ももかの、ももかだけのおねえちゃんだもっ……やだぁっ……いっちゃいやだぁ……っ!!」


 力任せにしがみついてくる妹を引き剥がせなくてもがいているうちに、桃香ごとお母さんの抱き込まれた。


「梅香さん、椿さんの遺体はどうぞ連れて行ってください。その代り、娘たちには金輪際近付かないでください。娘は二人とも私が育てます。真梨香も桃香も、あなたには渡しません」

「姉の方はうちに来たがってるけど? 何なら二人まとめて面倒を見てあげてもいいのよ? 妹の方は椿によく似ているもの。可愛がってあげられそうだわ」


 言外に姉の方は可愛がるつもりは無いと宣言するおばさまにお母さんが益々私を強く抱きしめる。


「桃香も、真梨香も、絶対に手離しません! わかったらさっさと帰って!!」

「……そう、それじゃあ遠慮なく椿は『連れて帰るわ』私たちの家へ、ね。今後あなたが路頭に迷おうが、娘三人で心中でもする羽目になろうが、烏森は一切関わらないのでそのつもりでいなさい」

「望むところです」


 ガタガタと音がして、黒服の男の人達がお父さんの棺を運び出していく。


「お母さん! 離して!! お父さんが……っ!!」

「駄目よ!! 今あなたの手を離すことの方が絶対に後悔するってわかっているから、絶対に離さないわ!」


 そう言って私を抱きしめる母の手はさっきまでおばさまから私を庇っていた時にできたであろう傷にまみれていて、暴れれば余計に痛みを感じさせてしまうと気付くと、振りほどくことはもうできなかった。

 母と桃香、二人の腕は暖かくて、苦しくて、どうしようもなく、胸が痛かった。


「ごめんなさい、お母さん。ごめんね、桃香……ごめん」


 二人から大事な家族を奪った癖に、こうして傍に居たいとまだ思ってしまう自分が嫌になる。此処に残っても、いつか私は桃香を……。

 その時不意にお父さんの言葉が脳裏をよぎった。


『お前は……お姉ちゃんなんだから』


 ああ、そうだ……今の私に唯一出来ること。お父さんの死を回避できなかった、せめてもの償い。桃香のお姉ちゃんとして、この子だけは守ってみせる。この子の運命を狂わせるフラグはすべて私が叩き折っていくしかないんだ。

 それが私が生きている意味。わたしが、この世界に転生してきた役割なんだ。

 胸に灯った炎を確かめるように、桃香の小さな体を抱きしめ返した。


「ごめんね……桃香……これからは、お姉ちゃんがあなたを守るから……絶対、絶対に……」




『出自を偽り、全校生徒を騙して母子家庭の苦学生のふりをして同情を引き、対立する生徒を罠にかけて陥れ、女であることを武器に代議会や生徒会の風紀を乱す、そのような恥知らずがこの学園にいるかと思うとこのまま安心して留学することはできません!』


 スピーカーから響き渡る甜瓜先輩の声に、我に返る。

 グラウンドの中央で一人膝をつく私を、生徒や教員が遠巻きに見つめている。突然始まった甜瓜先輩の放送ジャックに、どう対応していいのかわからない様子だ。それでも、彼女の告発の真偽についてひそひそと話し合っていたり、こちらの様子を窺っている視線をいくつも感じた。


『どうか彼女に裁きの手を! 今この場でその罪をつまびらかにし、学園を正しき道へと引き戻してください!』


 グラウンドの中央で座り込んだままの私に聴衆の視線が突き刺さる。猜疑、興味、非難、それらが混然となった視線は容赦なく胸を抉った。

 怖い。ふとそう思った。この視線の中、父の事を、伯母の事を、自分の罪を、正直に話すことは恐ろしいと感じた。


「違う……私は……っ」


 思わず口を突いて出そうになった言葉の意味に気づいて愕然となる。

 いま、私は何を言うつもりだった……?

 父の事故を、あれは事故だったと……父は自分を庇って事故に遭ったなどと、美談のように言い訳しようとはしていなかったか……?!

 自分の醜さに吐き気がした。

 お母さんや桃香は私を責めたりしない。篠谷も檎宇も、私を責めない。そんな風に私の事を責めないと分かっている人物の前では自分の所為で父が死んだと自分を責めていたくせに、今この場で、己の保身に走ろうとするなんて……。


「はは……カッコわる…………」


 乾いた笑いが唇から零れる。いっそのこと甜瓜先輩の策に乗ってすべてをぶちまけてしまおうか、そんな自棄な気分にすらなる。父を死に至らしめ、沢渡を退学に追い込み、甜瓜先輩を罠にかけて学園から出て行かざるを得ないように仕向けた。

 そう言ったら、どうなるのだろうか。

 ぼんやりとそんなことを考えていたら、一人の女生徒が駆け寄ってくるのが見えた。生徒会執行部の2年生、つが真奈美まなみだ。


『葛城さん!!』


 呼びかけたその声が不自然にスピーカーから響いて、彼女が手にマイクを持っていたことに気づく。おそらくインタビュー用のマイクを持ったまま、スイッチも入ったままだったのだろう。

 慌ててスイッチを切るとそのまますぐ近くまで来て膝をついた。気遣うような仕草で覗きこまれる。

 けれど、声を潜めて、囁くように紡がれたのは信じられない言葉だった。


「……薔薇姫が、あんたが彼女の言葉を全面的に認めて学園を出ていくってこの場で宣言するなら、妹は見逃してやるって言ってるわ」


 聞き間違いかと思って顔を跳ね上げた私の目の前で、栂真奈美がにたりと、歪んだ笑みを浮かべた。はっとして観衆を見渡し、見慣れた桃色のシュシュのポニーテールを探すが、見つけられない。自慢じゃないが、桃香の姿ならたとえ全校集会の壇上からでも見分けられる自信がある。

 私がリレーで走る直前には観客席にいたはずだ。その後は……? 次の競技の生徒は準備の為入場ゲート前へ移動するから、桃香もそちらへ動いたはずだ。けれどゲートの方にもその姿は無い。移動途中に何かがあった?

 頭の中でめまぐるしく憶測が行きかう。


「……どういうこと?」


 自分でもゾッとするような低い声が出た。栂さんの肩がビクリと跳ねあがったが、気丈にも笑みを浮かべたまま、応じてきた。


「薔薇姫はね、留学なんてポーズで、短期で帰ってくるつもりなの。その前にあんただけは排除するって息巻いてるわ。あんたの不正を訴えるだけじゃ足りない、あんたを社会的に抹殺して、二度とこの学園に顔を出せないようにしてやるって決めてるそうよ」

「それで、私自身に彼女の言葉を認めさせるために、桃香を……?」

「そうよ。あんた個人を攻撃したところであんたには頼もしいお取り巻きが大勢いる。でもあんた自身が全生徒の前で罪を認めて出ていくと言えば、あいつらだって庇い立てはできないでしょ」


 だから桃香を人質にして、私を思う通りに動かそうとしたということか……。

 ふつふつと、胸の奥が熱くなる。こんな事態を危惧していたのに防げなかった自分自身に。そして……。


「どうして……?」

「は?」

「どうして、甜瓜先輩に従ってるの?」


 栂さんを見つめて、そう問いかける。彼女は特待生で、内部生の甜瓜先輩とは対極の立場にいたはずだ。そう思って尋ねると、栂さんの顔が憎々しげに歪んだ。


「あんたの……あんたの所為じゃない!」

「私の……?」

「あんたの所為で私は友達に見放され、生徒会執行部での立場も悪くなって、誰も私の言うことなんて聞いてくれなくなった! それもこれもあんたが私を嵌めた所為でしょ!!」


 栂さんの口から紡がれる怨嗟に、責任を感じないわけではない。けれど、彼女は間違いを犯した。


「栂さん……あなたの境遇には同情するけれど、手を組む相手を間違えたわね」

「え……?」


 震えの止まった膝に力を入れて立ち上がる。まっすぐに見下ろした栂さんは、いつにもまして小さく見えた。

 


「……私はね、自分が恨まれたり、憎まれたりするのは仕方がないと思っている。……でもね、だからといって桃香に手を出す人間に対してだけは情けも容赦も、かける気持ちが湧いてこないの」

「…………え?」


 呆然とこちらを見上げてくる栂さんの手からマイクを取り上げる。見渡せば生徒たちの視線が突き刺さってくるけれど、先ほどまでの恐怖はどこかへ行ってしまっていた。

 頭の中で状況を整理する。

 甜瓜先輩が桃香を連れ去ったとして、誰が、どこへ連れて行くか。時間からいってそう遠くへはまだ行っていない、ともすれば移動途中だろう。その場合、私の此処での行動如何で桃香に危害を加えると言っている以上、こちらの状況を甜瓜先輩が把握し、拉致組へ連絡をする手はずになっているということだ。

 横目で栂さんを見るが、スマホなどの連絡手段は持っていないように見える。桜花学園の体操服はジャージにはポケットが付いているが、体操服と短パンにはポケットがない。つまり、ジャージを羽織っていない彼女は連絡係ではない。


『いつまでそうやってだんまりを決め込むつもりかしらぁ? 葛城さん、あなたの所為でみんなが傷つき、あなたの所為でみんなが迷惑をこうむってるの。あなたはこの学園を蝕む癌なのよ』


 スピーカーから流れてくる甜瓜先輩の声は愉悦が滲んでいた。なすすべもない獲物をいたぶることを心から楽しんでいる様子だ。せめて彼女の居場所が分かれば……学園の校舎にある音響室のどれかだというのはわかるけど、いくつもある音響室のどれかまでは絞り込めない。校内放送に普段使っている放送室は今日の為に機材を持ち出したり、片付けたりの為、鍵は体育祭実行委員会が今日一日管理しているから使えない筈だ。

 けれどそれ以外の音響室でも、配線さえいじってしまえば今のように校内はおろか離れた専用グラウンドの放送をジャックすることも可能なのだ。

 甜瓜先輩は文化部部長会会長だから鍵の保管場所には詳しいので、こっそりと持ち出したのだろう。協力者が栂さんのほかにもいるとすればなおさらそれは難しい事ではなかった筈だ。


『みじめなものねぇ。今こうしてあなたが責められているのに、あなたが誑し込んだ男たちは誰も手を差し伸べない。一人無様に立ち尽くしているのが化けの皮の剥がれたあなたの本質なのよ。ざまぁないわね』


 滔々と語る甜瓜先輩の言葉に引っかかりを覚えた。今私が一人で立っているという状況が彼女には見えている。傍にしゃがみ込んだ栂さんは彼女の手勢だから数に加えないとしても、周囲に誰もいないというのは映像で見えていなければわからない筈だ。周りの生徒たちに彼女の手駒がいたとして、映像を送るならスマートホンか何かを構えている筈……。

 そう思いながら生徒たちの中に不審な行動をとる者がいないか見渡そうとして、唐突に橡圭介の事を思い出した。確かあの事件の時、音響室についてあの男は何か言っていなかったか……?


「確か……あの特別教室は……!」


 甜瓜先輩が使っているのがあの時と同じ部屋とは限らないけれど、もしあの効果があの音響機器を完備した教室全体に言えることなら……。

 深く息を吸い込む。背筋を伸ばして、全体を見渡す。それだけの動きで、ざわついていた聴衆がしん、と静まり返った。


「皆さん、放送機器は現在不調により使用できません。よって以降の競技はアナウンス無し、音楽無しで進行します。次の競技参加者は入場ゲートへ集合してください」


 マイクを持った手を下ろしたまま、お腹から声を張り上げる。剣道をやめてからも基礎トレだけは欠かしていなかったおかげで、マイク無しでもその声がグラウンドの生徒には聞こえただろうという程度には響き渡った。

 甜瓜先輩の演説を真っ向から無視しての体育祭進行宣言に、生徒たちが再びざわめく。中には非難する声も聞こえる。


「もう一度言います。競技を再開します。参加選手は入場ゲートへ移動してください」

「アンタ……何言ってるのよ……?! そんなことを言って、妹がどうなってもいいのっ!? ……っ!」


 栂さんがわなわなと震えながら声を出した瞬間、私は持っていたマイクのスイッチを入れた。鋭いハウリングの音とともに栂さんの『妹がどうなってもいいのっ!?』という叫びがスピーカーを通して響き渡った。


「今のって……どういう意味だ……?」

「妹って……あの1年の小さい子か……?」


 言葉の意味を図りかねてざわめきが大きくなる。


「あいつって……最近薔薇姫と一緒にいた特待生じゃね?」

「まさか……」

「いくら薔薇姫でも……」

「いや……薔薇姫なら……やりかねないぜ……前に親衛隊を無視して一之宮に声かけた女子が裏でぼろぼろにされた挙句転校に追い込まれたって……」


 波紋が広がるように甜瓜先輩への疑念が生徒たちに広がっていく。その視線が傍らで真っ青になって震えている栂さんへと集中していくのを冷めた気持ちで見守った。


『栂!! いきなり何を言い出すの!!』


 スピーカーから焦りを含んだ甜瓜先輩の声が響いて、生徒たちの疑念が確信へと変わる。


「うわ……流石にどん引くわ……」

「あの栂って奴は生徒会だろ? 何でまた……」

「薔薇姫の事だからなんか弱みでも握ってるんだろ。……けどだからって人質取って脅迫なんてことに加担するとか……あいつ、終わったな」


 嫌悪と嘲笑、非難と侮蔑が入り混じった視線に栂さんが弾かれたように立ち上がる。私のマイクを奪い取ったかと思うと、金切声を上げて叫び始めた。


『わ……私は悪くない……っ……甜瓜先輩が……甜瓜先輩が言うことを聞かなきゃって……私は被害者なのよ……っこんなこと加担したくなかった……全部、全部あの薔薇姫の計画なんだから!!』

『栂! 何でいきなり……皆さん、騙されないでください!! 彼女は生徒会を裏切って葛城真梨香を貶めたいと書類紛失事件を捏造した主犯です。その上不確かな情報で私に訴えを起こさせて自分は安全なところで隠れていた卑怯者よ。そんな女の言うことなんてあてには……だいたい私は葛城さんの妹なんて知らないわ!! 話したこともないのよ!!』


 困惑も露わな甜瓜先輩の声に確信する。彼女には、このグラウンドでマイクを通した音声しか聞こえてはいない。生徒たちの中に協力者がいてスマホで中継をしているという可能性が薄くなった。おそらくさっき思い出した橡事件の時の特別教室と同じで、電波圏外で、有線機材での音声しか発信も受信もできないのだろう。グラウンドの状況が映像で見えているのはおそらく、学園の設置しているカメラの映像をモニタリングしているのだ。

 放送室並みの音響設備があり、グラウンドの中継モニターがある教室はない。学園内でそんな設備があるのは……。


「……甜瓜先輩、もう諦めてください。あなたはもう逃げられません」

『はぁ?! 何を偉そうに……アンタの疑惑はまだ晴れていないし、栂とぐるになって私を嵌めようとしてもそうは……』

「いえ、私ではありません。 先輩はご自身で墓穴を掘ってしまったんです。今、そちらに……」


 言いかけたところに、スピーカーからガチャリと重たい音と、ドアが開く音が聞こえてきた。そして地を這う様な低い、低い美声も。


『薔子、これは一体どういうことか、説明してもらおうか?』

『ひっ……!! ざ、石榴……っ! どうしてここが……!!』


 声だけならヤクザも真っ青なドスの利きまくった声音に、他人事ながら背筋が冷たくなる。


「この声、一之宮先輩?!」

「いつの間に……!??」


 生徒たちも驚いている。それはそうだろう。一之宮先輩はお昼の講堂使用のために本校舎へマスターキーを取りに行っていた筈なのだから。ただし、その講堂こそが甜瓜先輩たちの放送の拠点になっていたのだ。

 講堂には学内の大規模な球技大会や文化祭などの際に、グラウンドや中庭などの定点カメラの映像を中継する設備が整っている。放送時に余計な電波を拾ってしまわないように電波圏外になるよう整備され、有線設備による放送と映像投影を可能にしてあるのだ。

 おそらく、甜瓜先輩は講堂の鍵を持ち出すために、一度借りて返す時に別の鍵とすり替えていたんだと思う。そうして講堂から今日の放送ジャックを行った。ただ、一之宮先輩が講堂をお昼休憩に開放することは予想外だったのだ。偽の鍵で開かなくなっていた講堂のマスターキーを借りた一之宮先輩が絶妙のタイミングで到着してしまったのだ。

 ある意味、運にすら見放されていたということだ。


『昼休憩用にと講堂を開けに来てみれば……随分と不愉快な真似をしてくれているな……? お前の留学は甜瓜の当主の懇願あってこその温情だったが……さすがの俺ももうこれ以上は庇う事は出来んぞ?』

『ちがっ……これは……あの女が……っ!!』


 スピーカーの向こうで展開される修羅場に生徒たちが唖然としている。このままでは収拾がつかなくなりそうだ。


「一之宮先輩、少し甜瓜先輩にお伺いしたいことがあるんですが」


 栂さんのマイクを再び奪い取って話しかける。不便だが致し方ない。


『……言ってみろ。薔子、この期に及んで嘘が通じると思うなよ』


 釘を挿す一之宮先輩の向こうでは甜瓜先輩のすすり泣く声が聞こえる。どんだけ怖い顔で叱ったんだか……。


「甜瓜先輩、妹は……桃香は何処ですか?」

『し……知らないわよ!! さっきから言ってるじゃない!!』

「質問を変えます。誰に、どこへ連れ出せと指示をしたんですか?」

『だから知らないって……ひっ!!』


 甜瓜先輩の引き攣ったような悲鳴が聞こえた。多分一之宮先輩が凶悪な顔でもしたんだろう。


「桃香さえ無事に返してくれるなら、私は……」

「ちょぉっとまったぁぁあ――――――――――――!!」


 たとえ人でなしと呼ばれても死ぬほど酷い目に遭わせてやる、そう続けようとしたところで、グラウンドを駆け抜けてきた影にマイクを叩き落とされた。不協和音が響いて、大きな体躯に抱きしめられた。


「真梨さん!! 学園を辞めるとか、バカ姫の言う通りにするとか絶対だめだ!! そんなこと俺も桃ちゃんも望んでないから!!」

「……檎宇?」


 どれだけ猛スピードで走ってきたのか、汗びっしょりで息を切らせている檎宇は、もがく私を掻き抱くようにしてがんじがらめにする。正直なところ、痛い。


「檎宇、離して」

「やだ! 真梨さん妹ちゃんのことになると先走って暴走するからきっとあのバカ姫の脅しに屈して妹ちゃんの為に学園辞めるとか簡単に言っちゃうじゃん!! そんなの絶対許さねーから!!」

「そうじゃなくて……痛いってば!」


 ぎゅうぎゅうに潰されかけた私の耳に、もう一つの声が聞こえてきた。鈴を転がす様な、高くて、凛として、いつでも心を癒してくれるような、甘い声―――。


「お姉ちゃ―――んっ!!」

「桃香!?」


 檎宇の腕の隙間から声のした方へ顔を出すと、桃香がグラウンドへと走り込んでくるところだった。見たところ、ポニーテールがやや乱れてはいたものの、怪我はない。

 

「桃香!!」


 檎宇を振りほどいて桃香へと駆け寄る。飛びついてきた小柄な体を抱き止め、今度は私が桃香を揉みくちゃになるほどだきしめた。


「怪我はない!? 何もされなかった?! どうやってここに……」

「質問が多いよ。お姉ちゃん……見てのとおり、ちゃんと無傷だよ。 本当はちょっとだけ危なかったけど、檎宇くんが助けてくれたから」


 その言葉に顔を上げると、檎宇が胸を張って笑うのが見えた。


「俺が真梨さんの『お願い』を完遂しないわけないでしょ? ちゃんと桃ちゃんに張りついて、なんか怪しい先輩に声をかけられて連れてかれそうになってるところを後付けて、タイミング見計らって救出。真梨さん、俺がいてよかったでしょ?」

「……本当に、最高だわ。檎宇、ありがとう」

「あの人たち、お姉ちゃんの裏の顔を教えてやるとか言って、ついて来なきゃ全部暴露するぞって言うから何のことか聞き出そうと思ったんだけど、逆に私を人質にお姉ちゃんに自主退学を宣言させるって言われて……それで……」

「何かされたの?」


 見た目に傷は無くても怖い思いをさせてしまったことには変わりない。血の気が引くのを感じながら問いただすと。


「つい……手に持ってたリレー用のバトンで一人殴り倒しちゃった。そしたらほかの仲間っぽい人が逆上して、そこに檎宇くんが飛び込んできたの」

「いや~、助ける必要あったかなっていうくらい鮮やかな突き一本だったよ。ついでに、拉致グループは全員カイチョーとりょーちょーに引き渡してあるよ」


 今度こそ全身から力が抜けてしまった。その場にへたり込んで、桃香の腰に縋りつく。姉としては何とも情けない姿だが、気が抜けてしまったのだから仕方がない。


「ごめんなさい。お姉ちゃんにまた心配をかけるような事して……でもお姉ちゃんが学校を辞めるなんて絶対だめ。私だけじゃない、嘉穂ちゃんも、苺ちゃんも、茱萸ちゃんも、白木先輩や錦木先輩、他にもお姉ちゃんにこれまで助けられたっていうたくさんの人が、きっとそんなのだめだっていうに決まってる。みんなみんな、お姉ちゃんと一緒に学園生活を送りたいって、そう思ってるんだよ」


 甜瓜先輩の主張していた『みんな』と桃香の言う『みんな』言葉は同じなのに、こんなにも温かさが違うものなのか。誰とも知れない存在も定かでない『みんな』と、一人一人、その顔や人となりまで鮮明に浮かんでくる『みんな』……。


「そうね……このままでは、みんなに申し訳が立たないわね」


 そう言って立ち上がった時、校舎の方から一之宮先輩と代議会員数名に連行されてきた甜瓜先輩が現れた。

 一之宮先輩に現場を取り押さえられたからか、うなだれてよろよろと歩く様は全てを観念しているかに見えた。けれどその目が私を向いた途端、青褪めていた頬に血の気が戻り、瞳には怒りと憎悪の炎がぎらつきはじめた。


「あんたの……あんたの所為でっ!!!」


 どこにそんな力が残っていたのかと思う様な勢いで暴れて代議員の腕を振りほどく。着ていたワンピースのポケットから取り出したのは、大ぶりのカッターナイフだった。そのまま刃先をこちらへと向けて突っ込んでくる。


「アンタなんか死ねばいいのよ―――っ!!!」

「お姉ちゃん!!!」

「真梨さん!!!!」


 桃香たちの悲鳴と共に、ガキンっという金属音が響き渡った。

 私が持っていたマイクで、甜瓜先輩の手首を打ち据えたのだ。咄嗟の事だったから思いっきり打ってしまった。しばらくは痺れて手が使い物にならないだろう。


「痛い―――っ!! 石榴!! 石榴!! 見たでしょう今の!! この女、私の手をっ!! きっと骨が折れたわ!! 痛い!! 痛いの!!!」

「……その前に貴様が今何をしたかを顧みてみろ」


 痛みに半狂乱で泣き叫ぶ甜瓜先輩の襟首を掴んで一之宮先輩が静かな声で詰ったが、これまで自分に降りかかる暴力など経験したことがないであろうお嬢様はただひたすらに泣き叫び続けた。

 結局、泣きわめく甜瓜先輩はそのまま代議員に抱えられるように生徒指導室へと連行された。多くの生徒の前で刃物を振りかざし、人に襲い掛かったのだ。流石に彼女の親にも庇いきれはしないだろう。


「お姉ちゃん!! 大丈夫!!?」


 飛びついてきた桃香を抱き止め、マイクを持っていた右手を軽く振って見せる。


「まだ鈍ってはいなかったみたい。……ごめんね、桃香。また私の所為で怖い目に遭わせてしまったわ……」

「うん……お姉ちゃんのせいかもしれないけど、お姉ちゃんが檎宇くんに気を付けるよう言っておいてくれたから、ちゃんと無事だったし、大丈夫だよ」

「これからも、もしかしたら私の所為で怖い思いをしたり、嫌な目に遭うかもしれないって言ったら? 私の傍に居ない方が安全だって、そんな状況になったら……」

「そういう時は、私よりも先にお姉ちゃんが怖い思いや嫌な目に遭ってるんでしょう? だったら、なおさら一緒にいるよ。一緒に怖い思いして、一緒に嫌な目に遭おう。それで、一緒に解決しよう。お姉ちゃんが私を守りたいって言ってくれるように、私もお姉ちゃんの助けになりたい。一緒にいるってそういうことだと思う」


 そう言って笑う桃香は強く凛々しく見えて、私は自分がどれだけ思い上がっていたのかに気づいた。

 大好きな桃香。優しく、健気で、愛くるしい、可愛いヒロイン。けれど、それだけじゃない芯の強さや、どんな逆境にも負けない根性、そう言った彼女の強さにも、心惹かれていた筈の自分を唐突に思い出した。


「……そうね。そう……だったわね。ねぇ、桃香。これからもお姉ちゃんと一緒にいてくれる?」


 守られるだけのお姫さまじゃない桃香は、私のヒロインで、ヒーローだったんだ。強く、明るい正義の味方ヒーロー。憧憬を込めて震える手を差し出す。それを見た桃香は、これまでで一番眩しい笑顔で、抱き付いてきた。


「もっちろんだよ!! 私はお姉ちゃんの妹なんだからね!!」


 見上げた空は澄み渡るような快晴で、入場ゲートのバルーンが少しだけ滲んで見えた。



 こうして、今年の桜花学園体育祭は前代未聞の不祥事によって、途中閉会を余儀なくされた。放送をジャックし、講堂に立てこもり、刃物を持って暴れ、人に切りつけた甜瓜薔子は駆けつけた両親立会いのもと警察に事情を聞かれることとなる。

 けれど、我が子を庇う両親と、その弁護士によって学園内で孤立させられた為、精神的の追い詰められての心神耗弱を主張され、かかりつけの病院へと保護された。更に彼女の心身を追い詰めた原因として私と吉嶺先輩が逆に訴えられそうになるという一幕もあったが、一之宮先輩が間に立ち、話をつけることで訴えを退けさせたと後になって聞かされた。

 ちなみにどうやって話をつけたかは教えてもらえなかった。

 数日後、ひっそりと甜瓜薔子の名が学籍名簿から削除された。

 事件の話題は暫く学内の一大ニュースとして生徒や保護者をにぎわせたが、やがて別の話題に取って代わられ、期末考査の期間に突入する頃には学内で甜瓜先輩の名を口にするものは居なくなっていた。

 栂真奈美は甜瓜先輩に脅されて嫌々協力したと最後まで主張していたが、周囲の視線に耐えられなかったのか、期末考査の前に転校していってしまった。



 期末考査期間になれば、生徒会の活動や代議会もしばらくは活動を自粛することが要請される。学生らしく本来の学業に専念すべし、ということだが、今年に限っては事件のほとぼりを冷ますためか、通年よりも一週間早く、生徒会は活動自粛を要請されることになった。

 勉強に集中できるのはありがたいけど、期末明けに片付けなくてはならない仕事を思うと憂鬱になる。

 窓の外では蝉が鳴き始めていた。


次回位から夏休みの話に入りたいなぁ。(あのお方の出番的に)

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