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ブランク空きすぎて書き方忘れそうなので、リハビリを兼ねた短文でご容赦ください。
豪華な部屋だな。
去年初めてこの部屋に入った時と同じ感想がふと思い浮かんだ。あれから幾度となくこの部屋を訪れているし、そもそもこの学園内のいたるところがそのつくりや装飾からして庶民の目には豪華の一言に尽きるのだから今さらなのだけれど。
それでもそんな感想を思いついてしまったのは、以前に比べてこの部屋に人が少ないからかもしれなかった。用事の都合で人がいない時間がなかったわけではないが、それでも常に出入りはあったし、主に女子が集まった時の独特の華やぎがこの空間には常に満ちていた。
それも今は感じられず、かといって寂れた感じもしない。華やかさのベールを落としたこの部屋はおそらく本来の重厚で静かな空間へと変貌していた。
その中央で高そうな、というくらいの判別しかつかないデスクの前に腕組みをして仁王立ちをしている男が、重々しくその口を開いた。
「……何でここに呼ばれたのか、分かってるだろうな?」
「はい」
体育祭を明日に控え、彼、一之宮石榴先輩が私を代議会議長室に呼び出す用事など決まっている。先日の甜瓜薔子とのいざこざの件だ。あの時先輩は代議会議長権限で結論を一時預かりとし、体育祭後にそれぞれに相応の措置を取ると宣言していた。今日呼び出されたのは私の処遇について、発表前に知らせておくためだろう。
一之宮先輩の後ろには吉嶺橘平が控えている。あの後、一之宮先輩と吉嶺の間でどのような話し合いがもたれたのかはわからない。結果として、あの大混乱の会議の翌日、吉嶺は腫れた頬にガーゼを貼り付けていた。今はそれもなくなり、うっすらと痣が残っているのと、唇の端が切れていたのか、小さな絆創膏が貼られている。
目が合うとひらひらと手を振られた。目を細めているのは共犯者への微笑みなのか、私はあえてそれを無視して一之宮先輩へと向き直った。
「薔子はあいつの親が学園側と交渉をして、留学という名目で学園を出ることになった。表向きは前から決まっていたこととして発表される。今はその準備期間ということにして、出立までは学園も休ませるそうだ」
「……甜瓜先輩に寄せられていた罷免要請の件については……」
そう問いかければ一之宮先輩は苦虫を噛み潰したような顔で舌打ちをした。
「学園理事会から正式に一連の事項に関して生徒会および代議会での審議を凍結し、生徒指導職員主導での監査を執り行うよう通達が出た」
「理事会が……?」
一瞬頭に浮かんだのは無口な従兄だったが、あの人が生徒間の問題に積極的に口を出すとは思えない。……おそらくだが、理事会役員に甜瓜先輩の家とつながりの深い人間がいたのだろう。そう考えながら、もう一つの可能性に冷汗が背中を伝うのを感じた。
もし、もしも梅香伯母様が関わってきているのだとしたら、もっと生徒会に対して厳しい措置を取った筈だ。それが理不尽で不当なものであろうと彼女は無理矢理捻じ込んでくるだろう。そういう意味ではまだ今のところは生徒会、というか私は、梅香伯母様に目を付けられるまでは至っていないと言える。
「理事会幹部に薔子の甜瓜家の遠縁にあたる奴がいる。おそらくはそいつが主導になって意見を捻じ込んできたんだろう。事実上調査はお蔵入りだ。表向き調査と監査は行うだろうが、結論を出すより先に薔子は海外留学でいなくなる」
監査対象がいなくなってしまえば必然的に調査も処分もうやむやにできるというわけか……。
「薔子はいなくなるが、生徒会はそうはいかない。暫く監査委員会が生徒会の業務に立ち会い、内部監査を行うことも決まった」
「それについては篠谷会長もそうなるだろうと言って、提出書類や業務スペースの確保を準備中です」
「相変わらず手回しの良い男だ。……ひとまず引き継ぎはこのくらいだ。……一応確認するが、お前は生徒会を辞める気は……」
一之宮先輩の言葉に苦笑いで返す。吉嶺の計画に乗った時は、生徒会どころか学園を出ていくつもりだったなどとは言いづらい。
「……今は、副会長の仕事を全うしたいと、そう考えています」
本当は留まるべきではないのかもしれないと、今でも考える瞬間がある。私が生徒会にいることで、桃香を危険から遠ざけるつもりが、逆に巻き込んでしまうかもしれない可能性は、私の足を竦ませる。それでも、とにかく足掻くと決めたから。
「……ったく、ついこの間までは死んだような顔を化粧で誤魔化していたくせに。今日は随分と顔色が良くなっているな」
「今日はすっぴんですよ?」
「わかっている。……さて、報告と確認は終わったわけだが……この俺を散々振り回しておいて何もなく済むとは思っていないよなぁ?」
一之宮先輩が獲物を狙う猛禽の目でにやりと笑う。こういう顔をすると本当に凶悪に見えるのだが、それすらもファンに言わせればワイルドで格好いいということらしい。睨まれた当の本人的には普通に怖いとしか思えないんだけど。
しかし、今回の事は私自身がまいた種だ。一之宮先輩にも多大な迷惑をかけたし、落とし前をきっちりとつけなければ申し訳ないと思う。
「はい……覚悟はできています」
私は一歩前に出て、一之宮先輩の正面に立つと心もち上を向いて目を閉じた。
「なっ……!? おい!??」
すぐ真正面から一之宮先輩の狼狽える声が聞こえる。私があまりにも潔く受け身の体勢を取ったから戸惑っているのだろうか。それにしてもやるならさっさと、一発で済ませてほしい。こっちは来るべき痛みに備えて歯を食いしばり、拳を強く握って待ち構えているのに。
「先輩……? 早くしてください」
「おまっ……早くって……本気か………?!」
何故か窺うように一之宮先輩が尋ねてくる。本気も何も、痛いのは嫌だから早くしてほしいんですけど。目をつぶったまま首をかしげていたら、先輩の後方からこらえきれないというように吹き出す声がした。目を開ければ、なぜか真っ赤な顔で固まっている一之宮先輩と、その後ろでお腹を抱えて爆笑している吉嶺が見えた。よく見ると一之宮先輩の手が私の方へ伸びてはいたが、なぜか肩のあたりで震えて止まっている。
「先輩、おでこはもっと上ですよ?」
そう指摘したら真っ赤だった先輩の顔が一瞬でぽかんとした顔になる。その後ろでは吉嶺の笑いが爆発して苦しそうなほど笑い転げている。……?
「お……でこ……だと?」
「え……? 心配と迷惑をかけた罰でデコピンするつもりだったんじゃないんですか?」
檎宇に連れ戻された生徒会で、梧桐君と篠谷からも改めてデコピンを頂戴した。その上何か彼らのツボにはまったのか、生徒会内で罰則の際は役員から一回ずつデコピンされるのが流行るようになってしまっているのだ。最近一之宮先輩は彼らと仲がいいようだからてっきり同じ罰を与えてくると思っていたのだけれど……。
違ったのかと気を抜いていたら、ガシっと両肩を掴まれた。見上げた先には何とも言えない表情の一之宮先輩が……。
「え…? あの……?!」
「おい?! 石榴……!!」
吉嶺が笑うのをやめて静止の声をかけたのが聞こえたけれど、一足遅かった。獰猛な鷹を思わせる美貌が眼前に迫ってきたかと思うと、目の前に火花が散った。
「いっっっっったぁぁああ――――――!!」
女子にあるまじき悲鳴を上げて額を抑えて蹲る。ず、頭突きで来るとか卑怯だと思う。脳天が勝ち割られるかと思うほど痛かった。例えていうなら昔通っていた道場の師範に思いっきり面一本喰らった時のような衝撃だ。
涙目で痛みを訴えるべく顔を上げれば、同じように額を抑えた一之宮先輩がまだ幾分赤い顔でこちらを睨んでいた。先輩も痛かったらしい。それならなぜ頭突きにしたのだ。デコピンなら少なくとも先輩はそんなに痛くなかったのに。涙目で訴えたら、なぜか先輩は益々真っ赤になって口をパクパクさせた。校長室で飼育されている金魚みたいだ。
「お前は俺の理性に感謝しろ!! あと、たとえデコピンを受けるときでも目を閉じるな!! 絶対にだ!!!」
ぶつけたのは額の筈なのに、頬を真っ赤にした先輩に怒鳴られ、大人しく謝る。言われたことはさっぱりわからないけれど。あれかな、平手打ちを受けるときも相手から目を逸らすな的なやつかな。まだ痛む額をさすりながら頭を下げると、深々と溜息をつかれた。
「とにかく、今後は……まて、お前まさか生徒会の連中にも今のを許したわけじゃないだろうな?」
「今のって……デコピンですか? 全員に一通り一回ずつされてますけど?」
さっきから一之宮先輩は何を怒っているのだろう。いや、怒られに来たんだからそれはそれで合ってるのかもしれないけれど、なんだか見当違いの事で怒られているような気がする。
「今後生徒会内でのデコピンは禁止する!! 篠谷達にも言っておくからな!!」
こうしてなぜか生徒会役員内でほんのりブームになっていたデコピンによるお仕置きは、代議会議長権限でもって禁止と相成ったのである。
翌日、晴天に恵まれた中、桜花学園体育祭が幕を開ける―――。
ちなみに生徒会役員は真梨香のデコピン待ちの顔をこっそり写メってる。