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「桃香、ちょっと話があるんだけど、いいかしら?」


 緊張に震える手で妹の部屋のドアをノックする。返事は無く、思わずため息が零れた。

 あの姫林家の一件以来、桃香を一方的に避けてきたのは私の方だ。今さら元のように仲良くしたいだなんて虫が良すぎるのはわかっている。

 怪我をした当初は私を気遣ってあれこれと話しかけようとして来ていた桃香をやんわりと避けていたのは私の方だし、最近では桃香の方も話しかけては来なくなってしまっていたのだ。

 見限られてしまったと覚悟するべきなのかもしれない。


「桃香……ごめんなさい」


 ぽつりとつぶやいた時、目の前のドアが開いた。


「桃香……」

「そのごめんなさいは、何のごめんなさいなの?」


 久々に見た桃香はやっぱり可愛くて、それでもどこか硬い表情は今まで一緒に生きてきた中で、一度も見たことがないものだった。

 謝罪の意味を問われ、一瞬言葉に詰まる。


「桃香の話も聞かないで、一方的に避けるような真似をしてごめんなさい。それと、私の所為で怪我をさせてしまって……」

「……後半のごめんなさいはいらない。この怪我は別にお姉ちゃんの所為なんかじゃないから」


 桃香がTシャツの上からそっと怪我をした部分を撫でる。


「もう部活だって通常どおり出られてるし、夏の大会も間に合うって先輩にも監督にも太鼓判貰ってる。だから怪我のことなんかで謝らないで」

「そんな訳に行かないわ。そもそも桃香が攫われたのだって私と間違われた所為だし、発砲の瞬間に私がちゃんと桃香を庇っていれば……」

「そんなの予測もできないことなんだから仕方ないよ。私の怪我だって大したことなかったんだし、それに苺ちゃんが無事だったんだから」


 クラスメートの倉田苺さんを庇って怪我をした桃香。誰かのために危険を顧みず、何事にも一生懸命。それは美徳である筈なのに、私の中でいいようのない恐れと焦燥を抱かせた。

 このまま放っておいたら、桃香はゲームにあったイベント以外でも、自ら危険に飛び込んで行ってしまうんじゃないだろうか。

 その瞬間に私が居合わせられる保証はどこにもない。


「……倉田さんが無事だったのは桃香のおかげかもしれないけど、桃香が軽傷で済んだのは運が良かっただけよ。次に同じような事があったら今度こそ大怪我を負ってしまうかもしれない。……もう銃弾の前に飛び出す様な危ない真似は二度としないで」


 自分で思っていたよりもキツイ言い方になってしまった。

 そもそも銃弾で狙われるなど、一般人の身の上に遭ってはならないが、実際に桃香は銃弾で怪我をしたのだから、安心などできない。

 銃弾でなくとも、ゲームの中で桃香に降り注ぐ危険は数え切れないほどあるのだから。

 叱りつけるような私の物言いに桃香の表情が強張っていくのがわかる。


「そんなの……そんなのお姉ちゃんに言われたくないよ! お姉ちゃんのほうがよっぽど自分から危ない目に遭ってるくせに!! この怪我は私が苺ちゃんを守るために負った怪我なんだから、褒められこそすれ、怒られる謂れなんかないよ!!」

「桃香!」


 桃香の叫びにカッとなって、その手を掴んでしまう。痛みに顔を歪めたのを見て、慌てて離したけれど、それでも桃香の言い分を認めるわけにはいかなかった。


「それでも駄目よ。今回はたまたま掠っただけで済んだけど、次はもっとひどい怪我を負うかもしれない。たとえ誰かを庇ったのだとしても、それであなたが怪我をしたら何も褒めるところなんてないわ」

「お姉ちゃんだって!! いっつも人のために危ない事ばかりしてるくせに!! 私知ってるんだから! 去年だって危うく殺されそうになったって!!」

「それは……っ!」


 沢渡の事件を桃香に知られていると聞いて、胸がズキリと痛む。

 おそらく胡桃澤辺りが話したのだろう。そのこと自体は責めることはできないけれど、できることなら知られたくはなかった。

 そんな焦りが出てしまったのだろう。口を突いて出た言葉は、自分でも拙いと分かるような、雑な言い訳だった。


「私は、姉で、生徒会の副会長なんだから、あなたや皆を守るのは当たり前なの。でもあなたはそうじゃないでしょう!」

「お姉ちゃんの馬鹿!! もう知らない!!」


 桃香はそう言ってまた部屋へと飛び込んでしまった。目の前で勢い良く閉ざされたドアに、私は溜息をつくしかなかった。

 自分でも分かってはいるのだ。桃香の言うことの方が正しい。

 あの時私は桃香を庇うことはおろか、倉田さんの事も意識から抜けていた。桃香のおかげで彼女は助かった。それなのに、桃香の行動を責めるような事ばかり言ってしまった。

 とはいえ、桃香が怪我をしたり、危険な目に遭ったりするのはどうしても耐えられない。

 明日は体育祭。あの甜瓜先輩がこのまま大人しく留学していくとはどうしても思えない。きっと何か仕掛けてくる。そしてその狙いが桃香に向かわないという保証はないのだ。


「桃香、明日は必ずクラスの友達……倉田さんか香川さんと一緒に行動するのよ。絶対にひとりになったり、誰かに呼び出されてもついていくようなことはしないで頂戴」


 こんな事を言うと逆にフラグになりそうで怖いが、言わずにはいられない。

 甜瓜先輩が何を仕掛けてくるかわからない以上、桃香と同じクラスの檎宇や同学年の加賀谷、胡桃澤にも見張っていてもらうようお願いしなければ。

 桃香とは、体育祭が終わったら、もう一度ちゃんと話し合おう。

 もう一度ため息を吐いて、私は部屋へと戻った。



 翌日は快晴、見事なまでの体育祭日和だったが、私の心のうちは曇天だった。

 朝起きてみると、桃香が先に家を出たと告げられ、ぽつりと一人分のお弁当を母から渡されてしまったからだ。慌ててラインを送ってみるも既読スルーされ、取りあえず安否確認の為、檎宇にラインを送って、無事に登校していることを確認してもらう。


「集合場所にはちゃんと着いてるのね。……よかった」


 ホッと胸をなでおろし、自分も登校準備をする。今日は体育祭なので、学園所有の専用グラウンドに集合なのだ。

 野外なので放送機材などは前日のうちに機材管理倉庫棟から運ばれている。生徒会の集合もグラウンド内設置の生徒会専用テントになっているのだ。

 私は重い気持ちで、ダイニングテーブルに置かれたお弁当を掴むと、家を出た。



「……それで? 朝から覇気のない顔でテントの隅で三角座りしてるんですか?」


 選手宣誓を終えた篠谷が生徒会用テントに入ってきて、呆れたように溜息をついた。


「だって……組の席に戻ったら、1年A組がすぐ隣なんですもの……。つい気になって見ちゃうんだけど、目が合うたびにそっぽを向かれてしまって……」

「少し前までは妹さんの方がその状況に近かったんですから、暫くは自業自得と思って耐えるしかないんじゃないですか?」


 確かに数日前まで、桃香の視線から目を逸らし続けていたのは私なので、ブーメランと言われればその通りなんだけど。


「……暫くってどれくらい……?」

「ざっと2週間くらいですかね……?」

「やだぁ―――ッ! 桃香不足で死んじゃうぅ―――ッ!!」


 地団太を踏んで訴える。もはや姉の威厳もへったくれもない。


「うぅっ……桃香と同じクラスの檎宇が羨ましい……毎日前後の席で後ろから桃香を眺め放題とか、檎宇のくせに生意気な……一日でいいから代わって欲しい……」

「相当重傷ですね。……お昼の休憩時間、小林君と香川さんに妹さんを誘うよう頼んでおきます。大人数なら朝の諍いも引き摺らずにいられるでしょう?」


 一瞬篠谷が天使に見えたけど、よく考えたら桃香がこのままずるずると生徒会と接しすぎるのはまた別のイベントのフラグになってしまうんじゃないかという懸念がある。それに、朝お弁当を別に用意されたっていうことは、私とはお昼を一緒にしたくないという桃香の意思表示ともとれる……。


「やっぱりお昼はいいわ。桃香にもクラスのお付き合いがあるだろうし……。まだお互い冷静には話せないと思うから……」

「なるほど、ではお昼は此処で僕と……」

「そうはさせるか!!」


 篠谷が咳払いをしながら何か言いかけた時、生徒会テントの日よけをバサリと捲りながら一之宮先輩が飛び込んできた。後ろには当然のように吉嶺もいる。


「抜け駆けは許さんぞ篠谷! 今日のお昼は代議会幹部と生徒会役員は合同で昼食会を開催させてもらう!!」

「……どこで聞いてらしたか知りませんけど、そんな大人数収容できるテントなんてこのグラウンドにはありませんよ」

「それなら大丈夫。すぐそこの講堂を解放して昼休憩に使うよう先生の許可は取ってあるから。もちろん、代議会専用ってわけじゃないけど、俺たちの昼食会のスペースくらいは確保してあるよ」


 いつの間に……。生徒会では講堂使用の申請は受けていないから、代議会から直で申し込んだんだろうけど。


「一之宮先輩、そういう職権乱用はできれば控えて頂きたいんですけど……」

「何を言うか。熱中症対策及び各クラス委員からあげられた要望をもとにした、れっきとした代議会活動の一環だ。事前に生徒会に言っていなかったのはまあサプライズと言うやつだ」

「お昼になる前にこうしてばらしてはサプライズもくそもありませんけど」


 でも確かに、お昼御飯を涼しい講堂で食べられるのならその方が助かる。


「小耳にはさんだところによると、お前の所の妹、代議員の倉田、および胡桃澤と共に講堂で食べるそうだぞ?」

「ぜひご一緒させてください」


 同じ講堂の中なら別々に食べていても様子をうかがえるし、安全性も高い。一之宮先輩もたまにはいい提案をしてくれる。

 そう言ってその手を取って感謝の意を伝えると、なぜか先輩はあたふたとしながらそっぽを向く。その耳が真っ赤だ。


「そうだろう、この俺に感謝しろよ! 何ならお前の弁当のおかずと俺の仕出し弁当を交換してやってもいいぞ!」

「あ、それは駄目です。今日のお弁当は妹の作なので」


 たとえ一口たりとも男どもに食べさせてやる気は無い。

 一之宮家御用達の仕出し弁当には興味があるけど、桃香のお弁当と引き換えにできるものなんてこの世に存在している訳がない。


「そうなのか? それならば仕方ないか……。ちなみに次にお前が弁当を作ってくるのはいつだ?」


 一之宮先輩が口惜しそうに訊いてくる。そんなに庶民弁当が食べたいのだろうか? そう言えば以前に篠谷もいたく興味を示していたような……。


「……来週で良ければ作って来ましょうか? 今回の件ではいろいろとご迷惑もおかけしましたし、生徒会の皆と、一之宮先輩の分……」

「あれ? 俺のは?」

「吉嶺先輩は共犯なので……。と言うのは冗談です。ちゃんと作って来ますよ」


 ちょっと大人数だから大変そうだけど。


「その代り、本当に庶民の安い食材で作るものですからね? 文句は言わないでくださいよ?」

「だ、そうですよ? 一之宮先輩はやめておいた方がいいんじゃないですか?」

「お前こそ、上品な高級食しか胃が受け付けないんじゃないか?」


 篠谷と一之宮先輩が顔で睨みあっている。本当に最近この二人は仲がいいな。拳で語り合った成果なのだろうか……。  


「あ、先に嫌いなものとかあったらお伺いしますけど」

「僕は特には……しいて言うならわさびとかカラシがちょっと……」

「なんだ、篠谷は子供の様な味覚なのか? 俺は好き嫌いは無いぞ!」

「あれ? 石榴シイタケ食べられるようになったの?」

「なッ!? 橘平! ばらすな!!」


 吉嶺まで加わって……やっぱり拳で(以下略)……。とりあえず、しいたけとわさびとカラシは除外しよう。


「……吉嶺先輩は嫌いなものは無いんですか?」

「俺は昔からなんでも食べられる子だったよ」

「ちっ……」

「え? 何で舌打ち?!」


 吉嶺の嫌いなものだけは山盛りにしてやろうと思っていたのに……。

 そんなことをこっそり考えていたら、代議会の3年生らしき男子がテントへと慌てた様子で入ってきた。一之宮先輩に駆け寄ると何事か耳打ちしている。


「なんだと?!」

「どうかしたんですか?」

「ああ、いや、講堂の鍵が壊れているらしくて、マスターキーを借りるのに俺に同行して欲しいそうだ。ちょっと行ってくる」


 どうやら、講堂の昼食会場の準備に駆り出されている代議員だったらしい。

 一之宮先輩と吉嶺は呼びに来た代議員に連れられてテントを出ていった。あとに残された篠谷と何とはなしに顔を見合わせる。


「……真梨香さんはこの後の競技のご予定は?」

「クラス対抗リレーと女子の綱引き、大縄跳びが午前中、午後は障害物競走と3000m走ね」

「さすが大活躍ですね。熱中症などならないよう水分はこまめに取ってくださいね」


 そう言ってパック式のスポーツドリンクを渡された。よく冷えていて、頬に当てると気持ちがいい。


「ありがとう……篠谷君もちゃんと水分を取るのよ?」

「わかっています。……さ、そろそろ競技の集合時間でしょう? 行ってらっしゃい」

「……行ってきます……?」


 何と言うか、家族のやり取りみたいで少し恥ずかしい。そそくさとテントを出て、ドリンクパックをもう一度頬に当てる。

 心なしかさっきよりも冷たく感じた。



 クラス対抗リレーのアンカーとして、一着でゴールテープを切り、表彰台へと上がった時、突然本部の司会者のマイクが途切れた。


「……なんだ?!」

「いきなり放送機材の音が入らなくなりました!」

「配線は確認したのか? 誰か蹴とばして断線させてないだろうな!」


 慌てふためく本部の体育祭実行委員に、観客席の生徒たちもざわめき始めた頃、突然グラウンド内のスピーカーから、場違いに優雅なクラシック音楽が流れだした。


「今度は何だ!?」

「体育祭にカノンとか誰が用意したんだよ!」

「誰も用意しないわよ! これ、この本部の機材から流れてるんじゃないわ! 校舎の音響室よ!!」


 生徒たちの混乱が最高潮に達した時、不意に音楽が小さくなり、張りのある甘い声が響き渡った。


『皆さま、お久しぶりです。文化部部長会会長の甜瓜薔子です』


「甜瓜先輩?! ずっと学校休んでたんじゃ……?」

「たしかもう学校辞めるとかって……」

「私が聞いたのは副会長と代議会で揉めたって……」


 ざわつきながら、生徒たちの視線が少しずつ、グラウンドの中央にいた私へと集まってくる。好奇、興味、批判、いくつもの感情がないまぜになって突き刺さってくる。スピーカーからは歌うように朗らかな甜瓜先輩の声が聞こえてくる。

 そこには追い詰められたような焦燥も、自棄になったような開き直りも感じられず、まるで自身の勝利を確信しているかのようだった。


『私は明日、海外への留学へと出発します。通い慣れた学園を暫く離れるのは寂しいですが、桜花の生徒として誇りある留学生活を送って戻ってきます。……けれどその前に、どうしても皆さんに伝えないといけないことがあります』


 そこまで言うと甜瓜先輩は一度言葉を切った。


『私が学園を離れるにあたって、不在の間にこの学園を滅茶苦茶にしてしまうであろう人物。彼女についての真実を皆さんに知ってもらいたいのです』


 甜瓜先輩の言葉に静まってきていた会場が再びざわめき始める。


『特待生の希望の星、庶民派の副会長、弱い者の味方などともてはやされているそこの葛城真梨香さん。彼女は桜花学園の理事長、烏森家当主の姪であることを隠してこの学園に入学してきました。あたかも援助を必要とし、優秀な特待生であるかのように振舞って』


 唐突に明かされた私の出自に生徒たちの混乱に拍車がかかる。


「理事長の姪って……超セレブってこと……?」

「え、じゃあ特待生って言うのは……?」


 甜瓜先輩の言い方はわざと誤解を煽るように言っているのだろう。私が桜花の理事長である烏森梅香の姪であるのは調べようと思えば簡単にわかることだ。その上で、葛城家と烏森家は絶縁状態であることも。

 私が烏森家にこの学園の入学に際し便宜を図ってもらうことなど不可能だ。むしろ入試で気づかれていたら即刻不合格通知を叩きつけられていたかもしれない。

 そう、説明しようと口を開きかけた時、次に響いてきた甜瓜先輩の言葉に、私は言葉を失った。


『あまつさえ、烏森の援助どころか烏森家への養子縁組を懇願して当主の足元に土下座までしたのです。……自分が殺した父親の葬儀の席で』


「え……? 自分が殺したって……父親を……?」

「さすがにそれは嘘じゃない……?」

「でももしほんとならヤバくない……?!」


 生徒たちのひそひそと話す声も遠くに聞こえる。

 耳の奥で響くのは、梅香伯母様の罵声。


『この人殺し! お前が……お前が椿を殺したのよ!!』


 全身から血の気が引いていくような錯覚。膝から力が抜け、立ってはいられない。

 グラウンドの真ん中で膝をついてうなだれる私に、猜疑の視線が突き刺さってきていた。


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